御前試合は、いつもなら王と彼の臣下たちの謁見が執り行なわれる王宮の広間で行なわれることになっていた。
ウルジェイ王国の王宮は、小国の王宮らしく、こじんまりとした可愛いもので――まあ、それでも、剣の練習場を備えた俺の家の100倍は大きかったろうが。
規模の割りに調度内装が華美なのは、前国王の浪費のたまものなのかもしれないが、今の国王の派手好きな性格も無関係ではないだろう。

広間の近くに俺のために用意された控え室も 白と金を基調に装飾された派手な部屋で、とても落ち着いた気分で控えて・・・いられる部屋ではなかった。
部屋の装飾のせいばかりでもなかったろうが、落ち着かない気分を静めるために控え室を出た俺は、そこで俺の気持ちをますます乱す情報に遭遇することになってしまったんだ。
それでなくても騒がしかった俺の心に嵐を運んできたもの――それは、御前試合の会場となる広間の入り口の警備に立っている衛兵たちのお喋りだった。

「しかし、ウチの王様のあの趣味はどうにかならんものなのかね。いい歳をしていつまでも独身を通してるから、あんな突拍子のないことを思いつくんだ。よりにもよって、この国いちばんの金持ちの公爵殿に、弟君を差し出せなんて命じるとは」
「命じたわけではないだろう。弟君を賭けて剣の試合をしようと言い出しただけで」
「普通に命じるより、たちが悪いじゃないか。普通に命じられたんだったら、公爵殿も適当に理由をつけて断れたのに」
「この試合で公爵殿が負けたら、弟君は陛下の寵妃――いや、寵童か。無理難題を吹っかけられた公爵殿も災難だな」
「陛下は、お祭り騒ぎをしたかっただけなんじゃないか? 公爵殿を負かすことのできる剣士を探すために、平民まで巻き込んで あんな大掛かりな予選会を催すくらいなんだから」
「あの趣味さえなければ、いい王様なんだがなあ」
「いや、あのお祭り騒ぎは国民のいい気晴らしになって、結構好評だったらしいぞ。入場券を手に入れるのもかなり大変だったらしい」
「公爵殿も、負けた場合には弟君を陛下に差し出さなきゃならないが、勝ったら陛下から結婚許可証を貰える約束になっているらしいし。大貴族様は大変だ。結婚も自由にできないとは」
「公爵様は何が何でも、この賭けに負けるわけにはいかないな」

衛兵たちが何を言っているのか、俺はすぐには理解できなかった。
賭け?
賭けとは何だ?
王と瞬の兄が、この御前試合に瞬を賭けているというのか?
瞬の兄が負ければ瞬は王のものになる――だと?
瞬は、そんなことは一言も言っていなかったぞ!

『試合が終わってからでは遅いんです』
瞬が言っていた言葉の意味を、俺は今になって理解した。
俺と瞬の兄の勝敗が決してしまった時には既に、瞬の運命も決している。
その時、もし瞬の兄が俺に負けていたら、瞬はそのまま王のものにさせられてしまうということだったんだ。
名誉どころの話じゃない。
瞬を、よりにもよって この国の王なんかに奪われないようにするためには、俺が瞬の兄に勝利を譲るしかないということじゃないか!

瞬の美しさに目をとめた男がこれまでいなかったなんて、俺はなんて悠長なことを考えていたんだ。
そんなことがあるはずがないのに。
誰が見たって、美しいものは美しい。
俺は、あまりに急激に俺の心が瞬に傾いていったから、自分が ありえないほど短い時間で瞬への恋に落ちてしまったから、瞬の美しさは俺にだけ作用する特別な力なんだと、勝手に思い込んでしまっていたんだ。
己れの迂闊に臍を噛んだ俺が、次の瞬間に思ったこと。
それは、一刻も早く瞬を探し出して、この馬鹿げた騒ぎの外に瞬を連れ出さなければならない――ということだった。

瞬は、兄の側にいるに違いない。
俺は、広間の入り口でくだらないお喋りに興じていた衛兵たちの中の一人の胸倉を掴みあげた。
「フォワ公爵はどこにいる !? 」
「おわっ !? 」
俺の怒声と、衛兵の緊張感のない間抜けな声が、王宮の長い廊下に木霊する。
足を宙に浮かせることになった衛兵(とそのお仲間たち)は、顔を真っ赤にして喚き声をあげ始めた。

「ななななななんだ、貴様は! ここをどこだと思ってる! 乱心者か! 痛い目に合いたくなかったら、さっさとこの手を離せっ」
「馬鹿、逆らうな! それは、今日の御前試合の公爵殿の対戦相手だ!」
「公爵殿の !? てことは、あの予選会で10人以上の剣士を再起不能にしたっていう、あの !? ひええええええ〜っ」
「刺激するな! 血を見るのが何より好きな男だぞ!」
「助けてくれ〜っ! 俺には、ささささ3人の可愛い子供と、美人の妻と、年老いた両親が――」
「阿呆! 嫁をもらう甲斐性もないくせに、こんなところで見えを張るな!」
「じゃあ、なななな何て言えば逃げられるんだー!」

いったい この王宮の兵士はどうなっているんだ!
こいつらは ちゃんとした訓練と教育を受けているのか、見苦しい。
だいいち、俺が予選会で再起不能にしたのは たった一人。
隠し持っていた砂を俺の目に投げつけるなんて卑怯な真似をしてくれた奴の穿いていたズボンを切り刻んで、見苦しいものを衆目にさらしてやっただけだ。
あいつは確かに再起不能になっただろうが、俺は予選会で血なんか一滴も流していない。
いったい何がどうなって、俺がそんな凶暴な男だって話になっているんだ!

