そうして、14年。 大公は突然、まもなく16歳になろうとしている皇太子を宮廷に呼び戻した。 皇太子を宮廷から去らせると、大公はまもなく健康を取り戻すことになったのだが、その健康もいつまで続くのかはわからない。 バーデン大公家中興の祖と呼ばれた大公も、いつまでも若くはない。 心身共に健康なうちに 大公家の未来を我が手で定めておこうと、大公は考えたのだろう――というのが、宮廷内の大方の人々の考えだった。 事実もそうだったのだろう。 皇太子は亡くなったという噂が多くの臣下・国民に信じられている現状を憂い、正統な皇太子が人々に忘れられてしまうことを危惧したせいもあるかもしれない。 母である現大公妃の尊大を見習って、第二皇子が皇太子然とした不遜な態度をとり始めたことに、懸念を覚えたためでもあったろう。 ともかく、大公は、正統な大公位継承者を宮廷に呼び戻した。 実は、皇太子は外国になど行っていなかったのである。 彼は、国内の信頼できる貴族の家で密かに養育され、極めて健康な男子に成長していた。 皇太子が14年を過ごした家は、宮廷の華やかさどころか社交界そのものとも縁遠い、貴族とは名ばかりの家だった。 大公国の皇太子だということは知らされていたが、宮廷の空気を知らずに育ったため、彼は、皇太子としての気概は皆無、優雅な立ち居振る舞いとは無縁、国への責任感が強いとはお世辞にも言えない少年に育っていた。 対照的に、生まれた時から宮廷で甘やかされて育った現大公妃の息子は、大公位第一継承権を持つ皇太子よりも皇太子然とした少年になっている。 由緒正しい名門ダルムシュタット公国王女を母に持つ 庶民的な皇太子と、名もない侍女を母に持ち宮廷の水に慣れきった 貴公子然とした第二皇子。 この二人がバーデン大公国の宮廷で、未来の大公位を巡って、宮廷内を二分することになったのである。 皇太子を宮廷に呼び戻したのは、現大公がいよいよ譲位を考えているから――ということは、誰の目にも明らかだった。 その意思が、呼び戻された皇太子の上にあることも。 しかし、宮廷の人間の大半は、既に次代の大公は第二皇子と思い、第二皇子をそのように遇していたのである。 現大公妃と共に第二皇子をおだて 持ち上げ、中には将来の報いを期待して母子に高額の贈り物を欠かさない貴族たちも相当数いた。 正統な皇太子が宮廷に戻ってくることに不都合を覚える人間は多かったのだ。 そういうわけで、成長した皇太子が王宮に戻ってくると、バーデン大公国の宮廷では、14年前同様、どこまでが事故でどこまでが故意なのかわからない事件が頻発するようになったのである。 もしここで皇太子の身に何か起きれば、次期大公の座には、名もない侍女の産んだ第二皇子が就くことになるだろう。 そうなれば、10数年の長きに渡り、皇太子を庇護し続け、彼を健康なまま宮廷に連れ戻したことで 現大公妃に恨みを買うことになったヒョウガの父及びその家――侯爵家である――の存続すら危ういものになる。 皇太子を無事に大公位につけることが、ヒョウガの至上義務となったのは当然のことだった。 それが正義を行い 国の秩序を守ることであり、己れの家を守り、自らの将来の地位を確保することにもつながる。 いつ いかなる時も皇太子を陰から見守り、その身に危険が迫れば 皇太子の盾となって未来の主君の身を守ることは、ヒョウガにしてみれば、大義と実益を伴った、必然的かつ非常に有益な仕事だったのである。 |