瞬は、もともと氷河とのその行為が嫌いだったのだから、それをしなくてよくなったなら大いに喜ぶだろう――と考えるのは、想像力のない人間のすることである。 瞬の仲間たち――星矢と紫龍は、もちろん想像力の欠如した人間ではなかった。 嫌いでも、氷河のためにならと耐えていた行為が 氷河のために耐えることができなくなることは、常に誰かのために何かをしていたい瞬には大きな打撃なのだろう――。 瞬の落胆振りを目の当たりにすることになった星矢と紫龍は、そう考えた。 「以前は、少しでも長く僕と一緒にいたいって言ってくれてたのに、氷河はもう そう思わなくなっちゃったの……」 氷河が瞬を彼のベッドに引き込むのをやめて1週間が経った頃。 今日も氷河の姿だけが“先に”消えたラウンジで、ついに瞬は言葉にして現在の自分の境遇を嘆き始めた。 星矢が慌てて、瞬を慰めるべく口を開く。 「いや、まあ、氷河もあれで一応人間なんだし、そう毎晩ってわけにもいかないだろ。あれ、結構体力使うし、気も遣うし。なんたって、ほら、氷河って根が面倒くさがりじゃん」 星矢の慰めの言葉が聞こえているのかいないのか――聞こえていても、それはさほど有効なものではなかったろうが――もちろん、瞬の嘆きはそんなもので癒されることはなかった。 「何もしなくても……一緒にいるだけでもいいんだ。それだけで、僕は安心できる。でも、氷河の心臓の音や氷河の体温を確かめられないところに一人でいるのは怖い……」 「あー……まあ……その何だ。うん、そういうもんだよなー……」 以前は一人で過ごすのが当たり前だったというのに、一度 二人で過ごす夜を知ってしまったら、一人きりの夜はつらく耐え難い。 瞬の訴えは、人を恋する人間として、至極普通で、至極自然で、至極一般的なものである。 星矢にも、瞬の嘆きは当然のことと思われた。 だが、氷河が瞬を避けるようになった理由を察することができるだけに、星矢は瞬をどう説得し慰めてやればいいのかがわからなかったのである。 いったいどういう運命の巡り合わせで、この年の瀬に仲間の夜の生活の心配などしなければならないのかと自分に情けなさを覚えつつ、星矢は、紫龍に助刀を求めて、その視線を龍座の聖闘士の方へと泳がせた。 瞬よりも星矢に同情したらしい紫龍が、核心に触れずに この場だけを収めることは無意味と考えたのか、単刀直入に瞬に切り出す。 「氷河は、二人で寝ることを、おまえが嫌がっていると言っていたぞ」 「僕がいつ、嫌がったりしたの!」 間髪を置かずに返ってきた瞬の答えには いささかのためらいもなく、同時に、噛みつかんばかりの勢いがあった。 星矢と紫龍は、思いがけない瞬の反応に目を剥くことになったのである。 なにしろ彼等は、瞬からは『嫌だったけど、これまで氷河のために我慢してきたのに……』といった類の気弱な答えが返ってくるものとばかり思っていたのだ。 「だって、おまえはいつも あんまり気持ちよさそうじゃないって、氷河が嘆いてたし……」 さすがに瞬の前に“冷感症”という単語を持ち出すことはできない。 星矢はなるべく過激でなく断定的でない言葉を選んで、瞬に氷河の苦悩の理由を知らせてみた。 星矢のその言葉に、瞬がしばし何やら考え込む素振りを見せる。 ややあってから、少々困惑したような口調で、瞬は星矢に尋ねてきた。 「……気持ちよさそう……って、どうするの?」 「は……?」 いったい瞬は何を言っているのかと、星矢のみならず紫龍までが、瞬の問いかけの意味を疑うことになったのである。 それは、人に聞かなければわからないようなことだろうか――と。 「いや、特にどうすべきだというルールがあるわけではないが、自然にしていたら、それは おのずと態度や表情に現われてくるものだろう。嬉しいことがあったら、笑おうと意識しなくても笑みがこぼれるように」 瞬はそういうことが得意な人間のはずだ――というのが、紫龍の認識だった。 嬉しい時に笑い、悲しい時に泣く。 アテナの聖闘士の中で最も自然に最も気負いなく、それをしてのけるのが瞬だと、彼は思っていた。 彼の認識が誤っていたわけではなかっただろう。 瞬がいつもそう振舞っていたわけではなく、そうすることで問題が生じかねないと判断した時には、瞬は自分の感情を押し殺すこともしていた――というだけで。 「自然にしてたら、僕、氷河に軽蔑される。氷河にちょっと触られるだけでも、僕、何が何だかわからなくなるんだもの。きっと変なことしたり言ったりしちゃう。僕はきっと普通じゃなくなる……」 「なに?」 「へ……?」 氷河の話と随分違うではないか――と、瞬の告白を聞いた星矢たちは思ったのである。 氷河は、瞬が性行為の間、徹頭徹尾冷静だと言っていた。 しかし、瞬の告白は氷河の主張とは全く逆、噛み合うところが全くない。 もちろん、事実は一つだけのはずである。 氷河が瞬でない瞬と、瞬が氷河でない氷河とコトに及んでいるのでない限り。 動機に乏しくトリックだけが複雑なミステリー小説のように必然性を欠き矛盾した瞬の証言に眉根を寄せつつ、星矢はその謎の解明に乗り出した。 にわか探偵が、まず 瞬の主観と意識の把握に取りかかる。 「なあ、おまえ、氷河とそーゆーことすんのが、あー……好きなのか? ほんとは楽しいとか嬉しいとか気持ちいいとか思ってる?」 星矢に問われた瞬の頬は、その瞬間、見事にぽっと赤らんだ。 言葉による説明も不要なほど、それは明瞭な回答だった。 瞬自身も、星矢の尋問に言葉で答えるつもりはないらしい。 代わりに瞬は、自分が氷河の前で“自然に”振舞うことはできないと決意するに至った経緯を、星矢たちに語ってくれたのである。 「初めて氷河と一緒に眠ることになった時――氷河は、すごく真剣な目をして、ぼくのこと好きだって言ってくれたんだ。恐いくらい真剣な目で。僕は、その……そういうこと、何にも知らなくて、だから、そのことを、これから氷河と夜も一緒にいられようになるんだ程度に軽く考えてたところがあった。それで、氷河にそう言われた時、すごく緊張して、身が引き締まる思いがした。あれは真剣にしなきゃならないことで、すごく大切で重要なことで、だから真面目に取り組まなくちゃいけないことなんだって、僕、直前になって知ったんだよ。軽い気持ちでしちゃいけない、緊張感を保った真摯な態度で氷河の誠意に応えなきゃ……って思った」 「……」 「……」 緊張感を保った真摯な態度で、 それがマナーなのだと誤解することは初心者にありがちな(?)ミスだったとしても、その決意を実行に移してしまえる瞬に、星矢と紫龍は色々な意味で大いに驚嘆することになったのだった。 |