「――たとえ元に戻らなくても、おまえは瞬の兄弟なんだし、俺は瞬の身内として、これまで通りに おまえには一目置くぞ」
瞬と一輝は、どうこう言っても、この世に二人きりの実の兄弟である。
彼等は、妙なところが似ている兄弟だった。

仲間たちの前から姿を消した傷心の一輝が向かった先。
そこは、幼い頃の瞬が仲間たちに涙を見せないためにいつも逃げ込んでいた、城戸邸の庭のエニシダの茂みの陰だった。
花の時季は既に過ぎ、背の低い緑の葉と枝がささやかな木陰を作っている。
瞬と違って一輝は、その場に女だてらに どっかとあぐらをかいて、我が身に降りかかった試練に雄々しく耐えようとしていたが。

「……」
氷河の言葉を聞いた一輝が、物言いたげな睥睨を彼に向ける。
その目は、氷河に『これまでいったいいつ、貴様が瞬の兄に一目置いていたことがあったのか』と噛みついていた。
しかし、実は氷河は、いつもそのつもり――いつも瞬の兄に一目置いているつもり――だったのである。

「幸い、小宇宙はあるようだし、聖闘士として戦い続けることはできるだろう。聖闘士としても、瞬の兄としても、一個の人間としても、大事なのは性別ではなく人間性だ。性別が変わったからといって、おまえが瞬を大事に思っている気持ちまでが変わるわけではないんだし、瞬だって、これまで通り、おまえに頼り続けるだろう。おまえはこれまでそうだったように、アテナの聖闘士で、瞬の年長の兄姉だ。そこが肝心なことだろう」
もしかしたら、不逞の輩に最愛の弟を奪われてから初めて見る氷河の真面目な顔と、偽りではない心底からの思い遣り。
驚きと情けなさの余り、一輝はぎりぎりと音を立てて奥歯を噛みしめることになった。

『漢』と書いて『おとこ』と読む。
“男らしさ”が一輝のアイデンテティだった。
いつも瞬に男らしくなれと言っていた自分自身が、少なくとも肉体は瞬よりも女らしいものになってしまった。
その上、最愛の弟を奪った、憎んでも憎み足りない男に励まされ、慰められているのである。
一輝の怒りと落胆は尋常のものではなかった。

「貴様は不死鳥の聖闘士で、瞬の兄なんだからな。瞬のためにも、さっさと復活しろ」
べらべらべらと言いたいことだけを言いまくったあとで、『男の戦いに言葉は不要!』で〆るのが氷河のやり方である。
今回も氷河はその路線を守り、勝手に結論だけを一輝に提示すると、実に“男らしく”瞬の兄に背を向けたのだった。


「――氷河の奴、妙に一輝に優しくないか」
「まあ、氷河も調子に乗って 一輝をからかいすぎたし、もし これが我が身だったらと思うと、氷河も色々と思うところがあるんじゃないのか? 兄ではなく姉なら、瞬との仲を認めてくれるかもしれないという期待や打算もあるかもしれんが」
「女の方が ほもには嫌悪感抱くんじゃないか?」
「そうとは限らん。一輝がいつまで経っても氷河を認めようとしないのは、氷河が男だからだろう。瞬の相手が女だったなら、そもそも土俵が違うんだから対抗のしようもないし諦めもつくだろうが、一輝は、自分と同じ男に最愛の弟を奪われてしまったわけだからな」
「なるほどー」

一方が女性なのだから、まさか二人が取っ組み合いの大喧嘩を始めると思っていたわけではなかったのだが、不倶戴天の仇敵同士が二人きりになる事態を心配して氷河のあとをついてきた星矢と紫龍が、この思いがけない展開に驚き安堵しつつも勝手なことを言い合う。
二人に付き合ってエニシダの茂みの外側の陰にしゃがみ込んでいた瞬は、そんな二人を軽くいさめた。
「氷河はそんな打算的なことを考えたりなんかしないよ。氷河はもともと優しいし、女性に対してなら、なおさら親切にするよ」
仲間にそう告げる瞬の瞳は、だが、なぜか微妙に複雑な色合いをたたえていた。






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