私が気がついた時、ご主人様は誰か大人の男の人に抱きかかえられていていました。
神様というのは、随分と立派な仕立ての服を着ているものだと、私は思いました。
その肩や髪には半ば凍ってしまった雪がこびりついています。
ご主人様があまりに小さくて控えめなので、神様はご主人様の居どころを探すのに かなり手間取ったようでした。

神様の髪は金色。
顔立ちはよくわかりません。
真夜中の教会には蝋燭の1本もともっておらず、雪明かり以外に目の頼りになるものはなかったのです。
それ以前に、私は歳をとってよく目が見えなくなっていました。
が、匂いはわかります。
神様の匂い――を私は以前どこかで嗅いだことのある匂いだと思いました。

その神様は、私を見下ろして言いました。
「歩けるのなら、おまえも来い」
私はご主人様といつも一緒にいると約束していました。
ですから、凍え重くなった足に 残っていた力のすべてを込めて、私はその場に立ち上がりました。
そして、ご主人様を抱きかかえている神様のあとを追ったのです。


私とご主人様が連れていかれたのは、いつも私たちがミルクを売りに出ていた町でいちばん大きなお屋敷の暖かい部屋の中でした。
私とご主人様は、以前は、町に来るたび、ミルクを買ってもらうために このお屋敷に立ち寄っていました。
確か、歳をとった女中さんがいて、
「たくさん買ってあげたいんだけど、この家のご主人様には家族もなくて一人きりなんで、たくさん買っても捨てることになっちまうのよ」
と言いながら、いつも少しだけ、でも必ず買ってくれました。
まだ朝は遠く、その女中さんは自分の部屋で眠っているのでしょう。

私が神様だと思った人は、冷たくなったご主人様を、大きくてやわらかそうなベッドに横たえ、その脇に立ってしばし何やら考え込んでいるようでした。
これから私のご主人様はどうなってしまうのか、神様はご主人様をどうするつもりなのか――。
ご主人様の身を心配して、神様とご主人様を交互に見上げている私に目をとめ、彼は、
「これも役得というやつだ。吠えるなよ」
と言いました。
そうして彼は、ご主人様が身に着けていた冷たく凍った粗末な衣服を取り除きました。
それから自分も身に着けていたものを脱ぎ、ご主人様の隣りに横になると、彼は、半分死んでしまっているようなご主人様の身体を抱きしめたのです。

彼がご主人様の身体を自分の体温で温めようとしているのだということは わかったのですが、私は、それで安堵するどころか、逆に不安になってしまったのです。
村の人々の冷酷な仕打ちと無関心に耐えかねて、ご主人様は身も心も凍りついています。
その冷たさに、逆に彼の方が呑み込まれてしまうのではないかと、私は“神様”の身を案じました、

でも、彼は、ご主人様の冷たい身体と心に負けない力と熱さを持った人だったようです。
彼はご主人様の冷たさに負けることはありませんでした。
ベッドの中で抱き合ったまま動かない二人の気配を、ベッドの足元で察していることしかできなかった私に なぜそれがわかったのかといいますと、ご主人様を抱きしめている彼は、時々、ご主人様の哀れな様子に耐えかねたように、
「かわいそうに。何も罪を犯していないのに。かわいそうに、瞬」
と低く呟くことをしたからです。

それは、密やかで低くて優しい声でした。
ご主人様が暮らしていた村、毎日ミルクを運んできていた町に、こんなに親切で優しい人が以前からいたのでしょうか。
いいえ、そんなはずはありません。
そんな人が一人でもいたのなら、ご主人様は死を願うほどの絶望に囚われることはなかったはず。
では、彼はやはり神様なのでしょうか。
でも、神様が天上の楽園ではなく、冷酷な人間たちの住む町に家を構えているというのも妙な話です。

どちらにしても、彼はご主人様に危害を加えるつもりはないようでした。
きっと彼は、この町でただ一人の優しい人。
私がご主人様に巡り会うことができたように、私の身の上に起こった奇跡は、私のご主人様の上にも起こったのだと、私は思いました。
そう信じることで安心した私は、やっと暖かい部屋の毛足の長い絨毯の上で 心地良い眠りに落ちていくことができたのです。






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