途端に氷河はパニックに陥ったのである。
瞬は裸だった。
少なくとも、氷河の目に見えている部分と見えていた部分――肩、腕、胸、背中は、何にも覆われていない。
上半身は確実に裸である。
そして、氷河も 通常就寝時には衣類を着けずに眠る人間だった。
パジャマ等の夜着と寝具の擦れる感じが、彼は嫌いだったのだ。

つまり、『裸の瞬が、裸の男の隣りに眠っている』――それが、眠りから覚醒した氷河に認めることのできた現状だった。
しかも、その“裸の男”が自分なのだ。
現状認識ができた氷河を次に支配したのは、『なぜだ』という疑問文と、そして混乱だった。
命を懸けた戦いを共にしてきた仲間であるところの瞬が――命を懸けた戦いを共にしてきた仲間でしかない瞬が、昨日まではそれ以上の何かではなかった瞬が、裸で、(裸の)自分の横で、なぜ こんなにも安らかな寝顔を見せているのか。
あろうことか氷河は、この現状を実現するに至った過程の記憶を全く有していなかった。

氷河は必死で夕べの記憶を取り戻そうとした。――裸の瞬の横で。
こんなとんでもない事態は どうすれば起こり得るのかを、必死になって考え始めた。――裸で眠っている瞬の隣りで。

まず考えられるのは、過度の飲酒がこの事態を招いたのではないか――ということだった。
朝 目覚めて昨夜の記憶がないという時に考えられる、最も一般的な理由である。
記憶を失うほどに泥酔して、そして何をしたのか。
今はまだ仲間にすぎない瞬を無理矢理ベッドに引き込み、裸にし、その上、それ以上のこと――夢の中でなら幾度も経験していた あの行為を実行してしまったのか――。

あるいは、酔っている氷河の許に、瞬の方が押しかけてきたということもあり得る。
可能性としては極端に低いと思わざるを得ないのだが、しかし、それも論理上ではありえないことではない。
実は瞬も氷河という男を憎からず思ってくれていて、たまたま昨夜 突然大胆かつ積極的な気持ちになった瞬は、自分から服を脱ぎ、“ただの仲間”のベッドに潜り込んできた。
それはありえることだろうかと己れに問いかけた氷河は、残念ながら その首を横に振らざるを得なかった。
それは、あまりにも希望的かつ楽観的に過ぎる考えである。

そもそも氷河には、昨夜自分が酒を飲んだ記憶がなかった。
記憶を失うほど酩酊した人間でも、大抵は、自分が酒を飲んだことくらいは憶えているものだろう。
氷河は、しかし、酒を飲んだ記憶を有していなかった。
それどころか、彼は、昨夜自分がシラフで、そして もちろん一人で、いつも通りに就寝した事実を記憶していたのである。

では、『氷河は泥酔していなかった』と仮定することにしよう。
氷河が目覚めた場所は彼自身の部屋だったので、となると、まず瞬が部屋を間違えたということが考えられた。
この場合、正気を失っていたのは、瞬の方だったということになる。
もちろん瞬は未成年であり、また、未成年は飲酒喫煙をするべきではないというルールを犯す人間でもない。
瞬が泥酔していたという可能性は皆無だったが、人間が正気を失うのは酒によるものとばかりは限らない。
たとえば世の中には夢遊病という病も存在するのだ。
瞬がそんな病を患っているという話を、氷河は聞いたこともなかったが。

酒や疾病等に起因するものでない可能性はどうか。
昨夜停電が起きて城戸邸内の空調が切れ、涼を求めた瞬が 氷雪の聖闘士の横に潜り込んできた――ということは考えられるだろうか。
つまり、瞬が白鳥座の聖闘士をクーラー代わりにしようとした可能性である。
氷河は、その可能性を即座に却下した。
夏は既に終わっている。
現在の日本国は、空調が切れていても、寝苦しさを覚えるような気候ではなくなっていた。

次に氷河が考えたのは、自分が記憶喪失になってしまった――という可能性だった。
実は自分と瞬は以前からそういう仲だったのに、昨夜何らかのトラブルが起きて、自分はその事実を忘れてしまったのではないかと、彼は想定してみたのである。
もし自分が1年分の記憶を失っているのだとしたら、どうだろう。
自分は現在を西暦NNNN年の9月だと思っているが、実際の日付はその1年後なのではないか。
頭に何らかの衝撃を受けた白鳥座の聖闘士が、1年分の記憶を失っているとしたらどうだろう。
失われた空白の時間に 二人はそういう仲になっていたのに、氷河という不幸な男は、その幸福な時間の記憶をすべて失ってしまったのだ――というのは。
いくら何でも馬鹿げている――と思いつつ、氷河はそんな可能性までを考えたのである。

悩みに悩み抜いたあげく、氷河が至ることのできた答え。
それは、『これは自分一人で考えていても、正答に至ることのできない謎である』というものだった。
いくら悩み考え続けても、昨夜の記憶がない者に(あるいはもっと長い期間の記憶がない者に)、現状に至った経緯がわかるはずがないのだ。
となれば、今 氷河が他の何にも優先して確かめなければならないことは、こうなった経緯ではなく、むしろ、夕べ自分は“それ”をしてしまったのかどうかということだった。






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