ヒョウガの母は、南仏ボルドーの貧乏貴族の娘だった。
フランス国内の不穏な空気と 家の経済状態を危惧した彼女の父は、それが娘のためと考えて、求められるまま、彼の一人娘をロシアの大貴族――ヒョウガの父――に差し出した。
もちろん、正妻としてではない。

彼の懸念は当たり、フランスでは やがて革命が勃発。
革命下に、ヒョウガの祖父母に当たる者たちは亡くなり、館も領地も革命政府に没収された。
その知らせがロシアにもたらされたのは1794年、革命下に最も急進的な政治派閥を形成していたジャコバン派のロベスピエールが処刑された年だった。

独裁的な指導者を失うことで いよいよ混沌とし始めた祖国に、ヒョウガの母は、それでも帰りたい、いつか一緒に帰ろうと、北の国で毎日 彼女の息子に囁き続けていた。
少女時代を過ごした南仏の明るい光を、彼女はいつも恋しがっていた。
焦がれたものに再び出合うことなく、19世紀に入ってすぐ――ヒョウガが10歳の頃、彼女は北の国で亡くなった。

その12年後、ロシアに大遠征を企てたナポレオン軍を壊滅させたのは、ロシアの極寒とその広大さである。
庶子とは言え大公家の血を引く者が政情の安定しないフランスに渡ることは到底許されず、ヒョウガが母の願いをやっと叶えることができたのは2年前。
母の死から14年が経っていた。

母の故郷であるボルドーに、ヒョウガは、彼女の髪だけを納めた墓を作った。
彼女自身の亡骸は大公家の墓地には入れてもらえず、共同墓地に眠っている。
ボルドーの墓こそが母の真の永眠の場だと考え、ヒョウガはフランス滞在の許可を得た半月の間、毎日母の墓と教会に通っていた。
そこで、ヒョウガはシュンに出会ったのである。
事情があって赤ん坊の頃にこの教会に預けられ、ここで育った孤児だと、教会の神父は言っていた。

不幸だった母が憧れ続けた南仏の明るい光。
その中で、悲しいほど白い頬をして神に祈るシュンの姿を、ヒョウガは天使ともマリアとも思った。
声をかけるのは、その美しい光景を壊すことのような気がして、挨拶ひとつ交さなかった。
ある日、母の墓に、自分が運んだものではない白い花があることに気付き、それがシュンの手によって置かれたものだということを、神父の口から知らされた。

「あの子は肉親というものに縁のない子で――失礼ながら、あなたのご事情を話してやったところ、あなたの母君を思う心に、いたく胸を揺さぶられたようで……」
神父は、ヒョウガにそう教えてくれた。
ヒョウガの立場では二度とこの地に来ることはできないだろうと考えたのか、世間には秘匿されていたシュンの実母の名前まで。






【next】