1週間振りに氷河から寝室へのご招待を受けた瞬は、氷河の本気宣言の真の意図を理解していないだけに、その眼差しに少々の不安を見え隠れさせていたが、それでもやはりひどく嬉しそうだった。
『瞬は、氷河のために嫌なことを我慢していたのではなく、自分自身のために快楽を我慢していたのだ』という星矢たちの言葉は、もしかしたら事実なのかもしれない――と、氷河は、そんな瞬を見て思ったのである。
意思の力で、人間が本当に冷凍マグロになれるのかどうかということに関しては、氷河は今なお半信半疑ではあったが。
その夜、ともかく瞬を緊張させないように、努めてやわらかい態度と表情と声音で、氷河は瞬に挑むことにした。

「おまえは俺を好きなのか? 俺とこうしているのも?」
できるだけ軽い調子で、瞬に尋ねてみる。
瞬は隠しきれない笑みを口許に浮かべ、ほのかに目許を朱の色に染めて、
「好き」
と、実に素直な答えを返してきた。
この時点では、瞬はまだ心身のリラックスを保っている。
氷河は、その手と指を瞬の胸に持っていった。

「ここに触られるのは」
「くすぐったい」
「嫌か」
「嫌じゃない!」
「もっと触ってほしいと思うか?」
「もっと触ってほしい」
「じゃあ、ここは」
「あ……っ」
氷河が更に手と指を下方に運ぶと、何か感じる・・・・ものがあったらしく、瞬は反射的に目を閉じた。

「嫌ならやめるぞ」
焦らす意図はなく、もちろんいじめるつもりもなく、氷河は真面目に瞬にそう提案した。
瞬が、目を閉じたまま、小さく首を横に振る。
「やめないで」
「もっと?」
「もっと」
「今、どんな気分だ?」
「あ……うまく言えない……でも」
「でも?」
他愛のない会話でも、こういう状態で瞬と交わすのであれば、それはなかなか楽しい行為である。
新しい遊戯を発見した気分で、氷河は、陶然としかけている瞬の顔を興味深く見詰めていた。
が、次の瞬間。

「あ……あ……んっ」
実に氷河の男をそそる声をあげたかと思うと、瞬は即座にその声を呑み込んだ。
そして、その1秒後、氷河の胸の下にいるのは、いつものように全身を冷凍マグロもかくやと言わんばかりに強張らせてしまった瞬だったのである。
瞬の某所への氷河の愛撫が、瞬の身体の瞬間冷凍スイッチをオンにしてしまったらしい。
氷河は、慌てて、瞬の某所から手を離した。
「瞬、そんなに身体を硬くするな。もっと気を楽にしろ!」

それまでひたすら氷河に従順だった瞬が、氷河のその言葉に、反抗的に唇を噛みしめ、大きく首を横に振る。
先程までの素直な瞬は、いつのまにかどこかに消え失せてしまっていた。
氷河は、頑なな瞬の心身を再び解きほぐそうとして、瞬の頬に手を伸ばし触れてみたのである。
「あのな、瞬。こういうことは――」
「氷河が好き。氷河と一緒にいたい。氷河とずっと一緒にいたい」
「瞬……?」
「氷河に嫌われるようなこと、したくない。み……みっともないとこ見せたくない。僕は――僕は氷河が好きなの……っ!」

「……」
我が身に押し寄せてくる――あるいは、身の内から生じてくる快楽の波を意思の力で捻じ伏せることは、“この世で最も清らか”な瞬の力をもってしても、困難な事業であるようだった。
瞬はこれまで、決して容易にそれを我慢し続けてきたわけではなかったらしい。
懸命に快楽に耐えながら 氷河を好きだと告げる瞬の声はかすれ、尋常でなく苦しげでもあった。
正直なところ、氷河は、瞬のその頑なさに大いに感動してしまったのである。
瞬にここまで思われるだけの価値が自分にあるのかと疑わずにいられないほど、氷河は瞬の“真面目で真剣な”様子が嬉しかった。

