王のお気に入り

- I -







「天を衝くような大男と聞いていたが、随分と小柄な男じゃないか」
――というのが、鬼神とも不死鳥とも呼ばれるエティオピア国王の姿を見た、ヒュペルボレオイ国王の最初の言葉だった。
『見た』といっても、それは、軍馬が蟻に見える距離――とまではいかないまでも、甲虫に見えるほどの距離――を隔てた場所からの遠望に過ぎなかったのだが。

ヒュペルボレオイ国の王は、国境を隔てた小高い丘の上から、今まさに始まろうとしているエティオピアの正規軍と反乱軍の戦闘を、文字通り“高みの見物”していたのである。
エティオピアの国の王を小柄と言ったのも、王の両脇にいる兵と比べた上での相対的な印象に過ぎなかった。
が、それにしても噂とは当てにならないものだと、彼は思ったのである。
少なくとも、漆黒の甲冑で全身を覆い白馬に跨ったエティオピアの王は、天を衝いてはいなかった。

ヒュペルボレオイとエティオピアは国境の8割を接する隣国同士で、両国共数年前に王の代替わりがあった。
それがあまりスムーズに行なわれなかったため、国内の反乱分子の制圧に時間をとられ、これまで外交にまで手がまわらずにきたのも、両国に共通した状況だった。
僅か数ヶ月前に、ヒュペルボレオイはついに国内統一を成し遂げたばかり。
そして、エティオピアもその困難な事業の最後の仕上げに取り掛かろうとしている。

エティオピア国内統一の最後の仕上げ――が、この戦だった。
エティオピア国王への最後の反逆者(と目される人物)は、エティオピア側にある国境の町シュルティスの元領主。
シュルティスの領主は もともと評判のよくない男で、毎年必ず国庫に収めるべき税の2倍の税を領民から徴収し、その半分を自分の懐に収めているという噂を持つ男だった。
領主の過酷な税の取り立てに耐えかねた領民の多くはエティオピア内の他の町に逃亡し、百人に満たない数ではあったが、ヒュペルボレオイ国内に逃げて来た農民もいる。

シュルティスの領主の不正を知ったエティオピア国王が、彼を罷免、その領地を没収することを決定したのが半月前。
国内の支配を強固にしている王に逆らうのは無謀と考えたのか、一時は大人しく王命に従うような素振りを見せていたのだが、結局シュルティスの領主は反乱の兵を挙げた。
自身のこれまでの尋常でない搾取が王の知るところとなり、事は領地没収だけでは済まないと悟ったのだろう――というのが、大方の見方だった。

ヒュペルボレオイの王は、エティオピア国内の内乱の影響が自国に及ぶことを懸念してはいたが、正道はどう考えても国王の側にあり、その上 領民の支持を得ていない領主などいずれ破滅するだけだろうと考えて、当初は隣国の内乱にさほど関心を寄せてはいなかったのである。
が、その内乱を収めるためにエティオピア国王がじかに都から国境の町にやってくると聞いて、ヒュペルボレオイの王は、この内乱に俄然興味を抱くことになった。
鬼神にも例えられるエティオピア国王の戦い振りを見たいという思い抑え難く、そうして、彼はこうして国境の丘まで出向いてきたのである。

エティオピアは、ほんの4年前まで、王がいるとも法があるとも思えないような国だった。
地方官吏や領主による賄賂・搾取・略奪が横行し、国の至るところから民の怨嗟の声が聞こえてくるような国だったのである。
それというのも、エティオピアの前国王が、政治に全く関心を抱かない王だったから。
彼は、奢侈を好み、自身の趣味に税をつぎ込み、国政の場では確固たる理想も視点も持たない優柔不断、諫言する忠臣を宮廷から追放することにだけは容赦のない怠惰な男だった。
エティオピアは気候温暖、地味ちみの豊かな平地が多く、広い領土を持つ国でもあったのだが、一部の支配層を除いた大多数の国民は、貧しく、そして恒常的に飢えていた。

その王が他界したのが4年前。
王位を継いだ現国王は、亡父とは打って変わって苛烈なほどの決断力と実行力を持った男だった。
王位に就いた翌日から、乱れ切った役人の粛清の剣を振るい始め、腐敗した高位高官を総入れ替えすることで倫理の回復を図るという思い切った改革を断行してのけた。
王の決定に従わない者は容赦なく成敗し、彼は即位して僅か1年で、国の8割を平らげてしまったのである。
腐敗した領主・役人たちを処刑・追放したあとには、その地の民が望む人物を選んで地方行政官に抜擢し、その処置の公平さ・厳格さは、国民の絶対的な支持を受けていた。

おそらく これが最後の反乱だろう――エティオピアの者たちもヒュペルボレオイの者たちも、そう考えていた。
この内乱を収めれば、エティオピアは厳しい理想を持つ王を中心に置く強大な統一国家となるに違いない。
誰もがそう考えていたのである。

ヒュペルボレオイの国にとって、乱れていた隣国が秩序を回復するのは大変結構なことだったのだが、問題は、国内の敵を一掃したあとのエティオピア国王の出方だった。
オリュンポスの神々が定めた北の国ヒュペルボレオイと南の国エティオピアの国境を侵すことを、エティオピア国王は考えているのではないかと、ヒュペルボレオイの王は懸念していたのである。
これほどの決断力と実行力を持つエティオピア国王が野心家であれば、それは考えられないことではない。
ヒュペルボレオイもエティオピアとほぼ同じ経緯ののち、今やっと一つの国としてのまとまりを得たところだった。
この平和を他国の軍に乱されたくないというのが、ヒュペルボレオイ国王の正直な、そして心からの願いだったのである。






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