「おまえらは、氷河の一部と瞬の一部にすぎない――って解釈していいのか? そのおまえらが本来の氷河と瞬の総合的人格を無視して、その……勝手にナニしてるのか?」
「おい、星矢」
単刀直入に過ぎる星矢の物言いに、紫龍が眉をしかめる。
「だって、そこが肝心のとこだろ!」
星矢は、紫龍からのクレームをきっぱり無視した。

氷河(の姿をしたもの)が、残念そうに首を横に振る。
「それはできない」
「できない? こうして、氷河と瞬の身体を好きに動かしてるのに?」
星矢にしてみれば、それは当然の疑問だった。
世界の平和も人類の安寧もどうでもいいと考えている二人には、他にすべきことも したいこともないだろう――というのが。

そんな星矢の疑問に答えてくれたのは、瞬(の恋心)である。
「あれは……あの行為は、恋する気持ちだけじゃできないの。僕が氷河を好きな気持ちと、氷河が僕を好きな気持ちだけじゃ……僕たちだけじゃ、少なくとも満足する接合は実現できない」
瞬(の恋心)は、つらそうにそう言った。

「あれをうまくやり遂げるには、恋心だけじゃなく、雑念も必要なんだ。俺にしてみれば邪魔でしかないアテナの聖闘士としての義務感や嫉妬や、氷河が瞬以外に大切に思う者たちへの気持ち、嫌いな奴を嫌う気持ち、過去の思い出、未来への希望、何もかもすべてを内包した心と身体で、瞬と一つになって初めて、氷河は本当の満足を得る。俺たちは、氷河と瞬に早くそういう体験を持ってほしいと思っているが、俺たち自身は――俺は、瞬が俺の側にいてくれるだけで生きて存在していられるんだ」

「僕も、僕の氷河がいてくれるだけでいいんだ。氷河と瞬にそうなってほしいって僕が思うのは、“氷河”がそれを望んでるって、僕の氷河が教えてくれたからだよ」
「俺と俺の瞬があんな真似をしたのは、“瞬”が“氷河”とすべてを分かち合うことを望んでいると、俺の瞬が教えてくれたからだ」

「じゃ……じゃあ、氷河と瞬が、ここんとこ毎日 裸で同じベッドで目を覚ますことになってたのは、おまえたちが本体を無視して、そう仕組んだからなのか?」
くらくらと目眩いを覚えつつ 確認を入れた星矢に、あろうことか瞬(の恋心)が、悪びれた様子もなく頷き返してくる。
「大抵は、裸で好きな人と同じベッドにいたら、危ない気持ちになるものでしょう?」
星矢の目眩いは、更に激しくなった。

「一人でいる時には そのことしか考えていない助平野郎なんだから、裸の瞬を見たら、自分のものにしたい衝動に負けるかと思ったのに、氷河の奴……」
まるで他人事のように、氷河(の恋心)が氷河を非難する。
彼が忌々しげな顔になる気持ちも、星矢にはわかるような気がした。
彼と瞬(の恋心)が二人がかりで用意した据え膳を、氷河は未だに食していないのだ。
氷河(の恋心)にしてみれば、それは瞬への失礼だという考えもあるのかもしれなかった。

「それでも どうにもならなかったのか? 氷河は本当に瞬に何もしてないのか?」
「ああ。奴はパニックを起こしてあたふたすることしかできずにいた。瞬を傷付けたくないだの、瞬に軽蔑されたくないだの、余計なことばかり考えて、瞬が本当に望んでいることが何なのかに、あの馬鹿は気付きもしない。あれが自分だと思うと、俺は情けなくて腹が立って、いっそこの俺が氷河の身体をすっかり支配してやろうかと思うくらいだ」

「そんなことができるのか?」
紫龍は、彼等が氷河と瞬の身体を支配できるのは、二人の本来の人格が眠りについている時だけなのだろうと察して、この事態をさほど切実なものと考えていなかった。
氷河(の恋心)の呻きにも似た訴えに、彼は初めて一抹の不安を覚えることになったのである。

