自らに危害を加えようとした者を倒した人間が、そんな顔をするものだろうか。
普通は自らの勝利を喜び、あるいは、我が身の安全が保たれたことに安堵する表情を浮かべるものだろう。
しかし、白銀聖闘士を倒したシュンの表情は、ひどく つらそうで、そして悲しげだった。
シュンが“敵”を倒したあとで そういう顔ができるのは、最初から自分の勝利を知っていたからなのだろう。
シュンの足許に倒れている白銀聖闘士は、シュンにとって、力量の差も見極められずに無謀な戦いを挑み破れた哀れな存在なのだ。
つまり、アンドロメダ座の聖闘士はそれほどに強く、シュンは自分の力を自覚している――ということになる。

「シュン……」
「人を傷付けるのは嫌いなの。ほんとだよ。なのに、僕は、自分が傷付かないために戦ってしまう」
自分が聖闘士であることには言及せず、シュンは呟くようにそう言った。
まるで、自分を守ることのできる力を持っている自らを責めるように。
我が身を外敵から守ることは、聖闘士でなくても人として当然の権利だというのに。
しかし、シュンはそんな自分が許せないらしく、我が身を守る力を持つ自分自身に傷付いている。
自らの強さに傷付く聖闘士――そんなシュンを強い聖闘士と言ってしまっていいものなのか――。
ヒョウガにはわからなかった。

「……おまえに何かあったら、俺が嘆くからだろう」
「僕は卑怯なんだ。僕はこんな力なんていらない。でも、アテナの理想の実現をこの目で見たい。アテナの側にいればいるほど、彼女の思いに感応すればするほど、僕の力は増していく。こんな力なんていらないと思うのに、その一方で、僕は僕の小宇宙が強大になっていくことが快くてたまらないんだ……」
シュンが、その瞳から一粒 涙をこぼす。
ヒョウガはシュンを抱きしめずにはいられなかった。
その力を脅威だとは思わなかった。
涙を流すシュンの肩は か細く、それはヒョウガが幾度も口付けたもの――ヒョウガのものだった。

「快くてたまらない――とは、俺に抱かれている時よりもか」
「そ……そんなことはないけど……。ヒョウガに抱きしめられている時の方がずっと……あの……気持ちいいけど……」
半ば以上冗談のつもりで尋ねたことに、シュンが真面目に答えてくる。
シュンはやはり“強さ”より“可愛らしさ”の方が勝っている人間だった――ヒョウガにとっては。

しかし、この可愛らしい人間を、こっそり聖域に引き取るのは、どう考えても無理なことである。
アンドロメダ座の聖闘士は、これまで一度も聖域の者の命を奪ってはいなかった。
アンドロメダ座の聖闘士は、決して敵を殺さない。
それが、今は仇になる。
シュンに撃退された聖闘士たちは全員生きているのだ。
シュンの際立った この姿を見忘れ見誤る者はいないだろう。
聖域に連れていった途端に正体が知れ、シュンは聖域の者たちによってリンチにも合いかねない。

となると、この場合、身軽なのはヒョウガの方だった。
聖域に数十人いる聖闘士。
ヒョウガはその最下位の青銅聖闘士の一人に過ぎない。
その姿が聖域から消えることになっても、青銅聖闘士一人ごときの戦力減は、聖域にとっては 大した問題ではないだろう。

だが、だからと言って、聖域が駄目ならアテナの側に――と、気楽に鞍替えをすることはヒョウガにはできなかった。
ヒョウガは彼女を真のアテナと思うことはできなかったのだ。
シュンがどう言おうと、聖域の教皇がアテナと認めなかった者が真の女神であるはずがない。

「一緒に逃げよう。この矛盾からおまえが逃れるには、戦いのない場所に行くしかない」
それは、さして深く考えずに、ヒョウガの口を衝いて出た思いつきにすぎなかった。
聖域にもアテナの村にも、二人が心安らかに生きていける場所はない。
シュンは人を傷付けたくないのに、その力のある自分に傷付いている。
この状況から逃れるには、戦いや対立のある場所から離れるしかないではないか。
言葉にしてみると、ヒョウガには それがいちばん良い解決法に思えてきた。
二人が聖域にもアテナにも煩わされず、愛し合って暮らすには、それ以外に道はない。

「ヒョウガ……。でも、ヒョウガも聖闘士なんでしょう?」
聖闘士なら誰でも、第一に望むものは地上の平和のはずである。
その目的を達成し維持するために、聖闘士は存在する。
シュンの戸惑いは当然のものだったろう。
二人が この対立の場から逃げ出すということは、二人が聖闘士であることをやめるということなのだ。

「人を傷付けるのが嫌なんだろう? 逃げよう、二人で」
ヒョウガは言い募ったが、シュンはすぐには決断に至ることができないようだった。
それも無理からぬこと――である。
二人がここから逃げたとして、その先がどうなるのかは、この逃亡計画を思いついたヒョウガ自身にもわかっていなかったのだから。

「考えておいてくれ。それも一つの方法だ」
今はとりあえず、シュンに倒された白銀聖闘士の始末の方が先決だった。
「今日はこのまま聖域に戻る。こいつを連れて帰っていいか」
「うん。あの……ごめんなさいって、謝っておいて」
「……」
アンドロメダ座の聖闘士からのそんな伝言を伝えたら、シュンに敗北した男は誇りを傷付けられ、烈火のごとく怒り狂うに違いない。
そんなことに思い至りもしないほど素直すぎるシュンに苦く笑って、ヒョウガはシュンに倒された男の身体を肩に担ぎあげた。

その様子を心細そうに見守って入るシュンを、ヒョウガが抱き寄せキスをする。
「俺は、聖域より、アテナより、おまえを選ぶから」
ヒョウガの言葉を、素直なシュンは素直に喜ぶことができずにいるようだった。






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