「リビュア卿に弟君がいるとは聞いていなかった」 当たり障りのない話題を見付けだすのに、ヒョウガは苦労することになった。 苦労の末に持ち出した当たり障りのない話題に、シュンが 大いに当たり障りのある答えを返してよこす。 「ずっと都にある館の方で暮らしていたので……。今度、兄がミュシアの領主に封じられることが決まって――あの、リビュアの領地は僕に与えられることになったんです」 シュンは、ひどく言いにくそうな顔をして、ヒョウガにそう告げた。 シュンの兄に与えられるというミュシアの領地は、スキュティアほどできなかったが相当に広い領地で、しかも都に近い場所にある。 もともとその地を所有していたのは、現在の王から王位をかすめとろうとした妾腹の王子だったので、その領地を没収し腹心の者に与えることは、当然にして必然の処置だったろう。 だが、リビュアの領地がシュンに与えられるというのは、ヒョウガにも意外としか思いようのないことだった。 シュンはまだ10代の、言ってみれば子供である。 どんな功績の報いとして、王はかの地をシュンに与えることを決めたのか――。 もしかしたら、シュンの功績は その美しさなのではないかと思った途端に、ヒョウガは嫉妬に胸を焼かれることになったのである。 いくら美しいとはいえ シュンは少年なのだし、現王は、長い内乱の時期に 彼に忠誠を尽くした重臣の娘を王妃に迎えていたので、それは下種の勘繰りだとは思ったのだが。 「すみません。リビュアが、本当はあなたが治めるべき土地だったのだということを、昨日知らされました」 シュンが心底から申し訳なさそうに言うので、ヒョウガは王の措置に怒りを覚えることができなかった。 「いや……」 それは仕方のないこと――考えようによっては、自業自得でもあった。 領地のことばかり考えて、ヒョウガは現王の即位式後、一度たりとも王のご機嫌伺いに出ていない。 事実上 空いている領主の座を誰に与えるかの決定は、王の権限によって為されることなのだ。 母が生まれ育ち愛した土地。 その土地を自分の手で一層豊かで美しい場所にしたいというのが、ヒョウガの宿願だった。 その気持ちは、そう容易に消し去ることのできるものではない。 だが――。 その地を他の誰かに奪われるのは我慢ならないことであったが、それがシュンだというのなら、むしろ シュンほどリビュアの地を治めるのにふさわしい者はいないだろうと思える。 そうして リビュアの地は、ますます自分の憧れの地になるのだ――と、ヒョウガは思った。 しかし、領主としてシュンがリビュアに着任するということは、シュンがその権利を有しているということになる。 ヒョウガはその事実に驚かないわけにはいかなかった。 「君は騎士なのか」 「ええ」 「この手に剣を――」 持つことができるのかと言いかけて、その手に触れようとしたヒョウガは、慌てて自分が口にしようとした言葉を喉の奥に押しやり、シュンの上に延ばしかけていた手を己が身の方に引き戻した。 シュンに触れようとしたことと、まるで炎の熱さに驚いたようにその手を引き戻したこと。 いったいどちらの方が より無作法で不躾なのか、ヒョウガには判断がつきかねた。 いずれにしても、それはシュンの気を悪くさせることには違いないと、ヒョウガは自分の無思慮な所作を後悔した。 シュンは、だが、相変わらず その顔に笑顔を浮かべたままである。 むしろ楽しそうに、シュンはヒョウガに、 「剣も持てないように見えますか?」 と尋ねてきた。 「そういう意味では――」 口ごもったヒョウガの手に、シュンが その指先を伸ばし、触れる。 シュンを不快にする違いないと思った行為が、逆にシュンにされてみると、それは不快どころか、ありえないほどの快さを伴った行為だった。 優しい感触。 シュンは眼差しだけでなく、その手の感触も仕草もヒョウガの母に似ていた。 事実そうなのかどうかは、この際、ヒョウガにはどうでもいいことだったのである。 ヒョウガはそう思い込みたいだけだったのかもしれないが、そう思えてしまったものは仕様がない。 『この手は剣を持てない』と思うのではなく、持たせたくない――と思う。 剣などという不粋なものは、シュンには似合わない。 シュンに剣を持たせるくらいなら、俺が盾になって戦いたい――ヒョウガはそう思った。 その時シュンが何かに驚いたように目をみはったことに、ヒョウガは気付かなかった。 少年とわかっても諦めきれない人が、触れ合えるほど側にいる――実際に触れ合っている。 ヒョウガは、自分の足が地に着いている気がしなかった。 (それにしても可愛い。綺麗だ。声が心地良くて、表情が温かい。マーマには似ていないのに、印象が重なる) (抱きしめたい。シュンはどう思うだろう。そんなことをしたら、あの憎たらしいツラをしたシュンの兄は烈火のごとく怒り狂うに違いない。それでも抱きしめたい――。どうすればそうできるんだ……) シュンの指の優しさに酔い、望んでも叶うことのない考えに囚われている自分に気付き、ヒョウガは はっと我にかえった。 不自然な沈黙を作ってしまったのではないかと慌て、急いで場を取り繕う。 「俺は、リビュアの領主になり、あの土地を取り戻したいというのではないんだ。俺は、俺の母が生まれ育った場所を自由に訪ねられる権利が欲しいだけで――」 そこまで言ってしまってから、セイヤにいつもからかわれているマザコン振りを自分から暴露してどうするのだと、ヒョウガは自らの軽率に腹立ちを覚えることになった。 「あ、いや。いちばんの目的は、もちろん領民が安心して働けるようにすることだが」 とってつけたように、ヒョウガは言葉をつけたしたのだが、きまりの悪さは拭い去れない。 それでもシュンは気を悪くした様子は見せず、やはり優しい目をして微笑みを浮かべたままだった。 それが からかいの種になるようなものでいい。 今はとにかく、シュンを側で見ていられる理由がほしい。 シュンを帰してしまいたくなかったヒョウガは、シュンをその場に引きとめるために、彼が最も雄弁になることのできる話題――母の話――を懸命に語り続けた。 |