俺はウルジェイの現国王を好きではない。 前の王が 瞬の現国王弁護に機嫌を損ねた俺を見詰め、瞬が溜め息を一つ洩らす。 それから瞬は、一度、その形の良い唇を固く引き結んだ。 「今の状態で戦えば、兄が負けます」 それが瞬の至った結論らしい。 少なくとも利き腕を使えない男が勝てる相手ではないと、瞬は俺を“評価”してくれたようだった。 実にまったく光栄な話だ。 「おまえの『お願い』は決まったか」 ともかく、これで俺たちはやっと本題に入れることになった。 瞬が ゆっくりと頷く。 「明日の御前試合を辞退していただけませんか。その代わり、この都の一等地に、あなたのサロンを規模を10倍にして新しく建て直すことができるだけのお金を差し上げます」 「おまえは公爵家の当主でも何でもないんだろう。莫大な公爵家の財産を処分する権利を有しているのも兄君だけなんじゃないのか」 「僕が18になったら継ぐことになっている荘園と館があります。それをあなたに譲ります。僕の母の実家の伯爵家の領地と館で――他に男子がなくて、いずれ僕が爵位を継ぐことになっていたんですが――」 兄の名誉のためなら、伯爵領を他人に譲渡しても惜しくはないというわけか。 しかし、伯爵領とは。 爵位までを俺に譲ることはできないにしても、たかが国王の酔狂の剣の試合での勝利一つに、それだけの価値があると、瞬は本気で考えているんだろうか。 「兄の名誉を金で買うのか? おまえは強い。兄君がそれ以上の使い手なら、左手で俺に勝つこともできるかもしれないぞ」 「無理です。あなたは左手で戦って勝てる相手じゃない」 瞬は、至極あっさりと断言してのけた。 瞬は、兄が自分より強いという確信を抱いてはいない――ように、俺には見えた。 瞬はただ、兄は自分より強いと思っていたいだけなのかもしれない。 兄の名誉のために伯爵領をぽんと平民に譲ってしまう気前のよさには感服する。 が、残念ながら俺は瞬の『お願い』をきいてやることはできなかった。 「俺の名誉はどうなってもいいというのか。おまえの兄に負けることはともかく、俺は試合を辞退することはできない。俺は、王に会いたいんだ。王に少々言いたいことがあるんでな」 「え……」 瞬の頬にさっと陰がさす。 俺が今の国王を快く思っていないことには、瞬ももう気付いているだろう。 あれほど的確に俺の剣さばきを見切ることのできる目を持っている瞬なら、ウルジェイの国王への俺の憎しみを見極めることもできるはずだ。 「へ……陛下は、個人としては色々と問題もある方ですが、一国の王としては――前王より はるかに政治向きのことは公明正大な方です……!」 案の定、瞬は現国王を庇う言葉を吐き始めた。 「問題? 問題とは何だ」 「その……特殊な色好みがあって――」 「気楽な次男坊が王位に就いて、そっちの方面でばかり精力的に活動しているというわけか」 「陛下は、善政を布こうと努めていらっしゃいます。もちろん陛下は完璧な国王じゃないし、国政に目の行き届かないところもあるでしょう。才能のある人が現状に不満を持つ気持ちはわからないでもないけど、でも――」 憎い男の息子を なぜ瞬はそこまで庇うのかと、俺はウルジェイの国王に対して嫉妬めいた感情を覚えた。 が、瞬が憂えていたのは国王の身ではなく、もっと違うものだったらしい。 「僕の父は反逆者の濡れ衣を着せられた時、本当に謀反を起こすこともできました。父には、兵を雇うだけの財があったし、味方も数多くいた。でも、結局争乱を避けるために従容として流刑地に赴きました。正義は行なわれなかったけど、内乱は起こらず、犠牲は父の家族だけで済んだ。それがよかったのか悪かったのかは、僕にもわかりません。でも僕は父の選択は間違っていなかったと思う。氷河、だから……!」 瞬が案じているのは、国王個人ではなく、この国の平和。 その事実に、俺は安堵した。 俺は、この国の平和を乱すことなど毫も考えていない。 「反逆だの争乱だの、俺はそんな大層なことは考えていない。俺は この国の人間じゃないし、この国のありように我慢ならなくなったら、この国を立ち去ればいいだけのことだからな。試合をないものにしたいのなら、試合を辞退するのはおまえの兄の方だろう。それが筋だ」 「ですが、兄は辞退するわけにはいかないと言ってくれているんです」 「言って 瞬の物言いに、俺は少々引っかかりを覚えた。 『言ってくれている』――とは、己れの名誉や恋のためにではなく、『瞬のために』ということか? 明日の御前試合には まだ何か、俺には知らされていない事情があるんだろうか。 「そうだな……。試合を辞退することはできないが、引き分けてやってもいい。利き腕でない手で戦って引き分けたなら、実質的に、試合はおまえの兄の勝ちと見なされることになるだろう。臣下の敗北を見ずに済めば、王の機嫌もそう悪くはならないんじゃないのか?」 俺がそんなことを言い出したのは、瞬の『お願い』を断念させる いい方法を思いついたからだった。 「え?」 瞬が、俺の前で、俺の八百長の提案を真面目に勘考し始める。 怪我をしている男と、無傷の男。 その二人が戦って引き分ければ、実質的勝利を得るのは怪我をしている男の方になる。 瞬は、それですべての問題は解決されるという結論に至ったようだった。 瞳を輝かせて、俺の顔を見上げてくる。 「ありがとうございます! お礼ならいくらでも――!」 「俺は俺の名誉を犠牲にする。おまえも相応のものを俺に支払うべきだと思うが」 「ですから――」 「金で俺の名誉は贖えない」 「氷河の望みは何なんです」 「おまえが俺と一晩を共に過ごす――というのはどうだ? 俺の名誉をおまえの名誉で買うんだ」 輝かせていた瞳を、瞬がそのまま驚愕に見開く。 今日知り合ったばかりの男に伯爵領をぽんと譲ることのできる瞬でも、これは受け入れられない条件だろう。 万が一ということもある。 全く期待していなかったとは言わないが、俺はこれで瞬の『お願い』をきかずに済むようになると踏んでいた。 |