瞬王子の目が光を捉えることができるようになった時、瞬王子が最初に見ることになったのは、無限の闇の方がずっとましだと思えるほどの悲しみでした。 光を知覚する力を失った氷河が、アテナ神殿の扉の前に うずくまるように片膝をつき、その両目を右手で覆っています。 瞬王子が何よりも見たいと思っていたもの――氷河の青い瞳――は、光を失って闇の色に変わってしまっていたのです。 「氷河……! どうしてこんな……!」 瞬王子は、頼りなさの消えた足取りで氷河の側に駆け寄り、彼の胸の中に倒れ込むと、悲鳴じみた声で氷河を問い質しました。 「俺は、他におまえに贈れるものを持っていないからな……」 氷河の声はあまり力強いものではありませんでしたが、失意の響きは伴っておらず、むしろ安堵と感嘆でできていました。 「あ……」 「おまえは、こんな闇の中で、この闇に呑み込まれることなく生きていたのか。すごい……な」 人に守られるために存在する可憐で健気なばかりの花だと思っていたのに、瞬王子は、生きていることが そのまま戦いと言っていいような運命に 日々耐えていたのです。 ならば自分も耐えてみせなければ――と、氷河は思いました。 「だ……だめ……」 瞬王子には、けれど、そんな闇の中に氷河を追いやることはできなかったのです。 瞬王子は、他人のものを奪ってまで、光を我が物にしたいとは思いませんでした。 「アテナ! アテナ、僕、いらない。光なんかいらない。僕は一生闇しか見えなくてもいい。でも、氷河には――この光、氷河に返して! お願いです。氷河は、悲しみや苦しみをちゃんと見詰める勇気を持った人なの。僕なんかよりずっと光がふさわしい人なの! アテナ、お願いです!」 瞬王子は、神殿の正面中央にあるアテナ像に向かって、必死の思いで訴えました。 本当に、その願いが叶うなら自分は今ここで死んでもいいと、瞬王子は思っていました。 「それで――『はいそれでは』と言って、彼に光を返してしまったら、神としての私の権威が地に落ちることになるでしょう」 瞬王子の訴えに、思いがけず親しみやすい響きの声が返ってきました。 「そ……そんなことありません。アテナが僕の願いを叶えてくれたら、僕は永遠にアテナに感謝し、崇め敬い続けます!」 「それはとても嬉しいことだけれど……一度 神の力で為されたことを取り消すことはできないのよ」 「そんな……」 女神の声は神像の中からではなく、どこか遠いところ――神殿のずっと上の方から響いてきているようでした。 アテナの言葉は瞬王子を落胆させましたが――それはアテナの本意ではなかったのでしょう。 頬を青ざめさせた瞬王子に、アテナは重ねて告げたのです。 「それはできないけれど、その代わりに――。あなたに最もふさわしい贈り物を贈った彼に免じて、彼には、あなたの母親から預かったあなたの光を与えることにしましょう。それでどう?」 「ア……アテナ! ありがとう!」 瞬王子は、蒼白になっていた頬を僅かに上気させて、アテナがいるはずの空を仰ぎ見ました。 その言葉が終わらないうちに、氷河の瞳に光が戻ってきます。 今は瞬王子の瞳には涙があふれていて、瞬王子は、彼の瞳の中にある光をはっきり確かめることはできませんでしたけれど。 「でも、本当にそれでいいの? これからあなたはこの世の悲しみや苦しみを嫌になるほど見なければならなくなるのよ?」 「ちゃんと見ます。氷河と一緒に。目を逸らさずに」 涙に揺れる視界の向こうにあるものを見詰めようとするほどに、瞬王子の瞳には次から次へと新しい涙が生まれてきます。 アテナと、涙に霞んで見える氷河の青い瞳に、瞬王子はきっぱりと誓いました。 氷河が、再びその姿を見ることができるようになった愛する人の温かさを確かめるように、瞬王子の身体を強く抱きしめます。 「ええ。きっとそうしてちょうだい」 そんな二人の上に、喜びに輝いているようなアテナの声。 もしかしたら、これこそがアテナの望んでいた結末だったのかもしれません。 アテナは、瞬王子の母君の願いを叶えたことを(神として致し方のないことだったのだとしても)悔いていたのでしょう。 過去の悔いを清算することができて満足したのか、アテナの声は慈愛のこもった、とても優しいものでした。 |