氷河の話を聞いたアテナは、不安と不審の入り混じった眼差しを彼女の聖闘士に向けてきた。
不安より、少しく不審の気持ちの方が大きかったかもしれない。
彼女は“神”の一柱として、自分の同輩である神々を、そこまで学習能力の欠如した存在だとは思いたくなかったのだ。

聖闘士たちを統べる者としても、彼女は、神々に対して同じ希望を抱いていた――神々に学習能力のあることを期待していた。
敵に学習能力がないということは、すなわち、敵は“懲りる”ことを知らない存在だということでもあるのだ。
それは、アテナの聖闘士たちの戦いが、神々が存在する限り終わらないということなのである。
馬鹿な敵ほど恐ろしいものはない。

「海神ポセイドン、太陽神、冥府神ハーデス――これまで、名だたるギリシャの神々が、アテナの聖闘士たちによって その野望を打ち砕かれてきたわ。彼等のあとに出てこれる神となると、それは当然、彼等以上の力を持った神ということになると思うの。そんな神は――いないこともないけど、でも……」
そのレベルになると、さすがに馬鹿はいない――というのが、沙織の考えらしかった。

「ギリシャ神話で特に卓越した神というと、まず主神ゼウス、そしてアテナでしょう。しかし、まさか主神ゼウスが そんな二番煎じ――いや、二番煎じどころか出し殻のような真似をするとは思えないし……。なにより彼自身が、自分の父を倒して神々の父の座に就いた経歴の持ち主です。彼は、自分の子であるアテナと戦うことに不吉を覚えるかもしれない。また同じことが起きないとは限らないわけですしね」
切れると理屈も論理もなくなるが、平生は至って慎重派の紫龍が持ち出したのは消去法だった。
対象が限られている場合にのみ有効な その手法では、もちろん、この場合は正答に至ることはできない。

「あの……僕、以前から、もし愛の神が僕たちの敵にまわったら、アテナの聖闘士は戦いようがないんじゃないかと心配していたんですけど……」
瞬が、遠慮がちに、彼の不安を口にする。
沙織は、それにも首を横に振った。

「それはないと思っていいわ。ギリシャの神々の中に『愛の神』と言われる神格を持つ者は――確かにひとり、愛と美の女神がいるけど、でも彼女の司る愛は性愛であって、人類愛とか そういうものではないのよ」
それは象徴的な事実だった――『人類愛を司る神はいない』。
現在、事実上その概念を司る立場にいるアテナでさえ、『愛を持たない人間は滅んでもいい』と断言している。
すなわち、それは、神に頼らず 人類自身が自らの手で創り構築するしかないものである――ということなのだ。

「でも、性愛のカミサマって、いかにも氷河にとりつきそうなカミサマじゃん」
星矢の意見にも、沙織は首を横に振る。
「それはないと考えていいでしょう。彼女は、自分の名前を魚座の黄金聖闘士にパクられたというので臍を曲げているそうだから。そういう意味では害のない女性なの」
「……」
全く論理的でないにも関わらず納得できてしまうことというのが、この世には確実に存在する。
星矢は、沙織に知らされた事実に納得し、自身の意見を早々に取り下げた。

「では、オリュンポス神族よりふるい神々――ティターン神族はどうです。クロノス、ウラノス、ガイア……」
オリュンポスの神々ほどには人間的でなく理性的でもなく、より根源的で野蛮で強大な旧き神々。
彼等は、考えようによっては、性愛の神より氷河に同調しやすいかもしれない。

氷河は、“あいつ”に最初は夢で出会ったという。
その時から異様に小宇宙が増大し、自分では制御できなくなったのだ――と。
実際に氷河の小宇宙は増大を続けていた。
氷河に強大な力を持つ何者かが関与していることは、疑いようのない事実だったのだ。

アテナとアテナの聖闘士たちは、結局その場では結論らしい結論に至ることはできなかった。
沙織はただ、増大する氷河の小宇宙を抑えるために、彼を聖域に連れていくことだけを決定した。
アテナの結界の張られている聖域に氷河の肉体を閉じ込め、そこで、彼に影響を及ぼしている何者かの正体を探ることにしたのである。

沙織の決定に、氷河は素直に従う意思を見せた。
そして、彼は、瞬の同行を頑なに拒否した。






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