打ちひしがれたシュンの姿が見えなくなってしまっても、ヒョウガはその面影を追い求めるように、その場に立ち尽くしていた。 「ヒョウガ……」 初めて見るヒョウガの気落ちした様子に困惑しながら――それを“気落ち”などという言葉で表していいのかどうかはともかくも――セイヤが、その名を呼ぶ。 返ってきた答えは、シュンを憎んでいる者のそれではなかった。――当然のことながら。 「仕方ないだろう。せめてシュンだけにでも生き延びてもらうためには、ああするしか」 「それはそうだけど……」 『せめてシュンだけにでも――』 それで、セイヤは知ったのである。 ヒョウガは、ローマ人の奴隷として生き延びるつもりはない。 彼は自身の死を決めたのだということが。 ただ、シュンには生きていてほしいのだろう。自身の民を失い、王ではなくなったヒョウガという一人の男は。 その決意があまりに痛々しく、悲痛で悲惨で、セイヤはまともにヒョウガの顔を見ていられなかった。 二人は、いつも二人だった。 この二人だから、あの愚図で日和見な長老たちを抑えることもできた。 圧倒的な兵力を誇るローマ軍に敵対して、だが、この二人なら奇跡を起こすこともできると民に信じさせる力が、“二人”にはあったのだ。 シュンと共にいない時のヒョウガは、大局を見る目に欠けた直情径行な男だったし、ヒョウガと共にいない時のシュンは、孤児であることもあってか、自分自身の立ち位置に自信を持てずにいるように頼りない少年だった。 だが、二人になると、二人はまるで違う二人になった。 シュンの冷静な目を得たヒョウガ、ヒョウガのため――ひいては『ブリトン族のため』という目的を得たシュン。 二人は二人でいる限り、ブリトン族の美しく輝かしい希望たりえたのだ。 ヒョウガはいつも、シュンのために自由の国を作るのだと、明るい瞳で公言し はばからなかった。 その二人が別れてしまったら、二人という“希望”を失ってしまったブリトン族の民はどうなるのだろう――? 途轍もない不安にかられながら そう考えたセイヤは、自分の懸念がまるで意味のないことだという事実を、やっと思い出した。 「……もうなかったんだな。俺たちに、帰れる場所は」 帰るべき場所、守るべき者たち、叶えたい理想、希望――すべては失われてしまったのだ。 『せめてシュンだけにでも――』 それは絶望の淵に立たされている人間としては、前向きと言っていいほどの強さ――否、やはり、それは強さなどではなく、“愛”という感情の迸りだったのだろう。 セイヤには、そう思えた。 「陳腐な筋書きだが、大変よくできましたと褒めてやろう」 そんな二人の前に、突然 シュンの兄だと名乗る男が、牢の出入り口とは逆の方角から姿を現わす。 弟の身を案じて、彼はヒョウガとシュンのやりとりを いずこかに潜んで聞いていたものらしい。 ヒョウガの下手な芝居も、彼にはばれているようだった。 「――村も同胞も部下も失った。俺はシュンに何もしてやれない」 「結構。シュンも、あれで諦めがついただろう。あとは、兵たちの前で華々しく処刑されてもらうだけだ。せいぜいローマを苦しめた部族の王らしく威厳を持って死んでくれ。それで、少しは他の反乱部族たちへの見せしめにもなるだろう」 ヒョウガの下手な芝居を見破っていた司令官は、ヒョウガが既に自身の生に執着していないことにも気付いているらしい。 ヒョウガを奴隷としてローマに連行する考えは、彼ももう持っていないようだった。 「シュンは……本当にシュンを大切にしてくれるんだろうな」 ブリトン族の王が初めて、ローマ人に切願するような声で念を押す。 馬鹿なことを聞く男だと言わんばかりの態度で、“シュンの兄”はヒョウガに頷き返した。 「十数年間捜し続けてやっと会えた弟だぞ。二度と離さん」 「そうか……」 ほんの2年前、一生分の知性を総動員して、『おまえを永遠に離さない』とシュンに誓った。 『“永遠”なんて概念をヒョウガが持っているとは思わなかった』 笑いながらそう言って、シュンはその身を彼の王に預けてきたのだ。 それが、僅か2年後には こんなことになろうとは。 ヒョウガは拳を握りしめて、この運命を呪った。 それでもシュンが生きていてくれるなら。 いつかは無力で愚かな野蛮人のことなど忘れ、シュンは幸福になるだろう。 そう思えることだけが、今のヒョウガに残された ただ一つだけの希望だった。 「……野蛮人に愛がないというのは嘘だったようだな」 人の心を持たないはずのローマ人が、そんなヒョウガを見やり、低く呟いた。 |