Only Once






人が本来の時間の流れから逸れて、過去や未来へ移動する時間旅行。
その概念は、数十億年の時間を1週間に縮めた旧約聖書・創世記や浦島太郎の例を持ち出すまでもなく、相当古い時期から人類の意識の内に存在していたといえるだろう。
SFの父と呼ばれるH・G・ウェルズが1896年に発表した『タイムマシン』以降、それは小説、映画、ドラマ、コミックと様々なメディアで取りあげられ、今では物理学というよりエンターテイメントの分野で注目されることが多くなってきている事柄である。

瞬たちがそんな時間旅行をテーマにした映画を鑑賞することになったのは、ロードショー公開が1ヶ月後に迫った、グラード・ピクチャーズ・エンターテインメント・アメリカ制作、グラード・ピクチャーズ・エンターテインメント・ジャパン配給の ある1本の映画についての意見を、グラード財団総帥城戸沙織から求められたからだった。
映画のラストに流すテーマソングが、バラード調にアレンジされたものとポップにアレンジされたものの2種類があり、そのどちらを本編に付した方が日本人好みかを判断してほしいと、青銅聖闘士たちは依頼されたのである。
その判断を公開国側に委ねてきたのは 映画を作った当の監督で、彼自身、本国での公開時には曲の選択に非常に悩んだらしい。

作品は、タイムリープの能力を身につけた少年が、幾度も過去をやり直して“現在”を狂わせるということを繰り返したあげく、結局はすべて元通りになるというもの。
作品全体の雰囲気はどちらかといえばコミカルなもので軽快な曲想の方が合っているのだが、ラストシーンには鑑賞者への教訓・警告めいたものを含んでいて、バラード調のものの方が余韻を残す。

城戸邸のオーディオビジュアルルームで、タイムトラベル物の映画を2回も見せられた青銅聖闘士たちは、少々時間の感覚が狂ったような気分になりつつ、ラストシーンにはバラード調の曲想のものの方が合うだろうという結論に至っていた。
最終的には試写会の反応を見て結論を出すことになるらしいが、アクション映画好きの星矢でさえ仲間たちと同じものを推すくらいなのだから、日本公開時にはそちらの曲の方がメインテーマとして採用されることになるだろうと、沙織は言っていた。

その作品を見たあとのことだった。
「こういう映画の類って、大抵は、過去を変えることはよくない結果を生むっていう結論に至ることが多いけど、それって本当だと思う? 現実問題として、人間には過去を変えることはできないから、だから、無理にでも過去を変えることはよくないことだって結論づけて、人は諦めようとしているだけなんじゃないかな。酸っぱいぶどうとおんなじで。そういう結論の方が、映画を観てくれる人を納得させられることがわかっているから、制作者側もそういう作品を作るんだよ」
瞬が、そんなことを言い出したのは。

瞬にしては珍しい批判的意見を意外に思ったらしい紫龍が、僅かに片眉をあげる。
「まあ、そういう考えがないとは言えないだろうな。過去を変えたいという願いは、現状に不満があるからこそ生じる願いだ。この手の映画は、現実に不満があっても甘んじて受け入れろという、社会の支配層に都合のいいテーゼが含まれている――と言えなくもない、かもしれない」

慎重極まりない物言いでの紫龍の賛同に、瞬は小さく、だが強く頷いた。
「誰にだって変えたい過去はあるでしょ。僕の母さんは、急ぎの手術が必要な急性の病気で病院に運ばれた時、その病院に血液のストックがなくて、手配した血液も間に合わなくて、結局死んでしまったけど、もしそれが間に合っていたら、僕と兄さんの境遇は今とは違ったものになっていたんじゃないかって、僕は何度も考えた」

「ああ、そういう過去か」
瞬はてっきり『傷付けたくない人を傷付けてしまった』過去に思いを馳せているのだとばかり思っていた紫龍には、瞬の発言は想定外のものだった。
だが確かに、瞬が変えたい過去が変わってしまえば、そもそも瞬は、人を傷付けることを余儀なくされる事態に対峙せずに済むことになるかもしれないのだ――ということに気付く。
孤児になりさえしなければ、瞬とその兄は聖闘士候補として城戸邸に連れてこられることはなく、当然聖闘士になって敵と闘う事態も生じなかったかもしれない。
瞬は、そういうことを言っているのだ。

「星矢だって、たとえば、お姉さんと引き離されて城戸邸に連れてこられる時に星の子学園から逃げ出していたらとか、そんなことを考えたことはない?」
「俺はさしずめ、城戸の手の者が聖闘士候補になりそうな子供を探していた時に、病気でも患っていたら――か」
そう言いながら紫龍は、彼の他の仲間たちと異なり、肉親の記憶を全く持たない自分はかえって幸福だったのではないかと、内心で考えていた。
彼には、自分の過去がこうだったなら――と考える材料がなかったのだ。
その分、彼には後悔というものが少なかった。

「氷河は――」
瞬は口ごもり、結局言葉にはしなかったのだが、瞬が考えた『if』の内容は、彼の仲間たちには容易に察することのできるものだった。
もし、彼の母親が北の海に沈むような事故に遭遇しなかったなら、彼の現在の境遇はどんなものになっていたのか。
それが、瞬の考えた 修正された氷河の過去だったろう。






【next】