「できる できないの問題じゃなくて、このままだと、いつかはそうなってしまうよ。氷河が自分の恋は報われていないと思ってて、瞬が自分の恋は成就しないって思っている限り、僕たちは二人の中でどんどん大きくなっていくんだもの」
「そ……それだけは思いとどまってくれよ! それはいくらなんでもまずいって!」
思わぬ方向に暴走しかけている氷河(の恋心)と瞬(の恋心)に、その暴走のもたらす結果を想像して、さすがの星矢が青ざめる。
瞬(の恋心)は、そんな星矢に不思議そうな目を向けてきた。

「どうして? 僕にすべてを支配されたら、瞬は幸福になるよ。僕は氷河のことしか考えていない。氷河もそうだっていうことを僕は知ってる」
だが、それは本来の氷河ではない――本来の氷河の一部でしかない。
「俺は瞬のことしか考えていない。瞬もそうだということを知ってる。瞬が そういう瞬になり得ることを知っている」
しかし、それもまた、本当の瞬ではないのだ。

「だが、それは本当の恋の成就ではないということを、君たちは知っているんだろう?」
「……」
紫龍に諭されて、氷河(の恋心)と瞬(の恋心)は沈黙した。
紫龍の言が正しいことを、彼等は知っているようだった。
人は、好きな人を思う心だけでは生きていけない。
矛盾した話だが、恋をするには、恋以外の思いも必要なのだ。
人が一人だけでは生きていけないように、恋情もまた、他の感情や思考によって存在し得るものなのだから。

「氷河は……氷河は まだいいの。氷河は瞬を傷付けたくないって思ってくれてるだけなんだもの。なのに瞬は意気地なしで、ちょっと勇気を持てばいいだけのことができなくて……」
それでも――瞬(の恋心)は、自分を責めずにはいられないのだろう。
彼は、氷河のことだけを思う存在なのだから、それは当然の怒りなのかもしれなかった。

「いや、瞬は悪くはないぞ。瞬は少し引っ込み思案で恥ずかしがっているだけなんだからな。氷河がそこを察してさっさと行動に出ればいいんだ! なのに、あの馬鹿ときたら! あの男は、どこまで愚図なんだ!」
氷河(の恋心)は氷河(の恋心)で、己れの宿主の不甲斐なさに腹が立ってならないらしかった。

「僕たちの力は日ごとに大きくなってる。こんなに僕が強く大きくなっていることを、瞬がいつまでも気付かずにいたら、僕を実際の言動で表に出して、僕を少しでも満たしてくれなかったら、僕は欲求不満で瞬の中で肥大し過ぎて、瞬はそのうち自分を制御できなくなるよ。そうして、僕だけに支配されてしまったら、瞬はおそらく破滅する」

「それは氷河も同じだ。だいたい、あの男には思い切りとか強引さとかいうものがなさすぎるんだ。瞬を傷付けたくないなんて、ご大層な言い訳で自分をごまかして、その臆病がかえって瞬を傷付けていることにも、俺の独立した力を増すのに役立っているだけだということにも、奴は全く気付いていない。キスひとつ、セックスひとつ、いや、瞬に一言『好きだ』と言ってくれるだけで、俺は奴自身に同化する気になれるのに……!」

「うーん……」
恋心たちの訴えは、実に切実である。
恋心というものを、自分が誰かを恋しているという感覚を、いったい人はいつ どうやって自覚するものなのだろう。
そして、それがどれほど強く大きなものに成長しているのかを、どのようにして知るのか。
もしかしたら、永遠に気付かず自覚せず、死の時まで、恋心を眠らせたまま、自分が苦しい訳もわからずに過ごしてしまう人もいるのかもしれない――。
そう、星矢は思ったのである。

ともあれ、氷河と瞬(の恋心)がこれ以上本体から分離独立する現象だけは、どうにかして食い止めなければならない。
そうしなければ、恋愛至上主義者になった氷河と瞬は、アテナの聖闘士でいられなくなってしまうに違いなかった。






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