一方、ハーデス王に誘拐された瞬は、その頃、とにかく挙式を急ぐハーデス王の態度を怪訝に思っていました。
小宇宙も使えない今の瞬の身の上では、もちろん実力行使に出られたら抗う術もなかったわけですから、ハーデス王がそういう行為に及びもせずに、ただひたすら式を急ぐことは、瞬にとっては ある意味では有難いことでした。
けれど、ハーデス王のやり方が、瞬は不思議でたまらなかったのです。

そうして翌日。結婚式の日。
ハーデス王に婚姻の約束を受け入れる誓いの言葉を求められる直前に、瞬は無事に仲間たちによって救い出されました。
「瞬、どこだーっ !! 」
なにしろ、礼拝堂の中に、大きな翼を持ったペガサスと、10メートルの体長をのたうちまわらせる龍と、全身を炎に包んだ不死鳥と、目を真っ赤に血走らせた白鳥が乱入してきたのですから、ハーデス王も式に列席していた108人の臣下たちも超びっくり。
式場は大混乱になり、そこに 異様な動物たちの集団に奪われる花嫁を取り戻すための行動に出られる者は、ただの一人もいなかったのです。

「今回だけは許す。星矢の背に乗れ」
氷河の許しを得て、ペガサスの背に馬乗りになり、その首にしがみついたハーデス王の花嫁は、二度とこの国の王の許に戻ることはなかったのでした。

用心のため、今は人外のものの姿をしたアテナの聖闘士たちは、そのまま一気にハーデス王の国を出て、国境の山脈を越えました。
険しい山々の向こうにある隣国の、人里離れた山の麓に着地してから、彼等はやっと安堵の息をつくことができたのでした。

「……無事か?」
ペガサスの背から降り立った瞬に、氷河が気遣わしげな目を向けてきます。
見た目に怪我がない相手に氷河がそういうことを訊いてくる訳は――氷河が何を心配しているのかは、瞬にもすぐわかりました。
なにしろ、それは、ハーデス王の城にいる間ずっと、瞬自身が怪訝に思っていたことでもありましたから。

氷河には無用の心配をさせたくありませんでしたし、彼にあらぬ誤解を受けたくないという気持ちも手伝って、瞬はすぐに彼に頷きました。
「うん。あの王様は、僕に指一本触れてこなかった。ただ、やたらと式だけを急いでて――」
それが、瞬は不思議でした。
ですから、首をかしげながら、瞬は氷河に尋ねたのです。
「氷河なら結婚式なんかより、先に既成事実を作ろうとするよね? あの王様は、どうしてあんなに結婚式を急いでたんだろう……?」

「……」
そんな瞬の呟きに、氷河は少々苦いものを感じていました。
瞬には不思議でならないことが、氷河には不思議でも何でもないことだったのです。
「おまえが女だったなら、俺も既成事実を作ることより、式の方を急いでいたかもしれない」
「え?」
「どうして男が結婚をしたがると思う。自分をただ一人の女に縛りつけることになる面倒な約束事を。それは、自らの自由を放棄するようなものなのに」

「どうして――って……」
氷河に問われたことの答えが、瞬はわかりませんでした。
瞬は氷河が大好きでしたが、彼と結婚することは不可能なことでしたから、瞬はそんなことは これまで一度も考えたことがなかったのです。
答えを見付けられずにいる瞬に、氷河は僅かに自嘲気味な口調で、その答えを教えてくれました。

「惚れた相手を他の男に渡したくないからだ。婚姻の誓いを立てることで、おまえが俺だけのものになり、他のすべての男から おまえに触れる権利を奪うことができるのなら、そうすることができるのなら、俺だって今すぐ おまえと結婚したい」
「あ……」
ハーデス王が実質的な結婚でなく、婚姻という形式を整えることを急いでいたのが、そんな理由からだったなんて。
瞬はあまりに意外な氷河の言葉に、心から驚くことになりました。
と同時に、そんなハーデス王の考えがすぐにわかってしまう氷河に、瞬は言いようのない不安を覚えることになったのです。

「氷河は……僕が、氷河と結婚できる女の子でいた方がいいの?」
勇気を振り絞って恐る恐る尋ねた瞬に、氷河は何の答えも返してはくれませんでした。






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