「僕、シュン。えと、男です」
ヒョウガの手当てが済むと、ヒョウガの恩人は、突然思い出したように自分の名を名乗った。――性別と一緒に。
わざわざそんなことを言うところを見ると、彼は いつも少女と間違えられているのだろう。
実際、ヒョウガは自分を助けてくれた人間を少女だと、シュンにそう言われるまで信じ込んでいた。
男と言われて即座にその認識を改めるには、シュンはあまりにも優しい面差しの持ち主で、ヒョウガは多少の混乱を覚えた。

が、改めて胸のあたりを見ると、確かにシュンの身体は少女のそれではなかった。
それでもヒョウガには、それは にわかには信じ難い事実だったのである。
シュンの手足は少女のそれより白くなめらかで、表情は優しげで、そもそもアテナの側の人間として、こんなところに暮らしていることが不自然に感じられるほど、穏やかな様子をしていた。
アテナも聖域もない平和な村で、花に囲まれて暮らしているのがふさわしい少女だと――もとい、少年だと――ヒョウガには思われた。

「オトコ?」
驚きに目をみはったヒョウガに、花の似合う少年は少々恨みがましげな目を向けてきた。
その様がまた可愛くて、ヒョウガはひどく戸惑うことになったのである。
怪我のことを抜きにしても、シュンの機嫌を損ねたくはない。
「いや、ああ、俺はヒョウガだ。俺も男だ」
失言を取り繕うように、ヒョウガもまた自分の名と性別をシュンに告げる。
言わずもがなのことに言及するヒョウガの自己紹介を聞いて、どうやらシュンは機嫌を直してくれたらしい。
彼は、くすりと少女のように笑った。

「男性でも、今、その足で歩くのは無理でしょうから、今夜はここで休んでください。日も暮れてしまったし、普通に歩くのも覚束ない足で闇の中を歩いて、石に蹴躓いて転んで、もっと具合いを悪くしてしまったら、それこそ目も当てられない」
言葉はかなり辛辣だったのだが、それが、今日知り合ったばかりの人間に一夜の宿を借りることになるヒョウガに遠慮をさせないための気遣いであることは、ヒョウガにもすぐにわかった。
そして、ヒョウガはシュンの言葉に甘えることにした。
図々しいと思われることになっても、ヒョウガは少しでもシュンと共にいる時間を長引かせたかったのである。

シュンは木製のテーブルを寝台の横に移動させ、ヒョウガに夕食をふるまってくれた。
食事自体は贅沢なものではなかったが、すぐに二人分の食事を用意できるところから見ると、シュンの生活は決して貧しいものではないらしい。
何より、自分以外の誰かと食事を共にすることが久し振りだったので――しかも、相伴の相手は花のように可憐な少女である――もとい、少年である――ヒョウガは、そのささやかな晩餐に大いに満足した。

ヒョウガはできれば、もっとシュンと言葉を交わし、彼のことを知りたかったのだが、夜が更けると、シュンの予測通りにヒョウガの足は高い熱を持ちだした。
ヒョウガはシュンに言われるまま大人しく寝台に横になるしかなかったのである。

シュンの手当ては適切で、真夜中を過ぎる頃には、ヒョウガの足の熱も痛みも引き、ヒョウガの朝の目覚めは爽快なものだった。
朝の光の中で気持ちよく目覚めたヒョウガは、その時になって初めて、自分が この家の主を寝台から追い出し、床に寝かせてしまったことに気付いたのである。
ヒョウガが休んだ寝台の足許の床に布を敷き、シュンは身体を丸めるようにして眠っていた。
「すまん、シュン」
寝顔も可愛ければ、『おはよう』の代わりの謝罪の言葉で目覚め、少しぼんやりしてみせる顔も可愛い。
シュンの様子がいちいち可愛らしいことを、なぜ自分はこんなにも喜んでいるのかと、ヒョウガはそんな自分に苦笑することになったのである。

自分が床で寝ている訳を思い出すのに、シュンは少し時間を要したようだった。
まもなく昨日のことを思い出したシュンが――シュンもまた――、『おはよう』と言う代わりに、
「歩けそう?」
と、ヒョウガに尋ねてくる。
ヒョウガが頷くとシュンは嬉しそうに笑い、一緒に朝食をとる時間はあるかと、重ねてヒョウガに尋ねてきた。
ヒョウガはいっそこのまま この家に居ついてしまいたいと思いながら、シュンに頷き返したのである。
対立し合う2つの陣営に別々に身を置く二人の間で、ヒョウガの願いは叶うものではなかったのだが。

「じゃあ、またいつか会えるといいね」
いよいよシュンの家を辞さなければならなくなった時、シュンは『さようなら』の代わりにそう言った。
その言葉を聞いて、ヒョウガは、遅ればせながらに気付いたのである。
シュンは、彼の家の側で難儀していた怪我人を聖域側の人間と知った上で助けてくれたのだということに。

村の外に協力者や賛同者はかなりいるらしいが、実際にアテナの村に住んでいるのは、戦闘員・非戦闘員を含めて100人ほどしかいない。
村の住人たちは会おうと思えばいつでも好きな時に会えるわけで、別れ際に「また会えるといいね」などというはずがないのだ。
それ以前に、村の者たちは皆 顔見知りだろう。

「ありがとう」
聖域の者が敵の情けを受けた事実をシュンに知られてしまったヒョウガは、複雑な気分でそう言い、複雑な気分でシュンの家を出たのだった。






【next】