俺が連れていかれたのは、俺の暮らしてるボロマンションが50棟は建てられそうな広い敷地の中に建てられた邸宅だった。
そこに向かう車の中で、俺は、彼女があのグラード財団の総帥だと知らされた。
そして、俺に割り振られた仕事ってのが、4年前に死んだ人間の代役だということも。

黒塗りの車の後部座席で、俺は、俺が代役を務めることになる人物の写真を見せられた。
といっても、写真用紙やインクジェットプリンタ用紙に印刷されたものじゃなく、車に備えつけられた何かの端末に映し出された男の顔だ。
写真を撮られるのが嫌いな男だったのか、いかにも不機嫌そうな きつい目をした男の顔が、14インチの液晶画面に表示される。

そいつは――確かに、驚くほど俺に似ていた。
髪の色も瞳の色も。
金髪碧眼と一言で言ったって、その色は一色じゃない。
金髪にも白味がかったものから赤味がかったものまで色々あるし、それは目の色も同様。
画面の中の男のそれは、ほぼ完全に俺の持ち物と同じだった。
何より顔の造作が俺そのもの。
俺が言うのも何だが、実に見事な造りをしていた。
俺より少し若く見えたが、これが4年前の写真だっていうのなら、歳は今の俺とタメぐらい。
生きていたら、この男は今の俺と同じ顔をしているに違いないと、俺は思った。

この男が何者なのかは知らないが(城戸沙織は何も説明してくれなかった)、この男の代役は、確かに俺にしかできない仕事だろう。
この世界でただ一人、俺にしかできない仕事。
そう考えれば、なるほど俺は500万に値する才能を有していることになる。
俺は、城戸沙織が提示した報酬額に(理屈の上では)納得した。

城戸沙織が俺を連れ込んだ城戸邸のエントランスホールは、そこでダンスパーティもできそうなほど――無駄に広かった。
鏡のように磨き込まれた床、2階までの吹き抜け、青銅製のレリーフが刻み込まれた壁。
そこに足を踏み入れた時、俺は、灰かぶりシンデレラが城にあがった時、彼女はこういう気持ちになったに違いないと思えるような、そんな気分を味わった。

ホールの奥に、俺と同年代の男が二人いた。
「ったく。沙織さん、本当に連れてきたんですか」
グラード財団総帥の酔狂かつ奇矯な振舞いは、さほど珍しいことではないらしい。
呆れたような声をホールに響かせて、この邸の主人と客人の方に歩み寄ってきた二人が、不自然な場所で足をとめる。
二人が俺を見て息を呑んだのがわかった。
二人は幽霊に出会ったような目を俺に向けている。
そんなに似ているのか? 俺は、死んだ男に。

「紹介するわ」
立ち止まった二人の方に、城戸沙織がにこやかに歩み寄っていく。
俺は2、3歩後れて、彼女のあとを追った。
「あなたのお仲間。星矢と紫龍よ」
きかん気な顔をした方が星矢で、馬鹿馬鹿しいほど長髪の男が紫龍。

「ども」
俺は軽く肩をそびやかし、二人に向かってひょいと頭を下げた。
俺は一応礼儀を通してやったっていうのに、その二人ときたら、俺に『はじめまして』の一言も言ってこなかった。

「本当に氷河じゃないのか。このツラが2つあるなんて、信じられない」
「小宇宙が全く感じられない」
「そりゃそうだけど」
とか何とか、俺の挨拶を無視して、そのくせ俺をネタにして、二人は勝手に話を進めていく。
コスモ? 何だ、それは。

俺には全くわからない話をしていた二人は、まもなく――やっと――俺の方に向き直った。
ようやく『こんにちは』を言う気になったのかと思ったら、
「日本語は?」
と、主語と述語を省略しまくった不親切な質問をガイジンである俺に投げてくる。
俺は奴等の無礼を咎めるために、
「ハジメマシテ、コンニチワ。ゲイシャ、フジヤマ、スキヤーキ」
と答えてやった。
俺がわざわざ日本人好みの日本語を披露してやったっていうのに、奴等は不愉快そうに顔をしかめただけだった。
無論、自分たちの無礼失礼欠礼に気付いた様子もない。
ここは笑って謝罪すべきところだろうと俺は思っていたんだが、二人はにこりともしなかった。

「学生? 勤め人か? 学校や会社は」
「気楽なその日暮らしのフリーターだ」
今度はちゃんとした日本語で答える。
金髪で青い目のガイジンが口にするネイティブな日本語。
二人があっけにとられた顔をしたんで、こいつらの言う氷河とやらは日本語が話せない男だったのか――なんてことを、俺は考えた。
が、奴等は俺の日本語に驚いたわけではなく、
「声まで氷河と同じだ」
ってことに驚いていたらしい。

