そんな最悪の対面式の後、城戸邸の客用スイートに比べれば全く快適ではないが、懐かしくも心安らぐ宝瓶宮に、私はやっと戻ることができた。
そして、そこで私は もはや浮上は不可能と思えるほど深く暗く、心ゆくまで落ち込むことになったのである。

私が私の弟子に望んでいた“クール”は、断じてあのようなものではなかった。
私の意図していた“クール”と氷河の“クール”とで どこがどう違うのか、それを私は適切な言葉で説明できないが、ともかくあれは違うのだ。
私が氷河に望んでいた“クール”とは、たとえば私がこんなふうに落ち込んでいたら私を気遣う優しさを示すことができ、それでいながら、敵に対峙した時には、別人のように冷静に敵を倒すことができるような、そんなクールなのだ。
他者を思い遣る心を伴った冷静さ――とでも言えばいいだろうか。

が、今の氷河は、ただの無礼で無謀な身の程知らずでしかない。
落ち込んでいる私に気遣わしげな声をかけてくれたのも、氷河ではなくアンドロメダだった。
宝瓶宮前の石段にがっくりと肩を落として座り込んでいる私の顔を、アンドロメダが首をかしげるようにして覗き込んでくる。
「カミュ先生、どうなさったんですか?」
アンドロメダは通りすがりに私を見掛けたのではなく――どう考えても、私のために宝瓶宮まで足を運んでくれたもののように見えた。
私はそれを、アンドロメダではなく氷河にしてもらいたかったのに!

私を気遣ってくれる者が氷河ではなくアンドロメダであることに憤りつつも、私に向けられるアンドロメダの眼差しが 見るからに 他人の愚痴や不満を聞き慣れている者のそれだったので――私はつい、アンドロメダに自分の落胆と不安を告げてしまっていた。
「氷河は確かにクールなのかもしれないが……。私は、あれの育て方を間違ったような気がしてならない」
「そんなことはないでしょう。氷河はアテナの聖闘士としての務めを立派に果たしていますよ」

『氷河はアテナの聖闘士としての務めを立派に果たしている』
アンドロメダはそう言うが、その『立派』の内容が問題なのだ。
「私が、口先だけでクールクールと言い、その言葉を実際に体現してみせることができなかったから、氷河はあんなふうになってしまったのだ。私がクールな聖闘士でなかったから、氷河はあんな内実の伴わない見掛け倒しのクールで粋がるような男になってしまった――」
そうだ。それがいけなかったのだ。
『外から帰ったら手を洗うように』と親がいくら言ったところで、親自身がそれを実行していなかったら、子供が親の教えに従うはずがない。

「僕は、クールじゃないカミュ先生が好きですけど。カミュ先生は、僕が思い描いていた通りの氷河の先生でした」
「やはり私はクールな男には見えないか……」
アンドロメダの慰めに、私は逆に落ち込みの深さを増してしまった。

正義と地上の平和のためとはいえ、敵を傷付け、倒すことを生業にしているアテナの聖闘士。
彼は本当にアテナの聖闘士なのかと疑いたくなるような柔和な顔をして、アンドロメダが私に尋ねてくる。
「カミュ先生は、クールという言葉をどういう意味で使っていたんですか」
「それは……アテナに危害を加え、この地上に争乱をもたらす敵には容赦なく、情に左右されず、制裁の拳を振り下ろせるような――」
「たとえば、氷河の敵がカミュ先生でも?」
「もちろんだ。もし私が邪悪の者に成り果てた時には、氷河には動揺することなく、冷静に私を打ち倒してほしい」

アンドロメダの例え話には驚かされたが、私は ためらいなくそう答えた。
正義とはただ一つのものではない。
人は各々の価値観に基づいて、それぞれの正義をその胸中に持っている。
仲間同士、身内同士が敵対することもあるだろう。
そんな時――情と義の板挟みになった時、氷河には迷うことなく自らの正義と信念を貫ける男になってほしい。
私はそう思っていた。
敵に命があり、意思があり、守るべきものがあることに、心を動かされることなく。
そうすることが結局、氷河自身の命を守ることになるのだから。

アンドロメダは、だが、そんな私に微かに首を横に振ってみせた。
「そんな無理なこと言わないでくださいね。氷河には、そんなこと絶対にできませんよ」
今の氷河を見て、アンドロメダは なぜそんなことを断言できるのか。
私は、自信を持ってそう言い切るアンドロメダを訝った。
恋人さえ性欲処理の道具のように言ってのける氷河なら――それも当人の前でだ――それくらいのことは平気でしてのけるだろう。

――と考えてから、私は、矛盾しているのは自分の方だということに気付いた。
私は、氷河にそういう聖闘士になってほしかったのではなかったのか?
必要な時には、対峙する相手に命と心があることを忘れることができるような聖闘士に。
そういう意味では、氷河は私の期待通りの聖闘士になってくれたと言っていい。

だが、私はすっきりしなかった。
氷河がそんな人間であることを喜ぶことができなかった。
そして、私は、そんな自分を疑った。
私はいったい氷河に何を望んでいたのだろう――?






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