瞬を、瞬に与えられている部屋にまで送り届けてから、氷河は全身に怒りをみなぎらせてアテナ神殿を出た。
さすがの氷河も、アテナ神殿内で聖闘士同士のバトルを繰り広げるわけにはいかないと判断するだけの理性は、(僅かではあったが)残っていたのである。

アテナ神殿を出たところに、瞬の兄がいた。
味方に不意打ちを食らわすという不埒な真似をしておきながら、自らの卑怯を恥じる様子もない顔をして。
氷河が一輝に悪態をつくより先に、一輝の怒声が辺りに響く。
「貴様、俺の弟に何をする気だったんだ!」
「兄と名乗ることもせず、瞬を悲しませているだけの男が何を言うか!」
互いに相手の方が より不埒だと考えている二人は、揃って眉を吊りあげ睨み合った。

「まあまあ、二人共落ち着いて」
不穏な空気を感じとって その場にやってきていたらしい紫龍が、呆れるほど緊迫感の欠けた顔と声で、いきり立つ二人の間に割って入る。
ここで仲間同士・聖闘士同士で派手な戦闘を展開されても困るのだと言うように、星矢までが、その場を収めるために おざなりで なおざりな提案をしてきた。
「そこまで一輝の決意が固いのなら、いっそ、一輝が死んだことにするってのはどうだ? そうすりゃ、瞬も諦めがつくだろ。瞬は行方知れずの兄を捜し続ける必要もなくなるわけだし、神様みたいに美しい兄貴のことは忘れて、氷河の方を見てくれるようになるかもしれないぜ」

どちらかといえば、それは氷河に有利な提案だった。
にも関わらず、一輝ではなく氷河の方が、星矢の思いつきを強い語調で却下する。
「駄目だっ!」
なぜ そんな非道なことを思いつくのだと言わんばかりに非難がましい目で、氷河は星矢を睨みつけた。

「今となっては、一輝は瞬のたった一人きりの肉親なんだぞ。その兄が死んだと聞かされたら、瞬は悲しむ。希望を失い、自分が世界に一人きりで取り残されたような気持ちになって、孤独感に苛まれることになるだろう。それに、瞬は、兄は死んだと聞かされたくらいのことで、すっぱり兄貴のことを思い切ってしまえるような子じゃない」
自分を愛してくれていると確信できる人間の死――が、どれほど人の心を打ちのめし、どれほど深い喪失感を人にもたらすものか。
自分自身で そのつらさ苦しさを経験したことがあるからこそ 断じて、氷河は瞬にそんな思いをさせたくなかった。

「それだけは駄目だ……」
呻くように言う氷河を、一輝が闘争心も憤りも忘れたような目で見やる。
それから一輝は、いかにも気まずそうな様子で、白鳥座の聖闘士から視線を逸らした。






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