Unfavorite Face






「わあ、かわい〜」
「こいつ、いい面構えしてるじゃん」
「あ、ほんと。まだちっちゃいのに、りりしい」
「こっちの奴はまた、ものすごいカッコで寝てるなー」

瞬と星矢が頭を突き合わせるようにして見入っているものは、数百枚に及ぶ犬の写真を載せたパンフレット――のようなものだった。
数年前からグラード財団が開催しているITアートコンクールのパソコン・壁紙部門、携帯電話・待ち受け画面部門に応募されてきた画像――主に写真を加工したもの――の一覧である。
数十万枚の応募作品の中から、サイズ・容量等の規格を満たしていないものを除き、更に一次・二次の審査を通って絞り込まれた作品のサムネイル画像だった。
メール・アドレスを持つ者であれば誰でも応募できるという気軽さと、入賞すれば今後1年間グラード・コンピューティングシステムから販売されるパソコンとグラード・モバイルサービスから販売れる携帯電話に 壁紙・待ち受け画像としてデフォルト装備されるという特典、そしてもちろん賞金に惹かれ、毎年多くの人間が渾身の1枚を応募してくる。
今年のテーマは『犬』となっていた。

「俺は成犬の方が好きだな」
紫龍も決して興味がないわけではないらしい。
彼が指し示した写真は、見事に均整のとれたアラスカン・マラミュートの立ち姿を写したものだった。
その美しさに感嘆の溜め息を洩らしてから、瞬が初めて気付いたように呟く。

「そういえば、子犬の写真が随分多いね。犬って人間に比べると割りとすぐに成犬になるから、自分の愛犬を見せびらかしたいのなら成犬の写真の方が圧倒的に多くなると思うのに……。やっぱり、人間って小さくて可愛いものが好きなのかな」
「無邪気に見えて、安心できるというのもあるかもしれない。バソコンの壁紙やケータイの待ち受けに緊張感を求める人間は少ないだろう」
「そうだね。見てて ほのぼのできるのがいいよね」
紫龍の見解に賛同し、瞬は再び、ほのぼのできるものたちの上に その視線を戻した。

そこに突然、瞬のほのぼの気分に水を差すような氷河の声が降ってくる。
「ただの犬っころの写真で、何をそんなに真面目に語り合っているんだ」
「え……」
瞬は咄嗟に、氷河のその棘のある口調に応じる答えを見付けだすことができなかった。
代わりに紫龍が、乗りの悪い仲間の認識を正そうとする。

「ただの犬っころと馬鹿にしたものではないぞ。このコンクールの去年のテーマは『猫』だったんだが、その時初めて応募総数が30万の大台に乗り、史上最高の応募数を記録したんだ。で、今年は猫に負けてはならじと全国の愛犬家たちがこぞって応募してきた。財団は数十万のメールアドレスを手に入れることができ、コンクールの応募総数の増加に比例してパソコンや携帯電話の売り上げも伸びている。審査員が選ぶ大賞とは別に、一般ユーザーの人気投票による大衆賞の選定のための一般投票もネットや携帯のサイトで行なわれているんだが、いくらサーバーを増強しても追いつかないほどのアクセス数があるそうだ。ただの犬っころがグラード財団にもたらす利益は計り知れない」

現に利のあることを否定することは、さすがの氷河にもできなかったらしい。
犬っころを馬鹿にすることを諦めた彼は、結局、
「信じ難い熱狂振りだな」
と呆れたようにぼやくことしかできなかった。
そんな氷河に、瞬が こころもち首をかしげて尋ねる。

「氷河って猫派なの? 犬は嫌い? こんなに可愛いのに」
「犬猫に限らん。俺は、世間一般に可愛いと言われる生き物は好きじゃない」
「え……?」
仲間の思いがけない言葉に、瞬が瞳を見開く。
瞬の手許にあるパンフレットに一瞥をくれた氷河は、彼が『好きじゃない』ものから、すぐに視線を逸らした。

「この手の愛玩動物という奴等は、自分では何の力も持たず、媚を売ることで人間の保護欲を駆り立て、他人に寄生して生き延びようとしている卑劣で不自然な生き物たちだ。不愉快極まりない」
「卑劣……って、だって、でも――」
氷河は彼等を卑劣と言うが、俗に愛玩動物と呼ばれるものを作ったのは人間であり、また可愛らしい姿に生まれついたのは、彼等の責任ではない。
彼等は彼等の意思でその境遇を選び取ったわけでもない。
氷河の非難は理不尽だと、瞬は思った。
しかし、氷河はそのあたりの事情を承知した上で、あえてそういう発言に及んだものらしく、自分の意見を撤回するつもりはないようだった。

瞬はそんな氷河に戸惑い、そして、彼にその認識を改めてほしいと思ったのである。
だが、瞬は、彼を説得するための有効な言葉が思いつかなかった。
そもそも なぜ氷河が“世間一般に可愛いと言われる生き物”が好きでなくなったのか、その理由がわからない。
氷河の言葉通りに『非力だから』というのが、その理由ではないはずだった。
もしその理由が真実のものであるならば、邪悪に対抗する力を持たない人間たちを守るための戦いに、氷河が命を懸けるはずがない。
『可愛いものが嫌い』という感情が非常に一般的でないがゆえに、氷河がそういう考えに至るには何か複雑な事情があったような気がして、瞬には、気軽にその理由を氷河に尋ねることもできなかった。

結果として、瞬は、氷河の前で口をつぐむことになってしまった。
そこに星矢が、脇から口を挟んでくる。
「世間一般に可愛いって言われるものが嫌いって、じゃあ、俺のこの可愛い顔なんかも、おまえは嫌いなわけ?」
星矢が冗談口調で尋ねたことに、氷河は真顔で、
「おまえの顔は好きだ」
と、答えた。

「どーゆー意味だよ!」
途端に星矢が、茹で蛸のように顔を真っ赤にして氷河を怒鳴りつける。
仲間の怒気に触れても、氷河はあくまで淡々とした口調を保ち続けた。
「言葉通りだ」
当然 星矢は、彼の“可愛い”顔を激しく歪めることになったのである。
冗談口調で、あるいは、いかにも皮肉げに、氷河がそう言ってくれていたなら、星矢も『好きだ』と言われて ここまで腹を立てることはなかっただろう。
しかし、氷河は、こういう時に限って無駄にクールだった。

すっかり ふてくさってしまった星矢に軽い苦笑を見せてから、紫龍が氷河に向き直る。
それから彼は、意味ありげな目をして“可愛いものが嫌い”な男に次なる質問を投げかけたのだった。
「瞬はどうだ? 好きか嫌いか」
星矢は、紫龍のその質問を聞くと、歪めていた顔をすぐに常の状態に戻すことになったのである。
それから星矢は、紫龍の答えにくい質問にはたして氷河はどう答えるのかと興味津々のていで、瞳を爛々と輝かせた。
答えにくいはずの質問に、しかし、氷河は、答え渋る様子を全く見せなかった。
彼は、逡巡や躊躇をかけらほどにも表情に出さずに、
「瞬の顔は大嫌いだ」
と即答してのけたのである。






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