それは驚くべきことなのかもしれないが、ここまで顔がそっくりな人間同士のこととなったら、声が違っている方がむしろ奇妙だろう。
気持ち悪いくらい似ている二人の人間の声だけが違っていたら、それは神サマのコピーミスというもんだ。
それはともかく。

どうあっても『はじめまして』も『こんにちは』も言わないつもりらしい二人の無礼者に俺が腹を立てかけた時、
「星矢、紫龍、どうかしたの」
ふいに、エントランスホールの二階中央に続く階段の上から、女の声が響いてきた。
星矢と紫龍は、俺のツラを認めた時よりも全身を緊張させた――ように、俺には見えた。

今度の登場人物は礼儀を知っているのかと疑いながら、声のした方を見上げたら、そこにはすげー美少女がひとり立っていた。
城戸沙織も結構な美人だったが、こっちはもう人間離れしている。
雰囲気が人間じゃない。
俺が何か不用意な言葉を口にしたら、そのまま消えてしまいそうな、そんな感じの。
存在感が稀薄で頼りなげな、だが、目をみはるばかりの美少女だった。

「氷河……」
おまけに、その美少女が 俺を見るなり階段を駆け下りてきて、
「氷河っ!」
俺の胸の中に飛び込んできたんだ。
俺がびっくりしたのびっくりしないのって。
滅茶苦茶びっくりした。
こんな無礼者なら大歓迎だとも思ったし、美少女の無礼な行為は、星矢と紫龍の無礼を俺に忘れさせてくれた。

美少女は結構なスピードで俺に飛びついてきたと思うのに、俺はほとんど衝撃を感じなかった。
見た目の細さ以上に体重がないのかもしれない。
だが、俺の背にまわされた手には強い力が込められていて――二度と離さないと言わんばかりに強い力が込められていて――この必死な力が死んだ男のためのものなのだしたら、それはひどく悲しいことだと、俺は思った。

「瞬が見間違うとは――」
「瞬っ、そいつは氷河じゃないっ、離れろっ!」
星矢と呼ばれてた奴の方が、えらく気の立った怒鳴り声をあげ、俺から美少女を引き離そうとする。
こいつはこの美少女が好きなのかと、俺は疑ったんだが、何かそう単純なことでもなさそうで――星矢ってガキが腹を立ててるのは、その美少女が男にひっついていることじゃなく、彼女がひっついている男が“氷河”じゃないことの方――のようだった。

星矢のあげた大声のせいなのか、瞬と呼ばれた美少女が俺から離れる。
空気みたいな子だと思ってたのに、そうやって側から離れられると、俺は自分の胸の辺りに不思議な寒さを覚えた。
もっとずっと しがみつかれたままでいたいと――まあ、これだけの美少女が相手となったら、どんな男だってそう思うだろうことを、俺も思った。

「沙織さん、どういうつもりなんだ!」
美少女が俺から離れたのを確認した星矢が、今度はグラード財団総帥に食ってかかる。
城戸沙織は、俺に対する時と同じように飄々ひょうひょうとした様子で、
「氷河そっくりの人がいたら、瞬も嬉しいでしょ」
と言った。

「逆だろ! 瞬はつらい思いをするだけだ!」
「……考えを変えてくれるかもしれないわ。生きようとしてくれるようになるかもしれない」
急に彼女の声が小さな呟きに変わったのは、その言葉を美少女に聞かせたくないから――のようだった。
俺に聞こえたんだから、彼女の呟きは、多分 美少女にも聞こえていたと思うが。

「でも、こいつは氷河じゃない!」
「誰でもいいのよ。瞬がその人のために生きたいと思うようになってくれるなら」
城戸沙織は俺には詳しい事情を説明してくれていなかったが、コスモがどうこうという話に比べれば、星矢と城戸沙織のやりとりは内情を察しやすいものだった。

この美少女は、“氷河”を失い、同時に自分自身の生きる希望と意味を失った。
だから、こんなに存在感が稀薄で儚げな様子をしている。
城戸沙織は、美少女が氷河の死と共に失ったものを彼女に取り戻してほしくて、そのきっかけになればと考え、“氷河”にそっくりな俺をここに連れてきた。
――と、まあ、そんなところか。

「瞬、お茶を頼んできてくれる? 5人分。客間にいるわ」
立ち話で済ませるようなことではないと思ったのか、城戸沙織が場所の移動を提案してきた。






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