アテナの思惑も知らずに――瞬は思い悩んでいた。
肉親を失い、傷付いて孤独な人に、自分は何をしてやれるのか――と。
だが、どれだけ考えても悩んでも、瞬は、その答えに辿り着くことができなかったのである。
氷河の孤独は、失われたものを取り戻すことでしか、真に癒されることはない。
そして、それは、時が逆行することでもない限り、実現できないことなのだ。

せめて、今以上に氷河の孤独が深まることだけは阻止したい。
失われたものを取り戻すことは不可能でも、彼が一人きりではないことに氷河に気付いてほしい。
そう考えて、瞬は、星矢たちを見送ると、足早に氷河の部屋に向かった。
「星矢たち、今 帰ったよ」
扉の前に瞬の姿を認めると、氷河は少し意外そうに、そして僅かに苦しげに、その眉根を寄せた。

「一緒に帰っていくものとばかり……。今からでも仲間たちを追っていっていいんだぞ。俺はただ、一人になるのが嫌だっただけで、本気でおまえに何かをさせようと思ったわけじゃない」
「氷河……」
それは今では瞬にもわかっていた。
氷河は最初から、自分に何かを求めてくれていたわけではなかったのだ――ということは。
それでも、氷河のその言葉は瞬にはショッキングなものだったのである。
それは、『おまえはもういらない』と宣告されたも同然のことだったから。
否、それは、自分は一人で生きていくしかないのだと、氷河が決意したも同然の言葉だったから。
氷河の悲痛なその決意の方が、『おまえはもういらない』と宣告されることよりも、瞬の心を苦しめた。

「氷河は、僕がいない方がいいの? 僕がいない方がいいって思うの?」
「おまえといると、ますます一人に戻れなくなるような気がする」
瞬を見詰める氷河の眼差しは熱い。
瞬が気遣わしげに彼を見詰めると、始めのうちは瞬の同情を拒むように素っ気なく横を向いていた氷河が、最近では、同情でもいいからそれを手に入れたいと願い始めている。

自意識過剰と氷河は言うのかもしれないが、彼が自分を欲しがっていることが瞬にはわかっていた。
そういう目で見られることには慣れているのだ。
そして、そのたびに瞬は、そんな目で自分を見る人間たちに腹を立て、彼等を嫌悪し、同時に屈辱的な気持ちにもなっていた。
これまでは。
氷河以外の者には。

だが、欲と熱にたぎった氷河の眼差しに出合っても、今の瞬は他の男に見られる時のように嫌な気持ちにならなかった。
それがなぜなのか、瞬は不思議でならなかったのである。
氷河は、他の男と何が違うのか。
これまでに、瞬をそういう目で見る者の中には“善良な人”もいた。
優しい人も、強い人も、そのことさえなければ尊敬できるような人物もいた。
それでも、瞬は不快だった。
だが今は――傷付いて孤独な氷河の魂を、もし自分の手で温めてやることができるのなら、それ・・をしてもいいとさえ、瞬は思っていた。
だから――瞬は、意を決して氷河に告げたのである。
「あの……氷河……。僕と……その……ね……寝てみない?」
――と。
「なに?」
氷河が驚いたように目をみはる。
なぜ瞬が氷河を信頼するのかといえば、こんな時に渡りに舟と思うことなく、本気で驚くような男だから――なのかもしれなかった。

氷河が驚くことに、実のところ瞬はかなり傷付いていたのだが、氷河に自分を与えるために、瞬は慌てて苦しいこじつけを作り出した。
「それでがっかりしたら、氷河は他の女の人に興味を持てるようになるかもしれないでしょう?」
馬鹿げた理屈だと、瞬は自分でも思っていたのである。
自分をそこまで貶めて、自分はいったい何がしたいのか――と。

自分のしたいこと、自分が願っていること――本当は考えるまでもなく、瞬にはそれが何なのかわかっていた。
氷河に幸福になってほしいのだ。
瞬の願いはそれだけだった。
それだけだったのに――氷河は首を横に振った。
彼が、彼の目の前にいる人間に欲望を抱いているのは明白なことなのに。

