その頃、瞬は、山賊たちの隠れ家である山奥の薄暗い洞窟の中で、誰にも信じてもらえない例の言葉を叫んでいました。
「僕は男ですっ!」
「わはははは」
瞬を取り囲んだ四人の山賊たちは、瞬のその言葉を聞くと、一斉にどっと笑い崩れました。

「イキのいい娘っこだ。腰が細すぎるんで、ものの役には立たんかと思ったが、これなら さぞかし元気な赤ん坊をたくさん産んでくれることだろう」
(え……?)
彼等の下卑た言葉の意味を理解して、瞬はくらりと気が遠くなりかけてしまったのです。
少女の身体を持っている今なら、確かにそれは可能なことなのかもしれませんでしたが、たとえ父親が氷河でも、それは瞬には想像を絶することだったのです。

彼等は瞬の命を奪うことは考えていないようでした。
ですが、彼等がさらってきた人間には心と意思があるということも、彼等は考えていないようでした。
死の危険がないことは、人としての尊厳を蹂躙される恐怖をやわらげてくれるものでしょうか。
瞬には、到底そう思うことはできませんでした。

こんなところで見知らぬ男たちに、殺されずに欲望の捌け口として利用されること。
それは屈辱などというものではなく、ひたすらの恐怖でした。
「ぼ……僕に、もしそんなことしたら、今ここで死んでやるっ!」
小宇宙を燃やすことも、大の男たちに対抗できるだけの腕力も持たない一人の少女である今の瞬には、それ以外に抵抗の手段がありませんでした。

彼等よりずっと強大な敵に対峙して、死を覚悟した時にも、瞬は今ほどの恐怖を感じたことがありませんでした。
これまで瞬が出会ってきた敵たちは、己れの野望を阻むものとして瞬を倒そうとはしても、瞬の身体を自分の意のままにしようと考えることはしなかったのです。
彼等にはプライドがあり、彼等なりの行動規範があり、それは信じるものが違うだけで、瞬自身のそれと同じ戦士のプライドであり行動規範でした。
そして、聖闘士として敵に対峙する時、瞬には微力ながらも彼等に対抗する手段があったのです。
でも、今は――。

瞬は、もし再びアテナの聖闘士として戦う日々を取り戻すことができたなら、その時には自分は、暴力に抵抗する力を持たない人々が、自らの圧倒的な無力に恐怖することのない世界を作るために全力を傾けようと、固く決意しました。
もし あの日々を、仲間たちと共に戦う あの日々を取り戻すことができたなら――!

(氷河……星矢、紫龍、兄さん……!)
山賊の一人が、締まりのない口許に気味の悪い笑みを浮かべて、瞬の側に近付いてきます。
瞬は手足の自由を奪われているわけではありませんでしたが、膝に力が入らず、その場に立ち上がることも不可能でした。
そして、瞬の背後には冷たい岩壁があるきりです。
瞬が、彼等の手から逃れることのできる場所は、もはや死の中にしかありませんでした。
(氷河……っ!)
そして、瞬は、その覚悟を決めたのです。

その時。
何やら得体の知れない奇声を発して、洞窟の中に白い塊りが飛び込んできました。
次いで、全身を炎に包んだ鳥が。
それは、言わずとしれたあの二人(現在は、二羽です)。
ペガサスと龍は狭い洞窟の中には入れなかったので総攻撃に混じることはできなかったのですが、二羽の鳥が大暴れするだけで、山賊の隠れ家は絵に描いたような大混乱。
パニックに陥った山賊たちは、怒りに燃えた鳥たちよりも訳のわからない悲鳴をあげ、うのていでどこかに逃げ去ってしまったのです。
瞬の命と貞操は、間一髪のところで救われたのでした。

とはいえ、一度は死を覚悟した非力なお姫様は、その身に降りかかった恐怖から すぐに立ち直ることはできませんでした。
瞬は随分と長いこと自失したままでいて、仲間たちを大いに心配させることになったのです。
「大丈夫か?」
何度目かのその問いかけに何とか頷き返せるようになるまでに、瞬は1時間以上の時間を要したのでした。

死を覚悟した緊張が薄れ、やっと口がきけるようになった瞬が、氷河に最初に尋ねたこと。
それは、
「氷河……は、子供がほしい?」
ということでした。
氷河は、何ということを訊いてくるのかと言うように不愉快そうに瞳をみひらき(現在は鳥目です)、やがて無言でふいと横を向いてしまったのでした。






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