氷河は、それ以降も黄金聖闘士たちに無礼を働き続けたらしい。
彼等は始めのうちは、青銅聖闘士の無作法ごときはゴマメの歯ぎしりのようなものと笑って済ませていたようだが、塵も積もれば何とやら。
彼等は基本的にプライドが高く、他人に馬鹿にされることに慣れていない人種なのだ。

その海よりも深く広い自尊心を氷河に思い切り侮蔑的に刺激され続け、彼等の堪忍袋の緒は やがてついに切れてしまったらしい。
氷河が聖域に来て3日も経った頃には既に、彼等は、私の弟子がクールかどうかなどということを話題にも出さなくなってしまっていた。
彼等の頭の中は、無礼な青銅聖闘士に正義の鉄槌を食らわし溜飲を下げなければならないという考えに占拠されていた。

「あのガキ、クールと無礼を履き違えているとしか思えん!」
「実力も戦歴もアテナへの貢献度も はるかに我々に劣る青銅聖闘士の分際で、生意気がすぎるようですね」
「現実を思い知らせてやるのも、目上の者の務め」
「キグナスをここに連れてこいっ! あの傲慢、増上慢、奴はいつかアテナに取り返しのつかない非礼をしでかしかねない!」

いきり立つ黄金聖闘士たちの心を静めることは、もはや不可能のようだった。
氷河の師でさえなかったら、全身から怒りの小宇宙を燃え上がらせている彼等の中に、私も混じっていたことだろう。
なにしろ、私の仲間たちに対する氷河の態度は、人間を虫けら扱いする神と大差ないほど尊大で傲慢なものだったのだ。

が、私は、仮にも氷河をアテナの聖闘士に育てあげた氷河の師。弟子の無作法には責任というものがある。
仲間たちと共に氷河に制裁を加えることなどできるはずもなく、かといって、氷河が黄金聖闘士たちになぶり殺しにされる様を他人の顔で眺めていることは、なおさらできない。

仲間たちが教皇の間で ああだこうだと氷河に天誅を下す相談をしているうちに、いっそ私がこの手で氷河を成敗してやった方が氷河の味わう苦痛も少なくて済むのではないか――。
私がそんなことを考え始めた時だった。
血気に逸る黄金聖闘士たちの前にアンドロメダが現われ、私より――もしかすると氷河より――はるかにクールな口調で、
「この地上にいるどんな子供だって、あなた方よりはクールですよ」
と言ってのけたのは。

遠足に出発する直前の幼稚園児のように興奮し騒いでいた私の仲間たちが、一斉に、水を打ったように静まりかえる。
わめくのをやめた黄金聖闘士たちに、アンドロメダは呆れたような顔をして言葉を続けた。
「黄金聖闘士ともあろうものが、青銅聖闘士一人相手にみっともない真似をするのはやめてください。氷河はカミュ先生のためにお芝居をしていただけです」
「芝居?」
「ええ。クールな聖闘士のお芝居」

サガに問われて頷いたアンドロメダは、騒がしい幼稚園児を静かにさせる術に長けた保育士のようだった。
実際、彼はそういう気持ちでいたのだろう。
他人のクールの程を見定めようとする者たちが これほどクールでないことには、非クールで定評のある この私でさえ呆れ果てていたのだ。
「氷河は、弟子がクールじゃないせいでカミュ先生が皆さんにからかわれていることを、アテナから知らされたんです。だから、カミュ先生の顔を立てるためにクールな振りをしていただけ。本当は全然クールなんかじゃないのに」

『あれをクールと言っていいのかどうかは わかりませんけど』と、アンドロメダは独り言を呟くように付け加えた。
アンドロメダのその呟きは、他の者たちには聞こえなかったようだった。
シャカが、目は閉じたまま眉根を寄せて、アンドロメダに尋ねる。
「キグナスのあの無礼な振舞いは芝居だったと、君は言うのか」
アンドロメダは、ゆっくり彼に頷いた。

