臣下の礼

− I −







新王の治世の前途は多難である。
その事実はヒョウガも認めていたし、彼はまた 新王に同情してもいた。
なにより、新王が王位に就くことになったのは、彼の父である前王の死によるものであることに。
そして、前王の死は突然のことで、次代の王と目されていた人物はもちろん 他の誰も、新王のこれほど早い逝去を予期していなかっただろうことに。

前王はまだ40代。健康かつ頑健な身体の持ち主だった。
人生への情熱を失っておらず、ほどよく分別を身につけた30代半ばで王位に就いた彼は、即位後すぐに素晴らしい外交手腕を発揮して、長く続いていた諸外国との戦をすべて終わらせ、打ち続く戦で疲弊していた国力の回復に努め始めた。
外交・内政を絶妙のバランス感覚で操り、磐石とは言い難いものではあったが、その王権を10年以上維持し続けた賢王。
極力 戦を避けたため、華々しさには欠けた治世だったかもしれないが、戦続きの日々に疲れきっていた国民の人気は絶大だった。
そうして戦乱の傷も癒え、民の生活がやっと豊かになり始めた頃、あと20年は続くだろうと思われていた彼の治世は突然断ち切られることになってしまったのである。

雇用対策として計画された橋梁工事現場を視察中の落馬事故。
国民には人気があったが、貴族――特に軍閥貴族――には疎ましがられていた王の突然の事故死は、実は暗殺だったのではないかという噂も流布している。
事実はそうではないようだったが、そんな噂が生まれるのも、とどのつまりは彼の死を悼む国民の 遣る瀬なさと不安の表れなのだろうと、ヒョウガは思っていた。

ともあれ、そういう経緯で、この国とこの国の王位は、前王の息子である王子の手に委ねられることになった。
新しい王は、これまで実際の政治に携わった経験がなく、無論、実績もない。
しかも、まだ年若い。
慕っていた王の息子に期待したいという気持ちはあるにしても、国民はみな不安なのだ。

その上、王国には、王よりも広大な領地と力を持つ公爵家がある。
北の公爵家と王家は、10年前まではこの国の支配権を巡って、常に対立していた。
国状が10年前に戻ってしまうのではないかと懸念する者がいる一方、そうなることを望む者も確かに存在する。

その公爵家の爵位を継いだばかりのヒョウガの許には、現に、前王の死後、王位簒奪をそそのかす誘いが引きもきらずに舞い込んできていた。
それだけでも、新王が貴族たちに侮られていることがわかる。
新王はよほど人望のない人物なのかと思いかけ、そう決めつけるのは早計と、ヒョウガは自身を戒めた。

ヒョウガに王位簒奪をそそのかす者たちの多くは武人で、平和の時が長く続いたために国政への影響力を失いつつある者たちだった。
政治を知らない新王は、おそらく即位後も前王の平和路線を継承するだろう。
現状が続けば彼等の不遇は何も変わらないが、王位が公爵家に移れば何かが変わるかもしれない。
王位簒奪に協力し、その企てが成功すれば、相応の恩恵に預かることもできるだろう。
そして、やがては騒乱を国外にも広げ、国政を左右する力を己が手に握りたい――。
そういう野心が、陰謀家たちにはあるのだ。

彼等には、前王だろうが新王だろうが、戦を忌避する王はすべて無能なのである。
そして、決してヒョウガに王としての資質があると認めて、ヒョウガに王位簒奪をそそのかしているわけでもないのだ。
彼等の言をそのまま信じることは危険だった。

軽々に新王を無能と断じることを避けなければならないもう一つの理由は、新王――つい先日までの王太子――を知る者が極端に少ないためでもあった。
前王は、これまで、次期国王と目される一人息子を公式の場に出すことがほとんどなかった。
身体に一目でわかる障害があるため、知能に問題があるため、あるいは、前王は早くに妻を亡くしているので、たった一人の王位継承者を風にも当てぬように隠し育てているのだ――等々、理由はあれこれと取り沙汰されていたが、それらはすべて噂にすぎず、真実を語る者は誰もいない。
王太子に近しい者たちは、みな揃って口が固かった。

更に、ヒョウガが早まった判断を避けようとする3つ目の理由。
それは前王が偉大すぎたということである。
比較する相手が、この国の建国以来最高の賢王と言われている父王となれば、新王の評価はどうしても辛口なものにならざるを得ないだろう。
それで事実よりも過小な評価を受けることは不当だと、我が身を顧みるだに、ヒョウガは思わずにいられなかったのである。

ヒョウガの父である前公爵も、前王同様、堅実・賢明な領地経営で領民に愛され、その才に誰もが一目置く人物だった。
彼は前王の従妹である姫君を妻に迎え、前王とは足並みを揃える政策を採っていた。
その姫君――ヒョウガの母――も6年前に亡くなり、今また前王と親密な関係を保っていたヒョウガの父も亡くなった。
北の公爵家と王室を結ぶ絆は弱まりつつある。
そんな中で、公爵家の新当主と王家の新王はどう出るのか。

早速陰謀を企てる者もいるにはいたが、貴族・国民の大半は 固唾を飲んで――あるいは冷めた目で――双方の出方を見守っているのだ。
行動を慎重にしなければならないのは、新王だけでなくヒョウガも同じなのである。






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