「何をしているんだ、皆 こんなところに集まって」 ウルジェイの国王の声は、微妙に緊張感に欠けたものだった。 彼の臣下たちが御前試合の行なわれる広間ではなく廊下に雁首を揃えている様を、不思議そうに眺めている。 これから、言ってみれば非公式の娯楽に興じようというのだから、当然王冠や王錫は持っておらず、付き従っている兵も二人だけ。 だが、いかにも この城に自分より身分の高い者はいないと確信している態度と、何より 俺以外のすべての人間が その男に 気楽な性格のたまものなのか、40代に入っているはずなのに、随分と若く見える。 上背もあり、かなり濃い 褐色に近い金髪と、少し薄めの青灰色の瞳。 この男が あと20歳も若かったら、この男こそが瞬の語ったラブロマンスの当事者に違いないと、俺は思っていただろう。 その男が、俺を見るなり、 「ナターシャ!」 と、俺にとって特別な女性の名を叫んだ。 その時の俺の気持ち。 それは、いわく言い難いもの――だった。 「どういうことだ。ナターシャに生き写しだ!」 喜びでもなく困惑でもなく――王は俺の姿を見て、ただ驚きだけを覚えたようだった。 興奮した声で叫んでから、王は俺がその名の持ち主であるはずがないことに思い至ったらしく、ゆっくりと眉根を寄せることをした。 「いや、彼女はもっと線が細かったし、肌もこんなに焼けてはいなかったし、こんなに ごつくもなかったが……。しかし、これほど輝く金髪の持ち主がナターシャの他にいるとは思えない。瞳の色までナターシャと全く同じではないか」 『ごつい』とは何だ。 もっと違う形容詞はないのか。 成人した息子が、母親よりごついのは当たり前だ。 だいたい、俺を女と見間違えるなんて、こいつの目と判断力はいかれきっている。 この男が国王なんて、そんな大層なものか !? こいつは、俺から瞬を奪おうとする男だ。 そして、俺の母を不幸にした男。 吐き出すように、俺は言った。 「20年も前に捨てた女の顔など、とっくに忘れているものと思っていた」 そう。 俺は、この男がその名を憶えているとすら思っていなかった。 小国の王室の気楽な次男坊が、外国遊学中に気楽に若い娘と恋に落ち、『きっと迎えに来る』なんて果たせもしない約束をして、そのまま恋人を捨てる。 もしかしたらそれは世間ではよくある話なのかもしれない。 そんなことがあってはならない社会も存在することを、この男は考えもしなかったんだろう。 未婚の娘の純潔を何よりも重んじる あの北の国で、軽い気持ちでこいつがしたことが どんな結果をもたらしたか、この男は一瞬たりとも考えたことがなかったに違いない。 「俺を身籠ったせいで、母がどういう人生を歩むことになったのか、貴様は知っているのか! しかも、母の次は瞬だと !? 」 『結婚もせずに父無し子を生んだ ふしだらな娘』――それが、あの北の国が俺の母に与えた呼び名だった。 それでも『きっと迎えに来る』という軽薄な男の口だけの約束を信じて、母は健気に待ち続けた。 母は、俺の前ではいつも笑っていた。 まがりなりにも爵位を持つ貴族の家の娘が社交界に出ることもなく、ほとんど軟禁されているような館の奥の部屋だけが、母に許された唯一の居場所だった。 「君は……私の息子か」 「不本意だが、そういうことらしいな」 懸命に怒りを抑えようとしたせいで抑揚の失われた俺の声。 その言葉を聞いた兵や貴族たちが、溜め息とも詠嘆ともつかない声で、さざ波のようにざわめく。 瞬が瞳を見開いているのが見えた。 俺が こんな男の息子だなんて、瞬には知られたくなかった。 俺はただ、何があってもじかにこの男に会い、その軽率と卑劣をなじってやりたかっただけなんだ。 どうせこの男は 20年も前の、この男にとっては火遊びに過ぎなかった恋のことなど忘れているだろうと思っていたから。 前王の暴虐、愚昧な兄。 今は平和なこの国が、過去には反逆や謀反の絶えない国だったことは知っている。 この男が王家と反逆者たちの間で、調停役として努めていたことも聞いている。 この馬鹿野郎が、故国を離れられなかった事情はわからないでもない。 しかし、それが10年も――いや、20年だ!――20年も母を放っておいた言い訳になるはずがないじゃないか! 俺が10歳になった時、母は死んだ。 その2年後に祖父が、5年後に祖母が亡くなり、俺がすべての血縁を失った時、俺は、ほとんど時を同じくして、この気楽な次男坊がウルジェイ王国の王位に就いたことを知ったんだ。 この男のせいで母はすべてを失ったのに、この男は王位なんてものを手に入れた。 忘れようと思い、祖父母には忘れろと言われていた男への抑えようのない怒りが、俺をこの国に向かわせることになった――。 「20年前、私は帰国してすぐにナターシャを迎えるための使いを出した。だが、ナターシャの父に、娘は死んだと告げられたんだ……!」 この世で最も下劣な男が、今となっては何の意味もない弁解を始める。 だがそれは、奴の罪を減じるどんな力も持ってはいなかった。 『死んだ』と言われた? あたりまえだろう。 結婚していない娘を身籠らせるような無責任な男に 娘を与えるなんて、あの北の国では恥の上塗り、家名を汚すだけの行為だ。 あの国は、開放的な南の国とは違う。 俺を身籠った時、俺の母の人生は終わったんだ。 ほとんど屋敷を出ることもなく、その若さと美しさを無為に時の神に奪われながら、死と変わりない生を生き続けるだけの日々。 それが母の人生だった。 俺も、生まれてはいけない子供、存在してはいけない子供として育てられた。 当然、祖父母の家を継ぐことも許されず、祖母の死と共に俺の生家は絶えた。 「それで事実を確かめもせず、簡単に諦めたのか? 母は10年前まで生きていた。社会的には死んだ者同然にされて、祖父母の館の奥でひっそりと生き、そして死んでいった……」 「生きていて――死んだ?」 こんな軽薄な男にも命の重さと死の意味くらいはわかるらしい。 王はその頬を蒼白にした。 だが、この男は、俺の母の死の意味はわかっても、母の生の意味はわかっていなかった。 わかっていたら、 「私を父と呼んではくれないのか」 なんてことは訊けないはずだ。 |