世界からすべての音が消えた。
本当に、俺の耳はすべての音を遮断した。
目だけが、音のない映画を観ているように、城戸邸の春の庭の光景を映し出している。
その不可思議な映画は、ゆっくりとストーリーを進行させていた。

邸内から、もう一人、やはりサングラスをかけたオールバックのすかした男が邸内から出てきて、二人の登場人物の側に歩み寄っていく。
瞬はその男にも笑顔を向けた。
手は先程の男の腕に絡んだまま。
邸内から現れた男に向けられる瞬の眼差しには――その眼差しにも――ありえないほどの親密さが込められている。
様子からして、二人の男は沙織さんのシークレットサービス――瞬の同僚――なのだろうが、彼等の間には、ただの友人や同僚に対するそれとは思えない親密さが交錯していた。
瞬の瞳は、その男たちがそこにいることが嬉しくてたまらないというかのように嬉しそうに輝いていた。

それは、3年前まで、瞬が俺に向けていた眼差しと同じものだった。俺にはそう見えた。
命を預け、身体も心も預けた仲間にだけ向けられるものと信じていた眼差し。
家族でも友達でもない特別な相手にだけ見せる、信頼しきった――いや、裏切られても構わないと訴えているような不思議な眼差し――瞳。
他に考えようがなかった。
こいつらは、3年前まで俺がいた場所を、俺から掠め取った男たちなんだ。

俺は、瞬が俺以外の男に満足するはずがないと思っていた。
へたに俺以外の男とそういう関係を持って、身体の欲求を昇華しきれずに不満をかこつくらいなら、最初から誰も相手にしなければいい。
俺は、瞬はそうするものとばかり思っていた。
だが、一人では満足できないなら、複数相手を確保すればいい。
単純な計算だ。
これほど美しい人間が相手なら、自分が複数の賛美者の中の一人であることにも、男は甘んじてしまうだろう。

瞬はそれほど美しい。
そして、ベッドでの瞬が、どれほど男を無我夢中にさせる術に長けているのかを、俺は身をもって知っていた。
瞬に歓喜の声をあげてもらうためになら、男たちは何でもするだろう。
瞬はその奉仕に報いて余りあるだけの満足を男に与えてくれる。
伸びやかに なまめかしく まとわりつく腕と指。
そして、あの貪欲で健気で吸いつくように温かい肉で。
瞬に満足しない男が この世に存在するはずがない。
それはわかっている。
だが――。

だが、人はたった3年でこんなに変わることができるものだろうか。
俺といる頃の瞬は、それを俺にだけ求めていた。
性的には貪欲なくせに、不思議なほどに峻烈な潔癖さと倫理観で、瞬は俺だけを守っていた。
瞬は綺麗になった――が、それは特異な美しさで、女といる瞬は想像できない。
綺麗すぎて、女の方が嫌がるだろうとも思う。
瞬をこれほど美しくしたのは、俺以外の男たちとの恋なのか――?

瞬に男を教えたのは俺だ。
俺が女でなく瞬を選んだのは、瞬が俺と同じように戦場に立つ者で、同じ命と苦しみと不安を分け合うことのできる存在だったから。
特殊な状況下で 生活という俗事を気にかけずに済み、純粋に命と欲望のやりとりができる相手だったからだと思う。
いや、もう、そんな理屈はもうどうでもいい。
あれこれとそんな理屈をこねるまでもなく、瞬は魅力的なんだ。
表層の――肉体的な美しさ。性的にも、感情面、精神面でも。

俺は、瞬のその力が俺にだけ有効なものだと思い込んでいた。
他の奴等が瞬の持つ魅力に気付くことなどないと信じていたし、気付いても、瞬は俺以外の男は拒むだろうと思っていた。

俺は馬鹿だ。
瞬は、俺だけのものだと信じていた。
瞬は城戸邸でひとり寂しく俺を待っているに違いないと、今日の今日、今の今まで信じていた。
俺が突然 瞬の前に姿を見せれば、多少の戸惑いを覚えはするだろうが、瞬はすぐに俺にすがりついてきてくれるものと、一人で勝手に決めつけていた。
俺は、どうしてそんなふうにうぬぼれることができていたんだろう。

俺がいなくなった世界で、瞬は、自分の生きる場所を必死に探し、懸命に生きてきた――んだろう、今まで。
瞬が、瞬を顧みない俺を忘れ他の人間にすがったところで、俺に瞬を責める権利はない。
3年前、俺は選び損なったんだ。
あの時、聖闘士というつながりがなくなっても、戦いという共通の絆がなくなっても、共にいたいと言っていれば 瞬は今も俺だけのものでいてくれたかもしれなかったのに、俺はそうしなかった。

胸が痛い――痛くてならない。
他の男に奪われて初めて 自分の恋に気付くなんて、100年前のメロドラマか。
馬鹿もいいところ、馬鹿すぎるというものだ。
他の男に奪われて初めて、失われた恋人を自分がどれほど好きだったのかを知るなんて、間抜けすぎる。
俺は独占欲が伴っていないと、自分の恋もわからない愚か者なのか。

永遠を信じられなかった。
いつか訪れるだろう破滅を信じた。
聖闘士として生き、求め合っていた俺たち。
すぐそこに死という終わりがあると思ったからこそ、俺はあれほど瞬を求めることができていたんだろう。
長い時間が与えられると知った途端、俺は自信を失い、瞬を欲しいと告げることさえできなくなった。
俺たちの繋がりが そんな安っぽいものだったはずがないのに。
もしそうだったとしても、それはいくらでも強固なものに変えることができたはずのものだったのに。

今、瞬の前に出ていって、あの男共を追い払い、瞬をこの腕に抱きしめることができるだろうか。
奴等を追い払うことはできても、瞬の心までは取り戻せない――だろう。
それだけのことを、俺はした。
自分のことだけを考え、瞬を顧みず、瞬を忘れる振りをするという形で、俺は瞬を切り捨てた。
いや、そもそも奴等を瞬の側から追い払うことができるという考え自体が、既に思いあがりなのかもしれない。
瞬は幸せそうに見える。
眩しいほどに生き生きと、その笑顔は輝いている。
今の俺には、瞬をあんなふうに笑わせてやることはできない。
それは、俺が瞬と共に生きていた頃にもできなかったことだ――。






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