ブリトン族の掃滅を果たしたシュンの兄率いるローマ軍は、陣を移動することになったらしい。
その移動の準備を始める前に、彼は余計な荷物を捨てることにしたらしかった。

翌日、ヒョウガとセイヤは、久し振りに 牢から陽光にあふれた野外に引き出された。
ローマ軍に捕らえられた時に身につけていた鎧をまとわされ、二人は、随分といい馬にそれぞれ騎乗させられた。
処刑する者の見栄えが良ければ良いほど、その上に立つローマの偉大さを誇示できるという理屈なのだろう。
守るべき民を失った王を王と呼べるのか、それはヒョウガにもわからなかったが、シュンの兄の期待に沿って、せいぜい“華々しく”死んでやろうと開き直り、彼は司令官に命じられるまま馬を進めたのである。

だが、ヒョウガとセイヤが連れていかれたのは処刑場ではなく――ローマ軍の陣営から離れた場所にある草原――何もない草原だった。
そこで彼は、彼が手にしていたヒョウガの馬の手綱を放し、セイヤの馬の手綱を取っていた従卒にも、その手を放すように命じた。
ブリトン島の北方に広がる草原を見渡し、ゆっくりと口を開く。

「どうやら、ローマは大きくなりすぎたらしい。皇帝は、これ以上ローマの領土を拡大すると、帝国自体が崩壊すると考えている。武力でどれほど抑えつけても、貴様等のように反乱を企てる者は後を絶たず、ケルト人も飽かずローマの領土に攻め入ってくるしな」
これから死にゆく者に、ローマの事情など聞かせて何になるというのか。
訝りながらヒョウガは、彼の故郷である島の平原と、その向こうに霞む森を見詰めた。
これが見納めなのだ。美しかった この世界の。

「それ故、皇帝はここに長城を作ることを決めたんだ。その壁より北にローマは進軍しない、だから北の者もここから南下するなと、目に見える警告をここに建造する。俺が皇帝に命じられていたのは、本当はブリトン族の支配や殲滅ではなく、壁の北と南に分ける氏族を見定めることだった。長城より北にいる限り、その者たちはローマが倒すべき敵ではないことになる。――味方でもないが」

「ローマが侵略をやめる?」
ローマ人の貪欲を思うと、それは にわかには信じ難い言葉だった。
だが、決してありえないことではない。
「ブリトン族の村は、壁の建設を予定している場所より南にあったから、北に立ち退かせるためには 焼き払うしかなかった。皆、家財道具を持たせて、北に追い払った。荒れた土地だ。結局はどこぞで のたれ死ぬ運命かもしれないが、生き延びる方策もないではないだろう。今ならまだ追いつける。あの指導力のない老人たちでは、どちらに進むべきなのかも決めかねているだろうしな」

「皆が――生きているのか……」
シュンの兄が、顎をしゃくるようにして、ヒョウガの呟きを肯定する。
だが いったいなぜ――とヒョウガが問う前に、シュンの兄はその理由をヒョウガに知らせてきた。
「弟を返してくれた礼代わりだ。おまえとおまえの民を逃がしてやる。北に行け。シュンを見付けることができたから――俺の戦いもこれで終わりだ」

ブリトン族の王は、何もかもを失ったわけではなかったらしい。
彼の民は炎に巻かれ、王の無能を嘆きながら死んでいったのではなかったのだ。
ヒョウガは救われた気持ちになった。
命さえあれば、ブリトン族の民は なにしろ野蛮人、ローマ人と違ってどこにでも自分たちの生きる場所を築くたくましさを持っている。

だが――。
シュンのために自由の国を築こうとしていた男が、そのシュンを失い、たった一人で何ができるというのか。
シュンの機知、シュンの優しさ、シュンの明るさ、シュンに愛されているという誇り――それらをすべて失ってなお部族の者を統率していけるという自信は、今のヒョウガには持ち得ないものだった。

ヒョウガとは逆に、彼の希望を手に入れた男が、もはや野蛮人の王に用はないと言わんばかりの素っ気なさで、騎乗している馬ごとヒョウガに背を向け、ローマ軍の陣営に向かって走り去っていく。
セイヤと二人だけでその場に残されたヒョウガは、しばし 北の草原と、その草原に続く空を見詰めていたが、やがて低い声でセイヤに告げた。
「セイヤ、皆のところにはおまえだけで行ってくれ。俺は駄目だ、一人では」
「ヒョウガ……」

仮にもブリトン族の戦士を率いて強大なローマ軍に立ち向かってきた男が そんな情けないことを言うなと、セイヤはヒョウガを怒鳴りつけようとしたのである。
ヒョウガの気持ちはわかるし、事実もその通りなのかもしれないと思う。
それでもおまえはそんな泣き言を言うべきではないと、セイヤはヒョウガを叱咤しようとし――だが、彼はそうすることをやめた。
その必要がないことに、その時セイヤは気付いたのである。

馬の横腹を蹴って、
「わかった。先に行ってる。早く来いよ!」
と告げ、セイヤは馬を北に向かって駆け出させた。
それ以上そこにいると、二人に・・・恨まれることになるだろうと察して。






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