「俺は瞬がただの馬鹿なんだと思ってた」
その一言は余計だった。
「馬鹿野郎! どっちが馬鹿だよ! 瞬はおまえが好きなの。なのに、なんで、そんなこと言ったりするんだよ!」
星矢が俺をアタマから怒鳴りつけるのは当然のことで、だが、俺は、星矢の叱責の中に紛れていた言葉の方に驚かされたんだ。

「瞬が俺を?」
どうしてそんなことがありえるんだ。
俺は瞬を―― 一輝の弟だからという理不尽極まりない理由で、憎んでさえいたのに。
問い返した俺の顔は、よほど間抜けなものだったらしい。
星矢は、世界でいちばんの大馬鹿者を見るような目を俺に向けてきた。

「見てりゃわかるだろ、おまえは瞬の“特別”なの。おまえは目が見えてないのかよ!」
星矢の言葉は辛辣で、そして正しかった。
それは、おそらく、見ていればわかることだったんだ。
瞬が毎日“ついで”で俺にお茶をいれてくれる訳、そのお茶に毎回ジャムを添える訳。
駄々をこねればコーヒーまでいれてくれて、俺に取りついた根性悪のウイルスも怖れない瞬。
理性がある人間なら、そこから ある一つの結論を導き出すことは、至極容易な作業だ。
悟性と理性に欠陥があったのは、瞬じゃなくて俺の方だったんだ。

「しかし、俺は――」
瞬を傷付けることにばかり腐心していた俺が、俺に対する瞬の好意になんて考え及ぶはずがないだろう。
「星矢、そう氷河を責めるな。瞬がそこまで悪趣味とは、さすがの氷河も思っていなかったんだろう」
いきり立っている星矢を、紫龍がたしなめる。
病人相手に言いたいことを言ってくれるもんだ。
事実だから――俺は何も言い返すことができなかったが。
それでも星矢は気が治まらなかったんだろう。
星矢は、奴らしくない皮肉を俺に投げつけてきた。

「望み通りになってよかったじゃん。瞬は傷付いて、泣いてる。おまえのせいで。おまえの魂胆を知らされて傷付いたからじゃなく、自分の兄貴のせいでおまえが傷付いたことを知ったからだ」
「……」
それは星矢の推測にすぎない。
だが、星矢の推測は正鵠を射たものとしか思えなかったから、俺はやっぱり奴に反論することができなかった。
そんな俺に苛立ったのか、星矢の語気が更に荒くなる。

「わかってんのか! 瞬が泣いてたのは、おまえが傷付いてるからなんだぞ!」
「瞬を傷付けようと思ったら、瞬以外の誰かを傷付けるしかないからな。一輝が今ここにいない現状では、おまえが傷付くのがいちばん手っ取り早いやり方ということになる。おまえが傷付けば、おまえを好きな瞬は悲しむ――」
俺の沈黙が、無反省や居直りの類ではなく、後悔と自己弁護を避けようとしてのことだと察したらしく、俺を非難する星矢と紫龍の口調は少しずつ、馬鹿げた悪戯をした子供に呆れている大人のそれになっていった。
「一輝の幻魔拳のことなんて、鳥頭のおまえは とっくに忘れてるもんだと思ってたのに。おまえ、意外と執念深いのな」
溜め息混じりに星矢がぼやく。

星矢の言う通りだ。
俺は忘れてしまえばよかったんだ。
忘れられないなんてことがあったろうか。
俺は彼女との美しい思い出を他にいくらでも――あふれるほど たくさん持っていたというのに。






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