「だが、あれはクールを装っていたというより、我々を挑発していたとしか――」
「挑発してたんだ」
アンドロメダの言葉に合点がいかなかったらしいミロの疑念を肯定したのは、当の氷河その人だった。
いつのまにかその場にやってきていた氷河が、アンドロメダの隣りに立ち、逸る血気を未だ鎮めきれずにいる黄金聖闘士たちに不遜な目を向け、ゆっくりと ひと渡り見回す。
「俺をクールでないと馬鹿にする資格が貴様等にないことを自覚させるために」

「氷河のこれまでの皆さんへの非礼や傲慢は、本心からのものじゃありませんから、それだけは誤解なさらないでくださいね。カミュ先生が自分のせいで侮辱されていると知らされて、氷河は誰よりも自分自身に腹を立てていたんです。他意はなかったんです」
それでも無礼を極めている氷河の発言に、アンドロメダがすかさずフォローを入れる。

他意がないどころか、ありまくりではないかと思わないでもなかったのだが、私はそんなことに頓着している場合ではなかった――頓着していることができなかった。
黄金聖闘士たちに対する氷河のこれまでの数々の無礼や傲慢、私をひやひやさせるばかりだった氷河の暴挙暴言が、すべて私のためだったというのだ。
アンドロメダの言葉にクールに突っ込みなど入れていられる訳がない。

「氷河……私のために?」
「仕方がないだろう。師の顔を立ててやれと瞬に頼まれた」
氷河が素っ気なく答え、横を向く。
では、氷河の仲間たちもそれを知っていて、氷河の芝居に協力していたのだろうか。
だから彼等は、私の前で 氷河をクールの冷酷のと評していたのだろうか?
師のためにそんな芝居をする弟子がクールな男であるはずがないことを知っていたのに。
だとしたら、氷河は決して仲間たちに疎んじられているわけではなかったのだ。
少なくとも、氷河の仲間たちは氷河の芝居に付き合ってやる程度には、氷河に厚意を持ってくれている。
何よりもそのことに、私は安堵した。

翻って私の仲間たちは――おそらく言いたいことは多々あったに違いないが、ここで青銅聖闘士に食い下がり続けるのは自分たちの見苦しさの度合いを増すだけで、まさにクールではない振舞いだと気付いたらしい。
事情はさておき、アテナの聖闘士の頂点に立つ黄金聖闘士ともあろうものが、格下の青銅聖闘士の挑発にいちいち腹を立てていたのは事実なのだ。
黄金聖闘士としての体面を保つために、彼等はかなり無理をしていることがわかる表情で、
「いい弟子を持ったな、カミュ」
と、私に声をかけてきた。
さすがはアテナの聖闘士の頂点に立つ黄金聖闘士、無難なごまかし方である。

「あ……ああ」
私にそう告げる黄金聖闘士の胸中から わだかまりがすべて消え去ったわけではなかったろうが、その言葉は事実だったろう。
へたをすれば 命に関わるほどの返り討ちに合うかもしれない実力者たちを向こうにまわして、氷河は師である私のために、こんな無謀を実行してくれたのだ。
その無謀この上ない弟子の上に私が視線を巡らすと、氷河は妙に気まずそうな顔をして、私と目を合わせないように さりげなく視線を脇に逸らした。
「別にカミュのためにしたわけじゃない。俺は、瞬に言われてしぶしぶ……。俺は、俺をクールじゃないと決めつけている奴等が気に入らなかっただけだ」

「すみません、カミュ先生。氷河は不器用で照れ屋で――褒め言葉とか感謝の気持ちとか、そういうのを素直に受け入れるのが苦手なんです。カミュ先生はご存じですよね」
氷河の愛想のない態度に、アンドロメダがまたフォローを入れる。
氷河がそういう子だということを、もちろん私は承知していたので、私はアンドロメダのフォローに軽く頷き返した。
アンドロメダが、ほっとしたような笑みを浮かべる。

それでその場は収まった――収まるはずだったのだが、どうやら黄金聖闘士の中には約一名、クールの振りもできない男がいたらしい。
そして彼は、言わずにいればいいことを口にした。
「だが、では、やはりカミュの弟子はクールではなかったということだな」
そう言いながら、ミロがさりげなくアンドロメダの肩に手をかける。
氷河は情け容赦なく、その手を凍りつかせた。
「俺の瞬に触るなと言ったはずだ」
まるで氷が燃え上がっているような目をして、氷河が蠍座の黄金聖闘士を睨みつける。
そして、芝居をやめても氷河の態度は大して変わらないではないか――と思ったのは、どうやら私だけではなかったらしい。