馬鹿らしいやら、やかましいやらで苛立ち、俺は本当に風評通りの凶暴な男になりかけていた。

だが、兵たちがそこで騒いでくれたのは、俺にとって幸運なことだったらしい。
王宮のそれぞれの部屋で御前試合の開始を待っていた見物人の貴族たちが、その騒ぎを訝って次々に部屋から廊下に出てきてくれたんだ。
その中には俺の瞬の姿もあった。
「氷河……? 何をしてるの?」

瞬を見付けることさえできれば、間抜けな兵にはもう用はない。
右手で掴み上げていた衛兵を放り投げて、俺は瞬の許に駆け寄った。
そして、今度は瞬に向かって怒声を叩きつけた。
「いったいこれはどういうことだ! 王とおまえの兄が、この試合におまえを賭けているというのは本当か!」
「それは――」
瞬は否定してくれなかった。
ということは、あの間抜けな衛兵たちが言っていたことは――少なくともこの件に関しては、捻じ曲がって伝わった噂ではないということになる。
そんなことがあってたまるか。
俺は再び叫んでいた。
「おまえを他の男に渡すくらいなら、俺の名誉が地に落ちた方がましだ!」

「氷河……」
瞬が眉根を寄せ、切なげな目をして、俺を見上げてくる。
俺がこの事態に怒り心頭に発している訳に気付かないほど、瞬は鈍感じゃないだろう。
瞬が俺の怒りの理由に気付くより、むしろ、自分の大声が瞬への恋の告白になっていることに 俺が気付く方が遅かったかもしれない。
いや、確実に遅かった。
盛装した大勢の貴族たちがいるところで そんなことを喚き立ててしまってから、俺は瞬の反応を恐れて全身を緊張させた。

そこに、つい先程まで俺に胸倉を掴まれていたあの兵――奴は実は相当の大物だったらしい――が、
「あの〜、そろそろ御前試合が始まる時刻です。陛下がお出ましになる前に会場の方に移動していただけませんか」
と、全く場の空気が読めていない台詞を響かせてきたんだ。
その呑気な声が――こっちは一世一代の告白をしているところだっていうのに!――俺の神経を逆撫でした。

王がお出ましになる、だ !?
そんなこと、俺が知るか!
俺はもう試合なんてどうでもよかった。
馬鹿王との対面も、瞬の兄が誰と結ばれようが結ばれなかろうが、それが俺に何の関係がある!
瞬が くだらない賭けの対象にされていることの方が、俺には はるかに重要な問題だった。
何も知らされないまま俺が瞬の兄と戦い勝っていたら、俺は、瞬を他の男に進呈する手伝いをすることになってしまっていたんだぞ!
「こんな馬鹿げた賭け、まさかおまえも承知していたわけじゃないだろうな!」

昨日出会ったばかりの、しかも同性。
たった2時間の間に 俺の心を鷲掴みにしてしまった、恐るべき力の持ち主。
俺は既に 正気を保てないほど瞬に恋していた。
「で……でも、こうでもしないと、兄さんとエスメラルダさんは永遠に――」
「おまえの兄のことなど知るか! こんなところ、一刻も早く出るんだ! おまえを賭けの景品にするような王も兄もさっさと見限ってしまえ……!」
「氷河、お願い。僕の話を聞いて!」

話を聞け?
瞬の兄の障害多きラブロマンスをか?
それとも、この国の王の特殊な色好みの話をか?
俺はそんなものには全く興味はない!
「この城を出たら、いくらでも聞いてやる。来いっ」
瞬の訴えも、王宮の廊下にずらりと並んだ貴族たちの好奇の目も、すべて無視して、俺は瞬の腕を掴みあげた。
こんなところに瞬を置いておけるか!

そんなふうに――怒りに我を忘れていた俺に、一瞬とはいえ冷静さを取り戻させたのは、
「その手を離せ! 弟に何をする!」
という、野太い男の声だった。
「兄さん……!」
瞬が、泣きそうな眼差しを その男に向ける。

瞬が『兄』と呼んだ黒髪の男。
その男を一瞥した途端、俺は、それまで自分を支配していた激しい憤りを綺麗さっぱり忘れて 盛大に顔を歪ませることになってしまったんだ。
その男の姿が、俺の想像をはるかに超えた、あまりに奇天烈なものだったから。
俺は正直、憑き物が落ちたような気分になった。
いったい この世の中はどういう造りになっているのかと、俺は神の意思と意図を疑った。

瞬の兄? これが?
こんな男が、瞬の語った あのロマンス小説の主人公だというのか?
俺が想像していた瞬の兄は、目許涼やかな痩躯の貴公子だ。
腕力ではなく知性と敏捷な反射能力で剣を扱うスマートな美男子だ。
こんなイノシシみたいな男じゃない!

俺の目の前に姿を現わした瞬の兄は、瞬とは似ても似つかない――何というか、訳のわからない代物だった。
こんなのが瞬と血のつながった実の兄だなんて、到底信じられない。
不細工とは言わないが――顔立ちそのものは、むしろ整っている方だとは思うが――無骨で、暑苦しそうで、こいつに比べたら 無愛想が売りの俺だって十分に優男で通るだろう。
どちらが貴族的かと問われたら、貴族が嫌いな俺でも、俺自身を指し示す。
これが瞬の兄ぃー !?

この茶番劇の舞台に新たな登場人物が現われなかったら、俺は瞬の兄をかたり呼ばわりしていたに違いない。
機嫌を損ねずにおいた方がいいに決まっている瞬の兄を、俺にかろうじて騙り呼ばわりもイノシシ呼ばわりもさせずに済ませてくれた新たな登場人物。
それは、この国の最高権力者だった。






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