瞬ひとりだけにモテることを切望している男は、一躍 時の人となり、『世界の恋人』『地球の恋人』等、センスのない枕詞を冠されるようになった。
『常温氷河』は売れまくり、DVDプレゼントキャンペーンの応募総数は発売1ヶ月で優に100万通を超えた。
調子に乗ったグラード・ビバレッジ社が、サイト上で『今すぐ始める恋と地球温暖化対策』ロゴ入りグッズの通販を始めると、これまた僅か10分で完売御礼。
アクセス集中によるサーバーダウンで、グッズを購入することのできなかった女性陣から大量クレームが寄せられ、グラード・ビバレッジ社はグッズの増産とサーバー増強を余儀なくされた。

とはいえ、グラード・ビバレッジ社(要するにグラード財団総帥)は、最初からその事態を予測し、あえて脆弱なサーバーのままネット通販に踏み切るよう、グラード・ビバレッジ社のIT部門担当者に命じたものらしかったが。
実際 彼女の目論見は当たり、アクセス集中によるサーバーダウンとその原因は、ありとあらゆるメディアで時事ニュースとして採り上げられ、『常温氷河』の知名度は更に更に上がることになったのである。

「あなたの必殺技は、聖闘士として働くより、ずっと地球と世界の平和のために貢献しているわよ」
グラード財団総帥こと女神アテナは、ほくほく顔で氷河の手柄を激賞してくれた。
「たった1ヶ月で、2億本、3億缶の売れ行き。単純計算でも50億の寄付金が地球環境保護のために集まったことになるわ。日本人の環境保護意識もまだまだ捨てたものではないわね」
地球と人類にあだなす神を倒した時にもアテナに褒められたことのない氷河としては、彼女のその賞讃を喜んで受け入れる気には到底なれなかった。
氷河はこういうことで世界の平和のために貢献したいと思ったことは、かつてただの1秒もなかったのだ。

「俺の懐には一銭も入ってきませんが」
「地球と地球に生きる人類のために働くのは、アテナの聖闘士の義務にして権利でしょう」
「……」
その義務と権利の結果が、いったいグラード・ビバレッジ社に50億の何倍の利益をもたらしているのか。
彼女らしい合理性でグラード財団総帥としての利潤と この世界を守る女神アテナとしての成果を両立させている沙織に、城戸邸の居候にしてアテナの聖闘士である氷河は、もはや言うべき言葉も持たなかった。

グラード・ビバレッジ社にどれだけの利益がもたらされたのか、50億の金が地球の寿命を何年延ばすことができるのか、そんなことはどうでもいいのだ。
氷河はそんなことはどうでもよかった。
彼の気掛かりは ただ一つ。
「俺はいつになれば、ゆっくり瞬と散歩ができるようになるんだ!」
ということだけだったのだ。

ここにいるのは女神アテナではなくグラード財団総帥だという意識が、氷河の言葉使いをぞんざいなものにする。
沙織は、しかし、氷河の無作法に気を悪くした様子もなく、彼に同情した様子は更になく、涼しげな顔をして彼女の下僕をなだめにかかった。

「あと2ヶ月は我慢してちょうだい。今はDVDもグッズの類も品薄感を煽って消費者の購買意欲を刺激しているところなの。もう しばらくはこの状態が続くことになるわ」
彼女の声音はどこまでも優しく威厳に満ち、彼女の言葉はどこまでも冷酷にして無慈悲。
「そのうち、『常温氷河』の味と便利さを消費者が覚えるでしょう。『常温氷河』は地球に優しい飲み物だし、保存も楽だけど、味もなかなかのものなのよ。あの飲み物が国民の日常生活に浸透しさえすれば、あなたの流し目がなくても商品は売れ続けるわ。そうなったら、あなたなんかすぐにお払い箱にしてあげるから」

「2ヶ月……」
氷河にはそれは『永遠』の同義語としか思えないほどに長い時間だった。






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