「キグナスはまだ芝居を続けているのか?」
サガが、疑わしげにアンドロメダに尋ねる。
アンドロメダは首を横に振った。
「いえ。もういつもの氷河ですけど。あれはクールじゃなくて、ただの礼儀知らず。氷河ってば、ほんとに大人げないんだから……。すみません。お怒りにならないでください」
アンドロメダはそう言って、非常な低姿勢で、心から申し訳なさそうな目をして黄金聖闘士たちに謝罪した。

アンドロメダに謝罪された黄金聖闘士たちの表情は、当然のごとく、一様に引きつることになった。
それはそうだろう。
黄金聖闘士たちは皆、氷河よりアンドロメダより年上である。
氷河の大人げ・・・のなさを責めるアンドロメダの言葉は、実に見事な皮肉――というより、黄金聖闘士たちへの実に見事な侮辱――になっていたのだ。

当のアンドロメダは、自身の口にした言葉が黄金聖闘士への侮辱になっている事実に気付いていないかのように罪のない眼差しを、その場にいる者たちに向けている。
その発言に含まれている痛烈な皮肉が意図してのものであったにしてもそうでなかったにしても、この場で最も辛辣でクールな人間は他でもないアンドロメダ座の聖闘士だと、私は確信することになったのである。

たとえ氷河がクールな聖闘士でなかったとしても、自分たちは彼を笑う資格を有していないということに気付いた黄金聖闘士たちは、二人の青銅聖闘士の前で、今度こそ本当に沈黙することになった。
もともと氷河がクールであろうとなかろうと、彼等にはそれはどうでもいいことだったのだ。
私の仲間たちの本来の目的は、単に水瓶座の黄金聖闘士をからかって退屈しのぎをすることだったのだから。
だが、私には――氷河の師である水瓶座の黄金聖闘士には――それは やはり大きな問題だった。

礼儀知らずなのは事実としても、氷河がクールでも冷酷でもないことを知り、私は安堵した。
その一方で、私は――非常に矛盾した考えだとは思うのだが――クールでない氷河が心配になってきてしまったのだ。
自分自身がそれを持ち合わせていないにも関わらず、“クールであるということ”は 戦う者にとって必要不可欠な資質だと、私は信じていたから。

「おまえがクールでないのは、私のせいか」
クールにしか見えない氷河に――少なくとも黄金聖闘士よりは余程クールに見える氷河に――そんなことを尋ねるのも妙な気がしたが、私は私の弟子に尋ねずにはいられなかった。
「カミュは安心しているといい。俺がクールじゃないのは、カミュのせいじゃない。瞬のせいだ。瞬がクールじゃない方が好きだと言うから、俺はそうしている」

責任転嫁するつもりではなかったのだろうが、氷河は自分がクールな聖闘士ではないことをアンドロメダのせいにした。
アンドロメダが困ったような眼差しを、氷河と氷河の師に向けてくる。
「誰のせいとかじゃなくて……。僕は、聖闘士がクールである必要はないと思っているんです。敵に対峙した時、冷酷になり切れなくて、自分が戦うことや敵を倒すことに苦しんだり悩んだり迷ったりしても、最後に正しい判断ができるのなら それでいいと、僕は思う。クールに――とはいかないかもしれないけど、氷河にはその判断ができます。氷河は、カミュ先生に正しい心というものがどういうものなのかを しっかり教えてもらったから」

私にやわらかな微笑を向け、アンドロメダはそう言った――そう言ってくれた。
「そして、氷河は人の心を思い遣ることのできる優しい人間でもありますよ。全部……ぜんぶ、カミュ先生のおかげ、カミュ先生のご指導のたまものだと思います」
アンドロメダは、おそらく私の体面とプライドを傷付けないために、そう言っている。
それがわからないほど、私はうぬぼれやでもなかった。






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