「僕、眠るのが恐い……」
この不可解な事態は、どう考えても氷河の意思によるものではない。
氷河の好意を確信することはできない瞬にも――だからこそ――これが氷河の企みでないことだけは確信できた。

超常現象と言ってもいいこの事態を恐れるからではなく、目覚めるたびに、それが氷河の意思に反することだという言葉を彼の口から告げられることがつらくて、瞬は眠りに就くことに恐れを感じ始めていた。
毎朝毎朝目覚めるたびに、『俺は瞬の隣りで目覚めたくなんかない』という意味の言葉を氷河に繰り返されるくらいなら、いっそ興味本位で氷河にいたずらでもされてしまう方が ずっとましだと思う。
そんなつらい朝に、瞬はもう耐えられそうになかった。

瞬の憔悴と氷河のパニック。
そんな二人を見兼ねた星矢と紫龍が、二人の仲間に、
「俺たちが、おまえらに 寝ずの番についてやるよ」
と提案したのは、氷河と瞬がそれぞれのベッドで全裸の目覚めを繰り返す超常現象が始まってから1週間後のことだった。
その宣言通り 氷河と瞬の部屋のドアの前に見張りに立った星矢と紫龍は、そうして その夜、ありえないものを見ることになってしまったのである。

星矢が見張りについた瞬の部屋のドアから瞬が、紫龍が見張りに立った氷河の部屋のドアから氷河が、城戸邸の廊下に姿を現したのは、深夜2時をまわった頃だった。
「瞬」
「氷河……!」
そこに星矢と紫龍がいることにまるで気付いていない様子で 互いに歩み寄った二人は、互いの名を呼び合うと、星矢たちの目の前で――つまりは深夜の城戸邸の廊下で――固く抱き合ってしまったのである。

想像してもいなかった場面を見せられて、星矢と紫龍は驚きのあまり言葉を失ってしまった。
やがて なんとか気を取り直した星矢は、思わずラブシーン熱演中の二人の間に割って入っていってしまったのである。
「おまえら、二人して俺たちをからかってたのかっ !? 」
「星矢……紫龍……?」

怒鳴り声を浴びせかけられた瞬が、そこに星矢たちがいることに初めて気付いたような目をして、声の主に視線を巡らせてくる。
瞬の瞳はどこか覚束なげで気弱げで、それでいながら奥底にちらちらと燃え上がる炎の影が見え隠れしているような、ひどく不安定な印象を与えるものだった。
こんな目をした瞬を、これまでに一度も見たことがないというわけではなかったが、それは平生の瞬とは何かが違っていると、星矢は思った――感じたのである。

「おまえたちは、氷河と瞬か」
紫龍の問いに、
「他の誰に見えるの」
瞬が答える。
「俺たちの知っている氷河と瞬なのかと訊いている」
重ねて尋ねた紫龍に大きく頷いたのは、氷河でも瞬でもなく、天馬座の聖闘士その人だった。

「誰かが氷河と瞬の身体を乗っ取ってるのか! 神様たちって、そういうの好きだもんな。そういうことか!」
やっと自分にも理解できる答えに辿り着くことができたと考えて明るい気分になった星矢に、だが瞬は首を左右に振ってみせた。
そして、抑揚のない声で告げる。

「双児宮を守護する双子座の黄金聖闘士サガは、自分の中の善の心と悪の心の分離・離反に苦しんだそうだけど、僕たちも似たようなものなのかもしれない。僕は――氷河を思う瞬の心だよ」
「俺は、瞬を思う瞬の心だ」
「へ?」
「僕は瞬の恋心なの」
「俺は氷河の恋心だ」
「なに?」
「僕は、氷河しか見えない。氷河だけがいればいい」
「俺は、瞬のことしか考えられない。瞬だけが欲しい」
「僕たちは――そういうもの・・なんだ」

単なる事実の報告をしているように感情の乱れを見せず、氷河と瞬(の恋心?)は、彼等の仲間に、そういう言葉で自分たちが何者であるかを知らせてきた。
星矢が二度目の絶句をする。
「氷河だけ、瞬だけがいればいい……って、戦いは? 地上の平和と安寧はどうなるんだよ!」

星矢が得体の知れない二人の人間にまずそんな疑念を投げつけることになったのは、氷河と瞬の恋心(だけ)が二人の身体を支配することが可能なのかどうかということを考えるより先に、二人が発した言葉そのものへの反応が出てしまったからだった。
それはアテナの聖闘士が口にしていい言葉ではない。
そんなことを言う氷河と瞬は、彼の仲間の氷河と瞬ではなかったのだ。

「そんなものには全く興味がない。そんな雑念を抱えているせいで、この男は――氷河は、いつもいつまでも俺の瞬を悲しませる」
「そんなものさえなかったら、僕は瞬の身体を夜だけでなく支配できて、いつも僕の氷河の側にいられるのに……!」

アテナの聖闘士の第一義を『雑念』と言い切る氷河と、そんなものがなかったらと願う瞬。
これは確かに、星矢と紫龍の見知っている氷河と瞬ではなかった。
氷河と瞬の中から分離した恋心だという彼等の主張も、あながち嘘とは思えない。
瞬の言葉から察するに、この二人は本体が眠っている時にしか独立した活動を行なえないらしいが、そうであることに星矢と紫龍は――二人の恋心には悪いが――安堵の思いを抱くことになったのである。
星矢と紫龍には、状況が少しずつ理解でき始めていた。






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