俺が瞬への恋の告白を決意した日。 その日は、体調が優れないとかで、精密検査を受けるために、瞬が沙織さんにグラードの医療センターへの出頭を命じられた日だった。 もちろん、瞬の身は心配だったが、瞬は仮にもアテナの聖闘士だ。 俺はあまり瞬の身体の具合いを案じてはいなかった。 俺が心配していたのは、どちらかといえば、瞬がどういう精密検査を受けるのかということの方。 つまり、どこぞの医者が、医者という役得で瞬の肌を見ることができる事態に、俺は腹を立てていたんだ。 俺の予想に 医者の役得への憤りはともかく、瞬が医療センターに出向いたこと自体は、俺にとって好都合なことだった。 その事実は『瞬の身を案じる仲間として瞬の部屋を訪ねる』という大義名分を俺に与えてくれたからな。 「グラードの医療センターに行かされたそうだが、問題はなかったのか?」 俺が瞬の部屋に行くと、目を通していた本を脇に置き、瞬は俺を微笑んで室内に迎え入れてくれた。 沙織さんの心配はやはり杞憂にすぎなかったんだろう。 沙織さんには、やたらと俺たちの身を気遣いすぎるという悪い癖がある――癖だろうな、あれは。 普段 俺たちに無理な戦いを強いているという負い目のようなものが、沙織さんにはあるのかもしれない。 俺なんかは、アテナがアテナの聖闘士に負い目を感じてどうするんだと思うんだがな。 まあ、そんなことはどうでもいい。 そんなことより今は、俺の恋の告白の方が、より重要な問題だ。 俺は、瞬の側に歩み寄って――掛けていた椅子から立ち上がろうとした瞬の肩を軽く押し、瞬を元の場所に戻した。 大きく息を吸い、吐いて、瞬の瞳を見詰める。 瞬は首をかしげるように俺を見上げて、少し困惑したような笑みを俺に向けてきた。 自慢じゃないが、俺は恋の告白なんてものは、生まれてこの方ただの一度もしたことはない。 そんなことをしなくても、女は向こうから寄ってきた。 俺が、どうしても この人を手に入れたいと思ったのは瞬が初めてで、他人の心を俺に向けるために人を口説くという行為も、これが初めてのことになる。 まさに、一世一代の恋の告白――というわけだ。 無論、慣れていないんだから、上手くはできないだろう。 だが、俺は、瞬にこの思いを間違いなく伝えなければならない。 せめて、俺の誠意だけは疑われることのないように伝えなければならない。 最低でも達成しなければならない目標を、俺はそこに定めていた。 瞬に告げるセリフを前もって用意していたわけではなかったが、それも瞬に作為的な空気を感じさせないようにと考えてのことだった。 「瞬、俺はおまえが好きだ」 まず何よりもその事実を伝えておかなければならない。 俺は、眼差しと声と肩と手と――要するに全身のみならず全霊に力をこめて、その言葉を瞬に告げた。 瞬が、また微かに首をかしげる。 瞬のその仕草を認めて、前振りもなく唐突すぎたかと、俺は慌てた。 「も……もちろん、今日 突然好きになったわけじゃないぞ。ずっと天秤宮の頃から――いや、ガキの頃からずっと、俺はおまえを憎からず思っていたんだ。おまえは、子供の頃から、いつも俺に優しかったから。それが天秤宮のあれで決定的になったといっていい」 瞬がまた、不思議そうな目を俺に向けてくる。 ああ、説明的にすぎたか。 「おまえは綺麗で優しい。強い人間でもある。俺と同じアテナの聖闘士で、同じ目的と夢のために共に歩み戦っていくことができる。死ぬ時だって、多分一緒に――」 恋の告白をして、これから素晴らしい恋の時を謳歌しようという時に そんなことを言ってどうするつもりなんだ、俺は。 「いや、そんなことはどうでもいい。ああ、そうだ。おまえは俺をマザコンだと思っているかもしれないが、それは誤解だぞ。俺がマザコンだなんて、そんなのは誰かが勝手な憶測で無責任に流した根も葉もない噂だ。無論、俺はマーマを愛しているが、それはおまえへの思いとは全くの別物だ。彼女は素晴らしい女性だったし、深く俺を愛してくれたが、悲しいかな、俺はもう彼女の愛に報いることはできないわけで――」 これじゃあ、ますますマザコンの印象が強くなるだけだろう。 何を言っているんだ、俺は。 「無論、カミュのことも気にかける必要はない。カーサの時には醜態をさらしたが、カミュへの罪悪感や負い目は、俺にはもうない。そんなことをいつまでも気にかけていること自体がカミュへの侮辱だと、今では俺もわかっている。カーサの時には、むしろ奴がマーマじゃなくカミュに化けたことに驚いてしまったくらいだ。まあ、奴がおまえに化けていたら、俺もさすがに本気で取り乱してしまっていたかもしれないが、俺はちゃんと奴の化けの皮を剥がして、躊躇せずに おまえを倒していただろ――」 俺は馬鹿か! 「いや、おまえ自身を躊躇せずに倒すというわけじゃないぞ。おまえに化けるなんて身の程知らずな真似をする奴が許せないから、カーサを容赦なく倒すと言っているだけで――」 これのどこが恋の告白だ! 