グレゴリオ暦12月25日。 私たちは主の降誕祭を二度執り行なうことにしました。 一度目は、午前中、一般信徒と星の子学園の子供たちのために。 二度目は、彼等が帰途に就いてから、氷河さんと瞬さんのために。 星の子学園の子供たちは、大層 元気で、健気でもありました。 一生懸命練習してきたという聖歌を心を込めて歌い、長い儀式の間も、物音一つ立てずに――とは言い難かったのですが、静かにしようと努力しているのはわかりました。 意味のわからない言葉での福音書の朗読など、子供たちには退屈極まりないものだったでしょうに。 2時間ほどの聖体礼儀が終わったあと、聖堂を出た子供たちが、厳粛な儀式の沈黙に耐えかねたように教会の庭に歓声を響かせたのも愛嬌というものです。 「すごかったなー」 「蝋燭がいっぱいで、綺麗だった!」 「シサイサマってカッコいいよな!」 子供たちはロシア正教のクリスマスの儀式にいたく満足したようで、口々に降誕祭の感想を言い合いながら、保育士の女性たちに連れられて、彼等の帰るべき場所に帰っていきました。 元気な子供たちを見送ってから、私が他の修道士たちと聖体礼儀の後始末をし、聖堂の掃除を終えたのが夕方近く。 我々――私と城戸沙織嬢――は、そして、二度目の聖体礼儀の準備に取りかかったのです。 と言っても、大したことではありません。 聖堂にある数百本の燭台に、もう一度蝋燭を立て、火をともし、乳香を焚いて、聖堂を甘い香りで満たしただけ。 いったん城戸邸に帰っていた瞬さんを、もう一度教会に呼んでくれたのは沙織嬢。 主の降誕祭に祈祷もせずに過ごすなどと不信心と言って、氷河さんを聖堂に引っ張っていったのは私です。 降誕祭当日、瞬さんに出会ってしまうことを怖れるかのように、氷河さんが自室から一歩も外に出ずにいたことは、むしろ私たちには好都合でした。 氷河さんが私に急きたてられるようにして向かった聖堂には、もちろん瞬さんがいました。 至聖所の前にあるカーテンの前で、瞬さんは ロシア正教の主の降誕祭の聖体礼儀。 聖堂では何百本もの燭台に火が灯り、ステンドグラスを幻想的に輝かせていました。 香炉は甘い乳香の香りを放ち、壁には聖人たちの絵やイコンが人々を見守るように飾られています。 日本中の恋人たちが このロマンティックなムードを求めて予約を入れてくる、聖なる空間、聖なる時間。 彼等は、それらのものを今、独り占め――いいえ、二人だけのものにしていたのです。 聖堂に入ってきた氷河さんの姿に気付くと、瞬さんはその場に立ち尽くし、すがるような目で氷河さんを見詰めました。 二人が離れて生きる事態は、氷河さんがそうすると決めて実行に移したことでしたから、瞬さんの方から彼に駆け寄っていくことはできなかったのでしょう。 それでも、瞬さんが何を望んでいるのかは、神ならぬ身の私にもわかりました。 だというのに、何と情けないことでしょう。 あろうことか、氷河さんは、瞬さんから――彼を幸福にしてくれるはずの人から――逃げようとしたのです。 彼は、瞬さんの姿を見詰めたまま2、3歩 後ずさりをし、そのまま踵をかえして聖堂から出ていこうとした。 ところが、聖堂の扉の前には城戸沙織嬢が待ち構えていて、あの疲れを知らないという右の腕で、彼を掴まえてしまったのです。 そして、勝ち誇ったように、彼女は氷河さんに言いました。 「あなたのおかげで、私は、逃がしたくないものを逃がさずにいられるくらい力持ちになったの。私のために瞬を泣かせるのは、もうやめてちょうだい。瞬がいったいどんな罪を犯したというの」 「沙織さん……」 「これは私の命令です。今すぐ、瞬を抱きしめてやりなさい」 困惑しているらしい氷河さんに、沙織嬢は、はっきりと、今 彼が為すべきことを為すように命じました。 「俺は――」 にも関わらず、氷河さんは彼の神の命令に不従順でした。 彼は ためらいを見せた。 けれど、彼の女神は、自らの信徒に甘えを許さず――実に厳しい態度で臨んでいったのです。 「瞬に幸せでいてほしいのなら、自分の良心の呵責にくらい耐えなさい。瞬を幸福にするためになら、神を軽んじ傷付けるくらい何だというの!」 氷河さんの神は、非常に過激で峻烈です。 そして、少々短気でもあるようでした。 「あなたがいつまでも自分の良心に妥協できない子供でいると、瞬はいつまでも寂しい人間のまま、死ぬまであなたを待ち続けることになるのよ。待ち続けて、きっと最後には石になってしまうわ。あなたはそれでもいいの!」 反論できるものならしてみろと言わんばかりの苛烈な叱咤。 彼女の言葉で、氷河さんは、彼が犯しているもう一つの罪にやっと気付いたようでした。 一つの罪を贖うために彼が犯している もう一つの罪――それは、つまり、何の罪もない瞬さんを不幸にしているという悲しい罪です。 「沙織さん、だが、俺は――」 「神なんてものは、人間が幸福になるために作った一つの道具にすぎないわ。人間が、その道具に振り回されてどうするの!」 神を道具と言い切る沙織嬢の言葉に、私は大変驚かされましたが、私は彼女の主張に異議をはさむことはできませんでした。 その時の沙織嬢は、人間に是非を語ることを許さない、まさに神そのものの威厳をたたえているようでしたから。 その神の表情が、ふと和らぎます。 「これは私のお願いよ。瞬を抱きしめてあげて」 切なげな瞳でそう言って、彼女は氷河さんの背を、瞬さんがいる方へと押しやったのです。 「氷河……」 その時やっと、氷河さんと瞬さんの眼差しは正面から出会い、絡み合ったようでした。 「瞬……」 愛し合う者同士の眼差しが出会ってしまったら、もはやどんな力も――当人の意思でさえ、求め合う二人を押しとどめることはできません。 次の瞬間、無数の蝋燭の炎が揺れる聖堂で、二人は固く抱きしめ合っていました。 なぜ2年間も互いに触れ合うことなしに生きていられたのか――そんなことができた自分自身が理解し難いとでも言うかのように、瞬さんを抱きしめる氷河さんの腕には、後悔と もどかしさと熱と力とが込められていました。 私には、そう見えました。 ともかく、そんなふうにしてやっと、二人は自分たちが帰るべき場所に帰ることができたのです。 美しい二人。 幸福な宵。 これほど素晴らしい降誕祭はありません。 二人の邪魔をしないように、音を立てぬよう気をつけながら、私と沙織嬢は、恋人たちのいる聖堂をあとにしたのです。 日はすっかり沈んでしまっていましたが、東京の冬は暖かい。 故郷の冬を思うと、まるで春のようにも思えます。 私の胸も、二人の幸福に触れたおかげで、大層温かくなっていました。 |