神 共にいまして






日本ではギリシャ正教と呼ばれることもある東方正教は、東ローマ帝国の国教として発展したキリスト教の流れの一つです。
その教えがスラヴ地方に伝わり、10世紀にキエフ公国のウラジミール1世が国教としたことで、ロシア正教会が成立しました。
東方正教が、ギリシャ正教と呼ばれることがあるのは、東方正教がギリシャ哲学と深い関わり――むしろ『折り合い』というべきでしょうか――を保ちつつ発展してきたからで、ギリシャ哲学を遮断して発展してきたカソリックやプロテスタントの流れとは、その点が大きく異なります。

日本の東方正教は、主にロシアから伝わったもので、かく言う私もロシア人。
故国がまだソビエト社会主義共和国連邦の名を冠していた頃に、自由な信仰活動を為すことのできない状況に耐えかねて、日本に渡ってきた司祭の一人です。

現在、私がこの国で主司祭を勤めている教会は、東京の片隅にある比較的小さな教会ですが、東方正教の教会の例に洩れず、建物の様式は壮麗なビザンティン様式。
鐘楼があり、扉や窓にはステンドグラス、聖堂の壁には主イイスス=ハリストスや生神女マリア、諸聖人たちのフレスコ画が飾られ、聖堂の正面中央にはイコンが安置されている、典型的なロシア正教の教会です。

そのように凝った趣向の教会芸術は、日本人には大変受けがいいようですね。
建物だけでなく、手順が細かく決まっている聖体礼儀や公祈祷の儀式等を見学にいらっしゃる方々も、毎日相当数にのぼります。
それが主の降誕祭――いわゆるクリスマス――ともなりますと、信徒はともかく予約のない一般の方の入場はお断わりせざるを得ないほどの大イベント。
ロシア正教では主の降誕祭は、グレゴリオ暦ではなくユリウス暦の12月25日である1月8日に行なうのが本来なのですが、日本ではグレゴリオ暦の12月25日に祝うことが多く――まあ、『郷に入れば郷に従え』ということです。

主の降誕祭の聖体礼儀――カソリック等で言うところのミサ――への参加希望者は年々増えており、今年は特に大口の団体予約が入っています。
日本人は、本当にこういうイベントが好きですね。

「今年の主の降誕祭の聖体礼儀には子供がたくさん来るそうで、例年より賑やかなことになりそうですよ」
私がそう告げた時、氷河さんは愉快そうな顔をしませんでした。
むしろ、あまり好ましく感じていないような様子で、訝しげに眉をひそめました。
当然のことでしょう。
信徒でない方々にも広く門戸を開いているとはいえ、ロシア正教の聖体礼儀は、詳細な段取りの決まった神聖かつ厳粛な儀式です。
だからこそエンターテイメントとして見られることも多いのですが、それは決して遊びではなく、そこには主イイスス=ハリストス――『イエス・キリスト』のギリシャ語・ロシア語読みです――の受難と愛に感謝する気持ちがなければならないものなのですから。

「賑やか?」
「賑やかにしないように気をつけるとは言っていましたがね」
いかにも不快げに私の告げた言葉を繰り返した氷河さんに、私は苦笑を返しました。
「星の子学園という養護施設の子供たちにキリスト教の儀式を見せるプランを立てた方がいらして――特にロシア正教にこだわっているわけではないようでしたが、どうせ見るのなら見応えのあるものをと考えたらしいのです。30人ほどの元気なお子さん方がいらっしゃるようですよ」

私の説明を聞くと、氷河さんは、その綺麗な顔を更に歪めました。
ですが、それは不快が募ったためではなく、むしろ戸惑いによるもののようでした。
何が彼の気持ちを変えたのか、その理由は私にはわかりませんでしたが、その時には氷河さんの表情から不快の色はすっかり消え去っていたのです。
その訳を、氷河さんは私に語ろうとはしませんでしたが。
彼はあまりお喋りなたちではないのです。

「今日これから、その打ち合わせに行くことになっています。留守をお願いしますよ」
12月に入り、私たちの教会の見学者の数は先月の倍ほどにもなっていました。
日本人はおおむね礼儀正しく、それでトラブルが起こるようなことは滅多になかったのですが、いわゆる観光客のように聖堂内で騒がれては困りますので、見学者がいる時には(言い方は悪いですが)監視人が必要です。
氷河さんにその仕事を頼むつもりで、私は彼にその話を持ち出したのです。
「こういう時、司祭は楽です。いつものカソックを着ていれば、ブラックタイを用意する必要もない」

氷河さんは、主の降誕祭に子供たちを招くことに頑強に反対するつもりはなかったようです。
私の呟きに、彼は軽く首を横に振り、そして、私の外出を阻むような言葉は口にしませんでした。
「そんな堅苦しいところでは――いや、養護施設なんでしょう」
「いえ、打ち合わせはグラード財団総帥のお宅ですることになっているんですよ。星の子学園というのは、あのグラード財団の資金で運営されている施設なんだそうです。子供たちが迷惑をかけることになるかもしれないので、事前に色々と取り決めておきたいという話でした。保険のつもりか多額の喜捨をしてくださるそうで――やっと至聖所の屋根の修繕ができそうですよ」

「……」
私の言葉を聞いて、氷河さんは黙り込んでしまいました。
彼は確かに もともと多弁な人間ではないのですが、その沈黙はひどく不自然で――何というか、喋りたいことがあるのに喋らずにいる人間の、あの沈黙に似ていました。
妙なこともあるものだと、私は思ったのです。
彼の寡黙は、話したいことがない故のことが多く、自身に沈黙を強いているからではないと、いつも私は思っていましたから。

氷河さんは、話したいことがある時に話すことをためらうような人間ではありません。
自分の胸の中に生まれた思いを語るべきか否かを氷河さんは決しかねている――ように、私には思えました。
ですから、私は待ったのです。
話すにしても沈黙を守るにしても、それは氷河さんが決めること。強いて語らせることは、私にはできませんから。

結局、氷河さんは話すことにしたようでした。
意を決したように、やがて彼は口を開きました。
「城戸邸に――グラード財団の総帥の家に行くのなら、多分、喜捨の話は沙織さ――総帥がするでしょうが、実際のこまごました雑務は、瞬……という子がやることになると思うんです」
「お知り合いですか」
「昔、ちょっと……」

その瞬さんという方と自分がどういう知り合いだったのかを、氷河さんは人に言いたくないようでした。
ですが、それは、その瞬さんという方が氷河さんにとって不愉快な人間であるからではなく――何か特別な事情があるようでした。
『瞬』という名を口にした時、氷河さんの表情は目に見えて優しくなり――これは滅多にないことです――そして、ひどく苦しげなものになりました。

それにしても、グラード財団といえば、アジア屈指――いいえ、世界でも有数の大複合企業体です。
その総帥の家の住人と氷河さんが知り合いとは。
私は、驚きを禁じ得ませんでした。






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