英国一の資産家にして資本家は、ヒョウガとシュンのプランを聞くと、喜んで息子の身代金を払ってくれた。 とりあえず、誘拐された息子が自邸に帰ることを条件に。 葡萄の収穫期に合わせ突貫工事で、だが最大の注意と最高の技術を投じて建設されたワイン醸造施設では、フランスのものとは種類も味も違うブドウを使って いかに味の良いワインを作り出すかを、フランスからやってきたワイン作りの名人たちが試行錯誤を重ねることになった。 ワイン産業の振興より政治と恋に夢中であるにも関わらず、政治と恋を語る時にもワインを必要とするのがフランス人である。 フランス国内のワイン産業の不振も手伝って、公爵家のワイナリーから出荷されるワインの引き取り手はすぐに現れた。 あわただしい半年が過ぎ――事態が急転直下の大変動を見せたのは、公爵家のワイナリーで造られたワインの第一弾を載せた船がポーツマスの港を出た 翌日のことだった。 ヒョウガの母親が建てた慈善病院を買いあげ、王立慈善病院として運営していきたいと、王室が公爵家に申し出てきたのである。 病院の運営は他の者に任されていたが、その建物と土地の権利者は公爵家になっていたのだ。 病院の建っている土地、建物、もちろん院内の施設もすべて買い上げたいという王室の申し出。 王室がヒョウガに提示してきた金額は、ワイナリーの経営が軌道に乗っても、完済するのにあと5年はかかるだろうと考えられていた公爵家の借金をすべて払える額だった。 その動きには、英国屈指の名門貴族を破産させるわけにはいかないという王室の意思も働いていたのかもしれない。 だとしても――結局、公爵家の危機を救ったのは、公爵家を危機に陥れた心優しい女性が残した遺産だったのだ。 |