「『じゃあ、また』だ? あれは、この私を何だと思っているのだ!」
午後になり、アテナ神殿には聖域に残っていた黄金聖闘士と外に出ていた黄金聖闘士たちが勢揃いしていた。
そこにシャカが、少々ヒステリックな怒声を響かせる。

「看板に偽りありの庭を持った変なおっさん、だろう」
怒れるシャカをなだめようとして彼が そう言ったのかどうかは定かではないが、ともかく、シャカにそう告げたのは、つい先程 聖域に戻ってきたばかりの蠍座の黄金聖闘士だった。
「おっさん?」
無礼極まりないミロの言葉は気に障ったのだが、シャカは瞑目したままだった。
自称20歳の男が、自称20歳の男を“おっさん”呼ばわりするのは自虐行為以外の何ものでもない。
そんな愚行を平気でしでかすような男を、彼は自らの視界に入れたくなかったのである。

「そう臍を曲げるでない。それこそ、おまえが“おっさん”に見えるほど子供の言うことではないか」
若者の姿に戻った童虎が、口調だけは年配者のそれでシャカをたしなめる。
それは慰撫というより嫌がらせとしか思えない発言だったのだが、さすがに前聖戦からの生き残りである彼に毒づくことは、シャカにもできなかった。
意識して童虎の声に顔を背け、彼は毒づき続けた。

「自慢するわけではないが、これでも私は“最も神に近い男”と呼ばれるほどの男だぞ。それを恐れもせずに、あんな子供が馴れ馴れしい」
「瞬がそんな男にいちばん懐いているというのもおかしな話だ」
「聖域の七不思議の1つだな」
そう呟くアイオリアは、どう考えても あとの6つの不思議を知らない。
彼が思いつきで言っていることがわかるだけに、シャカは獅子座の黄金聖闘士のいい加減さに、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

「瞬が目覚めた時、おまえの姿が最初に目に入ったんじゃないのか。いわゆるインプリンティングという奴だ。生まれて最初に見た動くものを自分の母親だと思い込むあれだな。瞬はおまえを自分の母親か何かと思い込み、親しみを覚えているんだ。可愛いものではないか」
「私はカルガモではない」
山羊座の黄金聖闘士の推察は決して突拍子のないものではなかったのだが、だからといって愉快なものでもない。
シャカは不機嫌な顔を維持し続けた。

そんなシャカを無視して、やはり外から帰還したばかりの水瓶座の黄金聖闘士が、合点したように頷く。
「あり得るな。目覚めた時、瞬は、シャカの髪を引っ張って『綺麗』とか何とか呑気なことを言っていただろう。あの時、瞬の深窓意識に、シャカは自分の保護者だという意識が植えつけられたんだ」

「ああ、あの時ですね。確か、最も神に近い男は『痛い、引っ張るな』と、瞬に向かって怒鳴ったと記憶しています。最も神に近い男の威厳もくそもありませんでしたね」
牡羊座の黄金聖闘士が真顔で、“最も神に近い男”のレベルの低さを嘲笑する。
シャカは、もう少しで目を開けそうになってしまった。

「シャカ。気に障ったのなら謝ります。でも、もうしばらく我慢してちょうだい。すべてが元に戻ったら、瞬も自分の不躾を あなたに謝罪すると思います」
「アテナがお謝りになられることは――」
同輩の黄金聖闘士たちならともかく、よりにもよってアテナから謝罪の言葉をかけられ、シャカは少なからず慌てることになった。
ここが女神の御前だということを、彼は失念していたのだ。

アルデバランが、場のフォローに入る。
「シャカはこれで、それほど悪い気分ではないのです。無意味に孤高を気取るポーズをとっているせいで、シャカは普段皆に敬遠され気味ですからな。物怖じしない瞬に懐かれて、この男は少々戸惑っているだけです。いやあ、平和平和」
豪快に笑うアルデバランの鷹揚さにつられて笑いかけてから、カミュが意識して顔を引き締める。

「しかし、いつまでもあのままでは……。どうなのだ、サガ」
「アンドロメダほどの聖闘士なら、小宇宙が戻りさえすれば、私のかけた技はすぐ解けると思います。もしくは――ある条件が満たされると解けることになっていますが……」
「人死にを見ることか」
アフロディーテの問いかけに、サガは首を横に振った。

「いや、そういう条件づけではない。簡単に解けてはまずいので、絶対に実現不可能なことを魔皇拳が解ける条件にしてある。アンドロメダは自分の小宇宙を取り戻さない限り、記憶を取り戻すことはないと思っていて間違いはない」
サガが 瞬を瞬と呼ばず、アンドロメダと呼ぶことがシャカはなぜか不愉快だった。

「あの子はアンドロメダではない。瞬だ。瞬のままでもいいではないか」
「シャカ。何を言い出したのだ。瞬がアンドロメダの聖闘士に戻らないということがどういうことか、わかっているのか」
カミュが“最も神に近い男”に反駁していったのは、彼が白鳥座の聖闘士の師だったからだろう。
彼の気持ちはわからないでもなかったのだが――むしろ、わかりすぎるほどにわかったのだが――シャカはあえて気付かない振りをした。

「ハーデスとの戦いが始まろうとしていた時、もともとアテナは青銅聖闘士たちを戦いに巻き込まぬおつもりだった。戦いを忘れ、一人の人間として幸福になることを願っていらした。それを実現することは、今からでも遅くはないだろう。せめて、瞬だけでも」
シャカが、彼らしくなくカミュに遠慮したように語尾を弱める。
そして、それでもシャカは、我が身にまとわりついてくる同輩の心を、あえて振り払った。

「瞬が聖闘士に戻れなかったら、その時には私があれの面倒を見る」
「珍しいこともあるものじゃ。最も神に近い男がほだされたか。おまえは慈悲の心を持たぬ人嫌いだったのではないか?」
「もちろん、私は慈悲の心など持ち合わせていない。だが、あれはえらく生意気で、腹が立つくらい口が達者だから、他に面倒を見る者もいないだろうと思っただけだ。私の苑の世話をさせるのに丁度いいしな。私の苑に木を植えたがっていた」

「……」
その場にいた黄金聖闘士たち全員が、その発言をシャカらしくない発言だと感じていた。
敵でもなく、自分と同格以上と見なしているわけでもない者を、己れの意思を持つ存在として自分の側に在ることを許そうとする“最も神に近い男”。
これまでの彼の言動と価値観を思えば、どんな理由をつけても、それは不自然なことだった。

同輩たちが自分に奇異の目を向けていることに気付いたシャカが、居並ぶ黄金聖闘士たちに(一見)落ち着き払った様子で、言葉を継ぐ。
「私はそうは思わないが、おまえたちは それがあの子の幸福だと考えているのではないか」
「……」
真意の読めないシャカの言葉に、その場にいた黄金聖闘士たちは 揃って口をつぐむことになったのである。

瞬がその身を冥府の王の依り代として利用され、地上に害を為すことになった冥界との戦い。
その戦いで仲間を失ってしまったことを瞬が思い出すことは、確かに瞬に絶望だけをもたらすものだろう。
黄金聖闘士たちは皆、そう考えていた。
しかし、仮にもアテナの聖闘士が、“忘れること”で、自らに与えられた悲しみや苦しみから逃げようとすることなど あっていいことではない。
アンドロメダ座の聖闘士にそんな甘えを許そうとするシャカは、彼等の知っている乙女座の黄金聖闘士ではなかった。






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