− II −






シュンを自分のものにする。
それはヒョウガの中では既に決定事項だった。
これまでの彼の人生では、彼が望んで手に入れられないものはなかった――母の命以外。
ヒョウガは――北の公爵家はそれだけの富と権力と威信を有している。
高圧的に出れば、シュンの肉体を自分のものにすることは容易だろうとも、ヒョウガは思っていた。
だが、その際に決して欠けてはならない条件がある。
シュンに愛されていなければ、たとえその身体を抱きしめることができたとしても、二人の抱擁は何の意味もなく、何の喜びも伴わないものになるのだ。

『シュンに愛されていること』
この唯一の必須条件を満たす方策が、ヒョウガには思いつかなかったのである。
恋した相手をかき口説く方法など、ヒョウガは全く承知していなかった。
そういう人間は、これまでは大抵、向こうの方からヒョウガに近付いてくるのが常だったので、ヒョウガはその方面での技術を身につける必要を感じたことがなかったのだ。

「公爵さ……ヒョウガっ、ヒョウガ、どうしたのっ !? 」
どうしたものかと考えあぐねて横になっていたヒョウガの上に、突然シュンの悲鳴じみた声が降ってくる。
あの小さな白い手で胸を揺すられ、ヒョウガは慌てて閉じていた目を開けた。
取り乱した表情のシュンの顔がすぐそこにあり、ヒョウガはシュンの狼狽の訳を理解できないまま、おもむろにその場に上体を起こしたのである。

「何を騒いでいる。寝ていただけだ」
「寝ていただけ……って、公爵様がこんなところで」
シュンの声に非難の色が混じっているのは、当然のことだったかもしれない。
ヒョウガが横になっていたのは、伯爵夫人の館の庭にある小さな林の中の1本の木の根方だったのだ。
やわらかい寝台に慣れた貴族は、普通はそんなところで寝たりなどできない。

「好きなんだ。草の上で寝るのが。母が生きていた頃には、よく弁当を抱えてあちこちにピクニックに出掛けていた」
幸福だった頃の思い出を語って、ヒョウガが自らの貴族らしからぬ振舞いの言い訳をする。
シュンにはそれは至極納得のいく説明だったらしく、ヒョウガにそう言われたシュンは ほうっと長く吐息して、強張らせていた肩から力を抜いた。
瞳が、何かひどく綺麗なもので潤み きらめいている。

「公爵様がとてもお綺麗なので、動いていないと、まるで彫刻のようで――死んでしまった人のようで、不吉なくらい綺麗で、びっくりしてしまって……。よかった……」
その言葉と涙が演じ作られたものとは思えない――そう思うことがヒョウガにはできなかった。
だが、その死の連想は唐突なものでもある。

ごく最近、シュンは人の死に触れたばかりなのではないか――と、ヒョウガは考えたのである。
たとえば、この国の王だった人間の死――。
シュンはやはり王家に関わる立場の者に違いないと、ヒョウガは確信した。
ならば、シュンはおそらくヒョウガの敵である。
しかし、次にヒョウガがシュンに告げた言葉は、その考えとは真逆のものだった。

「おまえは俺の敵ではないのか?」
「え?」
「敵でもいい。俺は、おまえに惚れてしまったようだ。おまえが誰の手のものでもいい。頼む。俺のものになってくれ」
恋した人を口説き落とすのに、それが最も野暮なやり方だということは、人を口説いた経験を持たないヒョウガにもわかっていた。
頼んでどうにかなるものなら、この世に“恋の手管”などという言葉は存在すまい。

「頼む……って、ヒョウガは、国王より大きな力を持つ公爵様なんでしょう。僕はただの――ヒョウガに何の益をもたらすこともできない召使いです」
ヒョウガの言葉がよほど意外なものだったのだろう。
シュンは草の上にへたり込み、俯くようにして首を横に振った。

「惚れた相手にキスしてもらえるのなら、俺は喜んで おまえの前に膝を折るぞ。こればかりは身分の上下も富も権力も無意味無力、惚れた方の負けだ。おまえを手に入れるためなら、俺は全財産も投げ打つ」
野暮でも不粋でも、ヒョウガにはこのやり方しかなかった。
シュンの気を引けるような小綺麗な恋の詩など思い浮かんでもこない。
シュンがそんなものを望むような人間ではないことはわかっていても、ヒョウガがその手に有していてシュンに与えられるものは そんなものしかなかったのだ。
富や権力しか。

案の定、シュンがヒョウガの求愛に首を左右に振る。
「そんなものはいりません。僕は平和が欲しいの」
「俺は、王位などに興味はないぞ。俺が王位簒奪を企んでいるなんてのは、下種たちが捏造した勝手な噂にすぎん」
「でも、公爵様の周囲には、陰謀好きな方々が大勢出入りしていると――」
「あのうるさい奴等を黙らせることができるのなら、王になってやってもいいと思っていたが、今の俺が望むものは、おまえの恋人の地位だけだ」

こんな格好の悪い求愛をしておいて、今更 嘘を言っても始まらない。
それは、ヒョウガの本心からの言葉だった。
シュンが、彼の館に陰謀家たちの出入りを許している公爵の真意を探るように、その瞳を見詰めてくる。
しばしの間をおいてシュンがその唇から発した言葉は、思いがけないものだった――ヒョウガの求愛への返事ではなかった。






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