「やめておく。おまえから離れられなくなるのが目に見えている」
「で……でも……」
「それとも、おまえが俺を欲しいのか?」
揶揄するように、氷河は、わざと皮肉な笑みを瞬に向けてきた。
そういう言い方をすれば、瞬は否定すると、氷河は思っているのだ。
実際、瞬は、はねっかえりの本領を発揮して、『そんなことあるはずないでしょう!』と怒鳴り声をあげそうになった。
が、すんでのところで思いとどまる。
ここで氷河の思惑通りの反応を示せば、氷河は寂しいまま何も変わらず、寂しい人間でい続けることで彼は瞬を苦しめ続けるのだ。

「そ……そうだよ。変だって思ってるんでしょ。僕は男で、そういう目で見られることには慣れてるけど、ずっとそういう人たちを気持ち悪いって思ってたのに……。それがどんなことなのかも知らないくせに、氷河になら そうされたいって思ってて……そうされたくてたまらないでいるんだから」
瞬の素直に驚いたように、氷河が瞳を見開く。
掠れた声で、彼は瞬に尋ねてきた。

「瞬……本当に?」
「氷河が寂しそうにしてるのを見るのは嫌なのっ。僕が聖域に帰ったあと、こんなだだっ広いお城の中に氷河が一人でいるなんて、考えただけで苦しい。僕の方が寂しくなる」
「おまえが寂しいから――哀れな男を救ってやれないのは癪だから――。それで、おまえは、俺を道化として雇って聖域に連れていくつもりか」
「そんなつもりは……」
氷河が一緒に聖域に来てくれたらどんなにいいだろうとは思うが、氷河が故郷を捨てる気になれないのなら、自分がここに残ってもいいと思う。
氷河が一人で寂しい思いをしていることが、とにかく瞬は嫌だったのだ。
氷河にそんな言われ方をされたことが悲しくて、瞬は俯いた。
しかし、氷河は――氷河も――今日は素直だった。

「いい、それでも。瞬、おまえのためなら何でもする。おまえの望みはどんなことでも叶えてやる。だから、俺のものになってくれ」
「えっ」
言い終わる前に、瞬の身体は氷河の腕で抱き上げられていた。
女の子ではあるまいに こんな扱いをされることは屈辱だと、瞬は腹を立てようとしたのだが――瞬にはそうすることはできなかった。
そんな余裕もなかった。

瞬が氷河に文句を言おうとした時には既に、瞬の身体は氷河の私室から続き部屋になっている寝室のベッドの上に横たえられていたのだ。
瞬に抗議の声をあげる隙も与えず、すぐに氷河の身体の重みが、瞬から自由を奪う。
瞬の手足の動きを封じて、氷河は瞬が身につけているものを取り除く作業にとりかかっていた。

「氷河、ちょ……ちょっと待って。僕、まだ、こ……心の準備が」
「心の準備? 瞬はいつも面白いことを言って、俺を笑わせてくれる」
そう告げる氷河の目は、少しも笑っていなかった。
氷河の唇が瞬の唇に重ねられ、口腔に入り込んだ彼の舌が瞬の舌を舐めてくる。
セックスどころかキスも初めてだと言ったなら、氷河は笑うのだろうか。
信じてくれるだろうか。
信じてもらえなくても――それは事実だった。

「氷河……やっぱり、僕、まだいやだ……」
瞳に涙をにじませて、瞬は氷河に訴えてみたのだが、それは、瞬の涙より熱い氷河の声に退けられた。
「おまえは知っているんだろう? おまえがいてくれれば、俺はもう一度生きていけるようになるかもしれないと――俺がそう思っていること――」
「あ……」
氷河の手が瞬の服をすべて剥ぎ取り、脚の間に手を差し入れて、瞬の内腿を撫でてくる。
触れられているのは足や膝なのに、ぞくりと震えたのは瞬の背筋の方だった。
否、瞬の身体すべてが震えていた。
氷河の手の熱さ、その感触――が不快なのかそうでないのかは わからない。
だが、ともかく瞬は、彼の手を払いのける気にはなれなかった。






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