「出てって!」と怒鳴る瞬に部屋から追い出されたのは、氷河の方だった。
そこは氷河の部屋だったのだが。
そして氷河は、瞬の断固とした口調の命令に従うしかなかったのである。
素裸で(自分の)ベッドから下りた氷河は、
「ばかばか、朝から そんなもの見せないでよっ!」
と 言いたいことを言ってくれる瞬に急きたてられるように服を着け、(自分の)部屋をあとにした。

自分の家とも言える部屋を出て、そのドアを閉めたところで、なぜか氷河はほっと安堵の息を洩らすことになったのである。
何事かをしてしまったのであれば この場から逃げ出すのは卑怯だと考えて留まっていた場所から、他ならぬ瞬によって退去の指示をもらえたのだから、彼の安堵は至極当然のことだった。
何より、パニックを起こして暴れる瞬をなだめるという最悪の作業に取り組まずに済んだのだから、それは氷河にとって幸運なことですらあったかもしれない。

しかし、その安堵はもちろん一時的なものだった。
むしろ刹那的と言った方がより正確に現状を表現していると思えるほど、その時だけのものだった。
とりあえずの急場をしのぐことはできたとはいえ、なにしろ問題は何ひとつ解決していない――謎は何ひとつ解明されていないのだから。

瞬によって自室を追い出された氷河は、その足でラウンジに直行したのである。
そこには、平生通り 何のトラブルもない朝を迎えることができたらしい二人の幸運な仲間たちがいて、彼等は朝食前のひと時を、それぞれにいつも通りの様子で過ごしていた。

そんな彼等に、氷河は『おはよう』の代わりに、
「俺は夕べ、何かしたか」
という朝の挨拶を投げかけた。
何のトラブルもなく“いつも通り”であることを“幸運”と認識せず“退屈”と解しているらしい星矢が、彼の視点に立つと“幸運”そのものである氷河に向かって、
「何かって?」
と尋ね返してくる。

「泥酔していたとか、危ない薬を飲まされたとか」
「普通だったと思うけど」
「夕べ、おまえは普通にいつも通りに自分の部屋に引っ込んだ。だいたい、酒だの危ない薬だのをここに持ち込めるわけがないだろう。沙織さんが許すはずがない」
この家の絶対権力者の名を引き合いに出して、氷河の朝の挨拶がどれほどの愚問であるかを、紫龍が暗に告げてくる。
それは氷河にも納得せざるを得ない意見だった。
紫龍の主張を認めることによって、氷河の中からは、この事態の原因が飲酒や薬物使用による心神喪失や狂乱であるという可能性は消えることになった。
となると、考えられるのは、もっと深刻な病ということになる。

「今日は西暦何年の何月何日だ?」
氷河のその問いには、星矢から、氷河が記憶している昨日の翌日の日付が返ってきた。
昨夜、自分が一時的にせよ長期的にせよ記憶を失う事態に陥っていなかったとすれば、これで記憶喪失という可能性も消える。
他に考えられる可能性は、こうなると『おかしかったのは瞬』というパターンしかない。
「じゃあ、瞬に何かいつもと変わったことは」
「瞬もいつも通りだったよなー」

「みんなに『お休みなさい』って言って、氷河より先に自分の部屋に戻って、自分のベッドに入りました。ちゃんとパジャマを着てね!」
氷河が瞬に言及したところで、毛布の代わりに洋服を身に着けた瞬がラウンジに姿を現す。
瞬の不審はまだ継続しているらしく、その声には明確に棘があった。
瞬はすっかり、氷河が自分に何かをした――氷河に何かされた――のだと信じ込んでいるらしい。
性行為に至ったとまでは思っていないようだったが、衣類を剥ぎ取られ、いたずらをされた――くらいのことは考えているように、氷河の目には映った。

瞬のいつになく刺々しい声音を怪訝に思ったらしい星矢が、眉をひそめながら氷河に尋ねてくる。
「何があったんだよ」
「何と言われても……。今朝 起きたら、瞬が俺のベッドにいたんだ。一糸まとわぬ姿で」
「おまえ、瞬に何したんだよ!」
「なぜ俺が何かしたと決めつけるんだっ! 瞬に何かしようと思ったら、俺は瞬の部屋に押しかけていく! わざわざ眠っている瞬を自分の部屋に運んでからコトに及ぶような手間なことはせんっ!」

それが、今となっては、氷河のたった一枚の切り札だった。
全裸の瞬が目覚めた場所が、加害者と思われている人間の部屋だったということが。
絶対負けなしの完璧な切り札だとは、お世辞にも言えるものではなかったが、それは氷河の無実を証明するための状況証拠にはなり得る事実だった。
酒や薬物によって人事不省に陥っているならともかく、普通に眠っているだけの瞬を彼の部屋から運び出そうとしたら、瞬はすぐにその異変に気付くはずなのだ。
アテナの聖闘士は、深く眠っている時にも敵の襲撃に備えて そういう気配が察知できるように訓練されているはずなのだから。

しかし、氷河の唯一のよりどころ、ただ一枚だけの切り札は、翌日にはあっさりと無効になってしまったのである。
結局昨夜何があったのか、そういう状況を招いたのは白鳥座の聖闘士かアンドロメダ座の聖闘士か、そしてその目的は何だったのか――幾つもの謎が解けぬまま終わってしまった一日の翌朝、一糸まとわぬ姿の氷河は、またしても一糸まとわぬ瞬の隣りで目覚めることになったのである。
昨日と違うのは、二人の目覚めた場所が氷河のベッドの上ではなく瞬のベッドの上だった――ということだけだった。

「僕のパジャマはどこっ! 氷河、僕に何をしたのっ !? 」
「俺は何もしていない〜〜っっ !! 」
悪事を働いたのは白鳥座の聖闘士ではないことを示す たった一枚の切り札を失なった氷河は、悲鳴とも怒声ともつかない声を辺りに響かせることになってしまったのである。






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