落ち着け! 落ち着くんだ、キグナス氷河! 「あー……ああ、絵梨衣とかフレアとかを気にしているのなら、それもおまえが気にするようなことじゃない。彼女たちは所詮はただの一般人だからな。命をかけた戦いを共にする おまえに比べたら、対峙する時の真剣さが違う。いや、だからといって、おまえが星矢や紫龍たちと同列だと言っているわけでは、もちろんないぞ。あんな奴等、俺にとっては使い方のわからない携帯電話みたいなもので、時々 着信音を響かせるから、そこにいたのかと気付くことがある程度の奴等だ。おまえとは違――」 瞬が困ったように瞼を伏せる。 まずい。 半分程度しか本気じゃないにしても、仲間を貶めるような言葉に瞬が感動してくれるはずがない。 くそう。 他人と比べずに人を褒めるってことは、なんて難しいことなんだ! 瞬がこの地上で最も優れた人間だってことは わざわざ説明するまでもない自明の理だっていうのに、肝心の瞬がその事実を自覚していてくれないおかげで、どうしても他者との比較をしないと、俺がそのことを知っていることを瞬に伝えられん。 しかも、どうして俺はさっきから、他人との関係を弁解するようなことばかり言い募っているんだ? 俺ほど人との関わりを持つことを鬱陶しがっている男はいないはずなのに! だからこそ、これが生まれて初めての恋の告白で、だから俺は焦っているはずなのに! 俺がクールな男だという風評は、もしかしたら悪質なガセだったのか !? 俺はただ――俺はただ、瞬が俺にとって いかに魅力的な存在で、俺にとってだけ魅力的な存在でないことが不安で、だから俺だけのものになってほしい、その気持ちをわかってほしいと、瞬に言いたいだけなんだ。 そして、瞬が俺を好きでいてくれるかどうかを知りたい。 もしそういうことをこれまで考えたことがなかったとしたら、今後そういう気持ちになる可能性があるのかどうか、それが知りたいだけなんだ。 ほんの小さな希望でいい。 どんなにささやかな可能性でもいいから、その可能性があることを知らせてもらえたら、その希望を叶えるために、俺はいくらでも いつまででも努力する―― !! ――てなふうに、俺の中の熱くたぎる情熱とは裏腹に(むしろ、それが空回りして?)、俺はさっきから一人で勝手に慌てまくり、焦りまくり、墓穴を掘りまくっていた。 瞬がそんな俺に呆れてしまったとしても、それは当然のことだったんだが、瞬は、特に気分を害した様子もなく、ずっと微笑んで俺の話を聞いてくれていた。 ああ、俺の瞬は、本当に優しい。 他人の犯すドジにも不手際にも過ちにも、それから全く要領を得ない話にも、実に寛大だ。 俺は瞬の微笑みに勇気を得て、この告白の最も重要な部分を口にした。 もしかしたら俺は、最初の一言と最後のこの部分を瞬に告げればいいだけだったんじゃないかと、今更なことを考えながら。 「瞬、おまえは俺のことをどう思っている? おれを特別な存在として見ることはできるか? 俺は少しでも希望を持っていいんだろうか?」 ……。 瞬は微笑んでいた。 俺の決死の告白の最重要部分を聞いても。 微笑んで俺を見詰め、そして――そして、瞬は何も言わなかった。 もしかすると、あまりに要領を得ない長文陳述が続いたせいで、瞬はこれがこの告白の要点だということに気付いていないのかもしれない。 その可能性に思い至り、俺は、他の何よりも瞬に知ってもらいたい事柄をもう一度繰り返した。 「瞬、俺はおまえが好きなんだ」 瞬は微笑んで――やはり何も答えてくれなかった。 その沈黙と微笑の意味を、俺は考えたんだ。 そして、瞬が答えないこと――答えられないことが、まさしく瞬の“答え”なのだろうという結論に至った。 その結論に至った時の俺の失望と落胆――いや、絶望と悲嘆といったら、それはもう筆舌に尽くし難いものだった。 同性から恋を告白されても、それは迷惑に決まっている。 そんなことは、俺だってちゃんと理解していた――理解できていた。 だが、俺は、それでも瞬に俺の心を打ち明けずにはいられなかったんだ! たった今まで、瞬は俺のそんな気持ちになんて気付いてもいなかったんだろうから、俺の心を瞬に知ってもらえただけでも、事態は一歩前進したと言うべきなんだろう。 そう考えて、俺は俺の心を慰めた。 たとえ、そこから更に先に進むことは期待できないのだとしても。 瞬は、俺を見上げ、見詰めている。 あの綺麗に澄んだ目で。 瞬は俺の邪恋(邪恋なんだろう)を知らされても、俺を軽蔑してはいない――らしい。 その事実が、恋をしている者にとって救いなのか、あるいは いたずらに苦しみを増すだけのものなのか――それは、今の俺にはまだ判断ができなかった。 「すまん。急に押しかけてきて、ひとりで一方的に勝手なことをまくしたてて……」 瞬に謝罪し、自分の足で瞬の部屋を出ることだけが、初恋に破れたばかりの俺にできる精一杯のことだった。 |