3日間 ローマ軍の使者に明答を与えるなと、シュンは村の長老たちに指示を残してきた。
ローマに降伏することも、王を失っても徹底抗戦するとも答えずに、話し合いが紛糾している振りを続けるようにと。
そんな指示を出さなくても、慎重に過ぎる老人たちは答えを出せないだろうし、自分の指示は遂行されるものと、シュンは踏んでいた。
事実、意見は出せても決断することの不得手な彼等は、その特技をいかんなく発揮して、ローマに確答を与えずに時間だけを費やすことをした――ようだった。

シュンの計算違いは、ただ一つ。
現時点でブリトン族と交戦している唯一のローマ軍の司令官が、僅か3日を待てないほど短気な男だった――ということだけだった。
「答えがすぐに出ないところを見ると、貴様はブリトン族にとって何が何でも必要な存在というわけではないようだな」
ヒョウガがローマ軍に捕らえられて4日目、シュンがヒョウガの許にやってきて2日目。
ブリトン族の王が閉じ込められている牢にやってきた司令官は、すべてが予想通りの展開と言わんばかりの口調で、ヒョウガに向かってそう言った。
「今夕、帝政開始の祝祭の前座として貴様を処刑する」
――と。

脱走計画は今夜、その祭りの最中に決行する予定だったのである。
司令官の宣言に、シュンは少なからず焦りを覚えることになった。
無論、そうなれば計画決行の時を早めるだけのこと――そうするしかない――のだが、それにしても気の短い隊長だと、シュンは司令官の決定を訝ったのである。
ブリタニアの諸部族は、次から次へとローマに対する反乱の烽火のろしをあげている。
もしかしたらブリトン族以外の村で、また新しい戦端が開かれたのかもしれないと、シュンは考えた。
ローマ軍がブリトン族の反乱だけに長くかかずらっていられない状況が出現したのかもしれない――と。
本来ならそれは この上なく有難い援護射撃になるはずの事態だったのだが、今はまずい――今日はまずい。

司令官の決定を せめて半日遅らせようと考えて、シュンは彼に噛みついていった。
「ブリトン族にヒョウガは必要な人間です! ブリトン族の長老たちはいつも決定が遅いだけ。けど、若い者たちは血気に逸っているから、ヒョウガを処刑なんかしたら、反乱軍は統一を失って暴走します。これまで何度もブリタニアの反乱にてこずらされてきたくせに、ローマの軍人はそんなことも学習してこなかったの!」
「なに?」

随分と口の達者な捕虜である。
野蛮人の国の王の男妾おとこめかけが何を言うかと呆れ果て、ローマ軍の司令官は嘆息しながら、その捕虜の顔を見やった。
初めて、3人目の捕虜の顔を正面から見た。

さぞかし なよなよと男好きのする淫らがましい目をした少年がそこにいるのだろうと思っていたのに、ブリトン族の王の男妾は、予想に反して、ローマ人が息を呑むほどに美しい人間だった。
顔の造作自体も見事だったが、澄んで快い緊張感を誘う眼差し、爛れたところがなく清潔そのものの印象。
10歳以上の処女はいないと言われているローマの都では ついぞ出会ったことのない清冽に、彼は目をみはることになった。
咲き腐りかけた蘭の花ではなく、天に向かってまっすぐに臆することなく伸びた野の花の白さ。
なにより、その面差しには、彼の亡くなった母の若い頃の面影が宿っていたのである。

「シュン……?」
「え?」
「シュンだな、シュンだろう!」
それは確信だった。
我が子を失った悲しみが、彼女をローマ宮廷の退廃の外に置いた。
彼が知る、ローマでただ一人の清らかな女性に、ブリトン族の王の愛人は生き写しだったのだ。

「ヒョウガ……この人、どうして僕の名前を……」
ローマ軍の司令官がローマの腐りきった貴族以下と見なしている男に、“シュン”が寄り添う。
蛮族の王が、まるで飢えに見境を失った獣から庇うように、シュンをその背後に隠したのが、彼の気に障った。
見張りの兵を呼び、牢の鍵を開けさせて、シュンを牢の外に引きずり出す。

「シュン!」
金髪の野蛮人がシュンを取り戻そうとして、その手を伸ばしてきたが、無論、彼はその身の程知らずの手を払いのけた。
いっそ、この汚らわしい男を、今この場で切り捨ててやろうかとも思ったのだが、ローマ軍の司令官という自身の立場を思い出し、彼はかろうじて その衝動を抑えることができた。
この男は、大勢のローマ兵の前で、無様に惨めに処刑されなければならないのだ。
もはや彼の頭の中には、蛮族の王を生かしておいて利用しようなどという小利口な考えは かけらほどにも残っていなかった。






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