「氷河、いるんでしょ!」
扉を一枚隔てたところに氷河がいる――という場所まで、やっと瞬は辿り着くことができた。
「帰れっ」
だが、そこでも瞬は氷河の拒絶を受けてしまったのである。
固く閉じられたままの扉越しに氷河の突き放すような声を聞かされた瞬は、それでもまず最初に安堵の念を抱いた。
氷河は確かに生きている。
それさえ確かめられれば、彼がどれほど重い病や怪我を得ていようが、あの綺麗だった顔が二目と見られぬほどに傷付いていようが、そんなことは瞬にはどうでもいいことだった。

安堵して――瞬は少し口調をやわらげたのである。
「氷河、顔を見せて。ほんとに怪我してないの。無事なら無事でいることを僕に確かめさせて」
「俺は無事だ。怪我もしていない。五体に変わりはない。おまえが心配するようなことは何もない」
「なら、どうして僕に会えないなんて言うの……」
病気も怪我もしていないというのなら、五体に変わりはないというのなら、変わってしまったのは氷河の心の方なのだろうか。
それだけは耐えられない――瞬は、その可能性だけは考えたくなかった。

「僕、これ以上、氷河に会えないままでいると、気がおかしくなっちゃいそうなんだよ。氷河、ほんとに無事でいるのなら――」
瞬の声は涙を帯び始めていた。
それでも扉の向こうから反応はない。
扉の向こうで、氷河が真実 冷静でいるのかどうかはわからなかったが、瞬が得ることができた氷河の答えは沈黙だけだった。

「氷河……っ!」
以前なら、瞬の目にゴミが入ったくらいのことでも血相を変えて側に飛んできてくれた氷河が、この冷たい仕打ち。
瞬は、それだけは耐えられないこと――考えたくないこと――瞬にとって最悪のこと――を考えないわけにはいかなくなった。

「氷河は僕が嫌いになったの……だから僕に会いたくないっていうの……」
それでも、扉の向こうからの反応はない。
では、そういうことなのだ。
嫌うところにまでは至っていないにしても、瞬が氷河にとって 泣かれても何も感じない存在になってしまったということだけは確かなことのようだった。

「ごめんなさい……」
瞬は氷河の部屋の扉にすがるのをやめ、力なく踵を返した。
ここまで明白な拒絶を受けてしまっては、瞬は氷河の許を立ち去るしかなかった。
というより、立ち去りたくなくても、それ以外に瞬にできることはなかったのである。

「瞬……」
その時になってやっと、氷河の部屋の扉が開けられる。
それだけは、氷河にも耐えられないことだったらしい。
白鳥座の聖闘士からアンドロメダ座の聖闘士への好意が消えたのだと思われることだけは。

戦闘と防衛に関してのみ実用的な石造りの砦は、生活の場としての利便はあまり備えていなかった。
明るいところでは攻めてきた敵に利を供するだけなので、採光もあまり考慮されていない。
氷河の部屋の扉が開けられると、室内の窓から入る西日が逆光になり、燃えるような色の光が その場に いっそ鮮やかと言っていいような氷河の影を描きだした。
その影を見た限りでは、確かに氷河は手も足も失っていないように見えた。

「氷河……」
希望が完全には失われていないこと、それより何より 氷河の五体に特に変わったことがない事実を確かめ安堵して、瞬は氷河の許に駆け寄った。
「氷河……!」
瞬が彼の胸に飛び込むと、氷河の身体は僅かにぐらついた。
こんなことはかつてなかったことである。
怪訝に思い、瞬は氷河の顔を覗き込んだ。
光と影の強烈な対比に、徐々に瞬の目が順応してくる。

氷河が自慢の顔に二目と見られぬ傷を負ったという無責任な噂はいったいどういう経緯で生まれたのか。
氷河の顔は綺麗なままだった。
聖域で最後に別れた時のまま何一つ変わっておらず、小さな傷跡一つ残っていなかった。
だが、その瞳には動きがない。
輝きがない。

「氷河――」
瞬は一瞬にして、彼が彼の恋人に会うことを拒絶した訳を理解した。
彼は目が見えていない――完全に視力を失っていたのだ。






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