「シュンちゃん……」
「いいから、姉さんは部屋に隠れてて」
翌日の午後。
エスメラルダの許に父からの呼び出しを伝えるメイドがやってくると、シュンは早速自らの立てた計画の実行にとりかかった。

「絶対に出てきちゃだめだよ。僕の計画が滅茶苦茶になっちゃうから」
心配そうな顔をしている姉に念を押し、客間に向かう。
客間のドアを開けると、そこにはシュンの父がいて、娘が来るはずのところに息子がやってきたことを訝るように眉をひそめた。

シュンの目当ての男は、客間の中央にある絹貼りの肘掛け椅子に腰をおろしていた。
椅子の脇にお茶を置くための小卓があり、ちょうどお茶を運んできたところだったらしいメイドがカップにお茶を注いでいる。

「はじめまして。僕が当家の娘のエスメラルダです」
メイドがその仕事を終えるのを待たずに、シュンは、彼に彼の求婚相手の名を名乗った。
「ば……馬鹿者っ!」
即座にシュンの魂胆を見抜いたシュンの父が、息子を怒鳴りつける。

「どうかなさったんですか、お父様・・・
怒鳴りつけられた“娘”は澄ました顔で、父に、彼の怒声の訳を尋ねた。
「む……」
当然のことながら、シュンの父は答えに窮してしまったのである。

ここでへたに娘が娘でない事実を告げれば、彼の娘がこの縁談を望んでいないことが公爵に知れてしまう。
見合いの場に偽者が現れたことを知った公爵は、それを侮辱ととるかもしれない。
それだけは何としても避けなければならなかった。
「相手は公爵様だぞ。お声をかけていただくのを待つのが礼儀というものだ」
結局、シュンの父は、公爵を怒らせることより、彼にこの家の娘が無作法だと思われることの方を選んだらしい。
その誤解が本物の娘によって いずれ解けることを、彼は期待したようだった。

しかし、その可能性を、他ならぬ彼の“娘”が情け容赦なく打ち砕こうとする。
「あ、そうなんですか。失礼しました。で、公爵様はお名前は何ていうの?」
「……!」
“娘”のあまりの礼儀知らずに、娘の父は両手で顔を覆ってしまったのである。
客間でお茶の準備をしていたメイドは、屋敷の主人の勘気を恐れ、転がるように部屋を出ていった。

ここまでは計画通り。
しかし、事はシュンの計画通りには進まなかった。
掛けていた椅子から立ち上がった公爵が、この事態に動じた様子もなく、
「ヒョウガですよ。はじめまして」
と、にこやかにシュンに名を名乗ってきたのだ。
その声音に、この家の娘の無作法に気を悪くした響きがないのが、シュンの癪に障った。

だが、ここでひるむわけにはいかない。
仮にも王家につながる名門貴族が平民の娘に無礼を働かれて腹を立てていないはずがないと、シュンは懸命に自分に言い聞かせた。
そうして、彼の腹の底を探ろうと、シュンは噂の公爵の顔を初めてまともに見上げたのである。
意識して睨みつけるような表情を作り、シュンが視線を向けたその先にあったもの。
それは、同性のシュンでも目をみはらないわけにはいかないほどの美貌を持った青年の姿だった。

陽光を吸い取ったような金色の髪と、夏空の青を映したような青い瞳。
造作は、これも見事としか言いようがなく、彼の顔のほぼ完璧なシンメトリーは、欠点のある人間作りを得手とする神が、気まぐれに欠点のない彫像を彫ろうとした成果のようだった。
シュンは、ぽかんとして、しばし無作法な娘の芝居を続けることを忘れてしまったのである。
幸か不幸か、その反応が無作法な態度になっていたのだが。

父の絶望したような溜め息で我にかえった時、シュンは、自分がどれだけの時間 無意識の無作法を続けていたのかを自覚することもできなかった。
男に見とれてどうするのだと自身を叱責し、努めて厳しい目で恥知らずな求婚者を観察する。

破産寸前の身でありながら、彼は非常に上等の絹の服を着ていた。
仕立てもよく、型も昨今の流行に合ったもので、尋常でない美貌の主を上品に覆っている。
これが貴族の見えというものなのだと、シュンは無理に彼を軽蔑しようとした。
そんなシュンに対して、公爵はあくまでも穏やかでにこやかである。
「財産目当てと思われるのは不本意だったので、このお話はお断りさせていただこうと思っていたんですが、実際にお会いして、こんなに可愛らしい方だと知ると、その決意も揺らぎます」

「は……はあ」
シュンの父が、らしくもなく冷や汗をかいて、引きつった作り笑いを浮かべる。
男のなりをした娘に、公爵がどういうつもりでそんなことを言っているのかということは、欧州随一の辣腕事業家と評されている彼にも量りかねるものだったらしい。
ペイディアスの彫像のような貌を持った公爵は、自分が人間であることを示そうとするかのように、微笑を絶やさない。
シュンの父だけでなく、シュン自身も、無作法な平民の娘に対する彼の寛大さと鷹揚の訳を解せずにいた。

「経済力のない夫を持つことは、あなたも不安でしょう。その不安が払拭されるように、私は自力で家を建て直してから出直してきます。それまで待っていただけませんか」
「そんなことが――」
そんなことができるなら、そもそも彼はこの場にいないはずである。
いったい彼は何を言っているのか――。
シュンは、彼の言葉に混乱し、彼を撃退するための企みを続行していいのかどうかの判断に迷い始めていた。

「もちろん、私の迎えを待ち続けることはできないと思われましたら、他の方とご結婚なさってください。私はあなたを恨みません。自分の無能と不運を嘆くだけです」
「あの……」
彼が口にする言葉は何もかもが、シュンが想定していたものとは違っていた。

彼は、自身の力で家を建て直してから 出直してくると言っている。
それが待てないなら、待たなくていいと言っている。
この縁談を喜び歓迎していると言いながら、その実、彼は、極めて穏やかに大金持ちの平民の娘との結婚を拒絶しているのだ――。

「では、私はこれで」
その事実にやっとシュンが思い至った時、彼は既にこの屋敷の主と娘に辞去の挨拶を終えていた。
この展開は、シュンの父にも想定外のものだったらしい。
彼は、場を辞そうとしている公爵を引きとめることも思いつかずにいるようだった。






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