「そうか……」
喘ぎ、歓喜の声をあげ、のたうちたいのを我慢して、瞬はそれらの欲求すべてを我が身の内に閉じ込めてしまう。
それが瞬の細い身体には収まりきらないほど大きくなって、瞬は最後には気を失ってしまうのだろう。

「おまえは、俺と寝るのが嫌いなわけではないんだな」
「好き……。氷河のすることは何でも好き」
氷河があらぬところに触れる行為をやめたので、瞬の冷凍スイッチは少しばかり緩んだらしい。
重く閉じていた瞼を僅かに開けて、瞬は切なげな目をして氷河に告げた。
「氷河に触れてもらえない時は、氷河のとこに押しかけていきたくなって、でも、氷河に図々しいと思われたくないから、ずっと我慢してたんだ」
「そうか。よく我慢したな」
瞬の過ぎる健気を褒めてやること以外、今の氷河にできることがあったろうか。
自身の努力を褒められて、瞬は嬉しそうに微笑を作った。

傍から見た様子は冷凍マグロでも、確かに瞬はこの行為に快感を覚えており、それが嫌いなわけでもないらしい。
その事実さえ確かめることができたなら、氷河も、瞬を更に解凍することに不安やためらいは覚えなかった。
それは、瞬に無理を強いることではなく、瞬を苦痛から解放することなのだ。

「俺はおまえが好きだから、俺も おまえがどんなことをしても、おまえを好きでいるぞ」
「え……」
氷河の囁きに、瞬が僅かに瞳を見開く。
その視線を捉えて、氷河は更に言葉を重ねた。
「おまえがどんなに取り乱しても――大声で叫んでも、子供みたいに泣きわめいても、水槽から飛び出してしまった魚みたいにのたうちまわっても、俺はおまえが好きだ」
「ぼ……僕がそんなことしても、氷河は平気なの……」

“自然に”していたら、まさに自分がしてしまうだろうと懸念していたことを氷河に言われ――言い当てられ――瞬はひどく驚いたのである。
驚いて、氷河の顔を見詰めた。
もちろん、そこには、瞬を緊張させないために糖度充填120パーセントの氷河の“優しい”眼差しが待ち構えていた。

「あまり無理をするな。我慢して内に色んなものをためすぎて、そのせいでおまえに狂われても困る」
「ぼ……僕、氷河とこうしてると、時々気が狂いそうになるの」
「なら、せめて、『痛い』と『気持ちいい』くらいは、その時だけでも言動にして発散してしまった方がいい」
「最初から最後まで気持ちいい時は……?」
瞬の真面目な質問が、氷河の男の自尊心をくすぐる。
今は、氷河こそが、発情期のトドのようにのたうちまわって、全身で喜びを表現しい気分になっていた。

「その時には、最初から最後まで『気持ちいい』と叫んでいればいい。おまえが気持ちいいのなら、俺も嬉しい」
「氷河……」
瞳を潤ませて氷河の名を口にした瞬は、どう考えても誤解していた。
本当は氷河は、彼の恋人のそんな見苦しい様を見たくはないのだが、恋人への愛と思い遣りゆえに、あまり好ましくないその事態を受け入れようとしてくれているのだ――と。
これまで自分が氷河のために快楽を耐えていたように、氷河もまた彼の恋人の我儘に耐えようとしてくれているのだと。

「氷河、ごめんね。ありがとう……」
氷河に忍耐を強いるのは、瞬の本意ではなかった。
だが瞬は、氷河の厚意に甘えることにしたのである。
今の状態が続けば、自分は遠くない未来に快楽のために気が狂ってしまい、違う意味で氷河の負担になりかねないと、瞬は心配していたのだ。

氷河と一緒に眠れなくても狂う。
氷河と一緒に眠ることができても、これ以上忍耐の時が続けば、やはり狂う。
どこかで妥協点を見い出さなければ自分の恋はいつか破綻すると、瞬は言いようのない不安に苛まれ続けていたのである。
氷河の“大人の”対応、その妥協と寛容は、瞬にとっては、まさに天から差しのべられた救いの手だったのだ。

「『気持ちいい』と『痛い』は言っていいんだね」
瞬が念を押すと、氷河はこれ以上ないほど“優しく”頷いて、瞬の心を安んじさせてやったのだった。






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