他人名義の部屋に戻って、俺はひとり呆然とすることになった。
自分で決めたことだというのに、俺はどうして城戸沙織の誘いを受けなかったんだと、悔やんでも悔やみきれないほど自分の決断を後悔した。
瞬は、綺麗で健気で優しく可愛い。
瞬は、最初で最後、そして唯一、俺が恋することのできる相手だ。

瞬が欲しい――瞬が欲しい。
他の誰かでは、もう俺は満たされない。
瞬のあの瞳がないと、俺の心は満たされない。
瞬に包まれる あの感覚を、もう一度味わいたい。
あの清純な顔が、俺の下で歓喜に喘ぐ様をもう一度見たい。
そうして、瞬が、俺が生きていることを認め、受け入れ、許してくれていることを全身で感じたい。

俺にとって、瞬とのセックスはそういうものだった。
ああ、だから俺は、あれほどに瞬がほしくて、瞬が必要だったんだ。
なのに――。

なのに、俺は氷河じゃない。
俺は戦えない。
あの邸にいる者たちの仕事、瞬たちの存在証明は“戦うこと”だと星矢は言っていた。
瞬は戦う。
戦うことのできない俺は、瞬の身を案じて、安全なところで待っていることしかできない。

俺は瞬のために死ぬこともできない。
俺は本当に――俺は何者でもない。
無力で非力な、ただの物体。
俺は、瞬のために生きることすらできない、何者でもないもの。
そんな俺が、この世界に一人の人間として存在することに、いったいどんな意味があるっていうんだ。


この世界のためにも、自分自身のためにも、俺はこのまま命を永らえることを諦め死んでしまった方がいいのかもしれない――。
俺がそんなふうに考えるようになっていた頃、俺の何もないマンションの部屋に、瞬がやってきた。

俺が瞬の許を去って3日ほどが経っていたと思う。
空腹も覚えず、喉の渇きを覚えた時に水だけを飲んで、ただぼんやりと時の過ぎるに任せていた俺は、時間の感覚も狂いかけていた。
「沙織さんが、へたをすると氷河を追い詰めることになるって言って、なかなかこの場所を教えてくれなかったから……」
今にも死にそうなありさまになっている俺を認めると、瞬は泣きそうな目をして そう言った。

「死ぬことより生きることを選びなさいって、いつも僕に言ってたのは氷河でしょう。なのに、どうしてこんな――どうして僕を置いて出ていったりしたの」
3日メシを食わないくらいのことで死ねるほど、俺の身体は やわにはできていないらしい。
俺が弱っていたのは精神的な打撃のせい――つまり、失恋のショックが大きすぎたせいだった。

床に脚を投げ出して へたり込んでいる俺の前に両膝をつき、俺の身体がまだまだ頑健なことを確かめたらしい瞬が、俺の身を気遣うのを中断して、俺を責めてくる。
城戸沙織も瞬も、どうして俺を苦しめようとばかりするんだ。
瞬を失うっていう その一事だけで、これまで怠惰に過ごしてきた時間の罪と罰を、俺はもう十二分に味わい贖ったっていうのに……!

「俺は――」
苦しくて――俺は、瞬の前で顔を歪めることしかできなかった。
そんな俺に向けられる瞬の眼差しが、少し優しいものになる。
声音を和らげて、瞬は別の質問を俺に投げかけてきた。
「あなたは――氷河は、5年前はどこでどうして生きていたの」
「……」

俺は答えられなかった。
答えられるわけがない。
俺は、自分が何者なのかを知らない。
俺は、自分が誰なのかを全く憶えていないんだ――。






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