恋する男というものは、極めて日和見にできているらしい。
あるいは、損得にさとくなってしまうものらしい。

結局 朝食をとらずに自室に戻った俺は、閉じられた空間で一人になると、俺の素っ気ない態度が瞬を傷付けた可能性に思い至り――いや、違う。
俺は、俺が瞬に素っ気ない態度を示したことで、瞬に嫌われてしまうことを避けたいと思ったんだ。
瞬の心を思い遣ったんじゃない。
俺が思い遣ったのは 俺自身の心、俺が考えたのは 俺の損得だ。
瞬は俺を心配してくれていたのに、その瞬を冷たく突き放して、それが俺の恋にどんな得があるのかと、俺は考えた。
つくづく さもしく 小ずるい男だ、俺は。

自分に唾を吐きかけたい思いで、それでも俺が瞬の部屋に向かったのは、俺が瞬に気遣いを示すことで、瞬の心が少しでも慰められ、瞬の負った傷が少しでも癒されるなら、それで俺自身の心も慰められ癒されることになるだろうと思ったからだ。
俺の心が和らげば、それは瞬にとっても嬉しいことのはずだと思ったから。
ああ、本当に、人の心ってやつは、独立して存在しているものじゃない。
それらは互いに影響を及ぼし合って、傷付いてみたり、癒されてみたりする、面倒極まりない代物だ。

自分の行動が、自分のためのものなのか、瞬のためのものなのか わからないまま、俺は瞬の部屋に向かった。
そこで、瞬の切なげな眼差しに出会った途端、俺の口を突いて出てきた言葉は、『悪かった』の一言じゃなく、
「瞬。俺はおまえが好きなんだ」
だった。
俺は、瞬を更に困らせるために ここに来たわけじゃなかったのに。

だが――。
俺のこの思いが瞬に届かないなんてことがあっていいんだろうか。
本当にそんなことがあっていいのかと、俺は、ギリシャのすべての神々に訊いてまわりたい衝動にかられた。
俺の望みは本当に叶うことはないのかと、すべての神に問い質してやりたい。

そんなことをしても無意味――というより、そんなことはできないのだと、すぐに俺は気付いたが。
知恵の神、婚姻の神、青春の神、愛と美の神、性愛の神――ギリシャにはあれだけ多くの神々がいるというのに、恋の神だけは存在しない。
ギリシャの神々の世界に、恋の神はいないんだ。
少なくとも瞬の恋を司ることのできる恋の神はいないだろう。
ギリシャ世界の恋は主に性愛でできている。
性愛を司るギリシャの神は、俺の心を操ることはできても、瞬の心は理解することもできないだろう。
しいて言うなら、俺にとっては、瞬こそが俺の恋の神――瞬に向かう俺の恋の神だった。
優しく美しく、残酷なほど清らかで可憐な。

俺の恋を司る神――瞬――は、俺の二度目の告白を聞いても、にこにこ笑っているだけだった。
何も言わず、ただ穏やかに笑って、俺を見詰めているだけ。

――わからない。
瞬がなぜ そんなふうなのか。
俺には全く理解できなかった。
瞬は以前からこんなふうだったろうか。
それとも俺が ここまで瞬を理解できなくなったのは、恋という厄介な感情のせいなんだろうか。
恋というものは、そこまで不可解なものか?
恋は――瞬の心は、捉えどころがなく、謎めいていて、ひどく不安定で不可解だ。
こんなものに――恋なんてものに――心を囚われてしまったら、人間は一瞬たりとも 心穏やかでいることはできなくなってしまうだろう。

俺は、実は、存外に保守的な男だ。
生業なりわいが明日の命さえ定かでない戦いだから――だからこそ、それ以外のところでは波乱万丈を望まない。
戦い以外のことで他人に心を煩わされるなんて 御免被りたい。
俺はずっとそう思っていた。
そうあることを願っていた。
だというのに、この現実。
こんな状況は俺の望んでいたものじゃないと思うのに、それでも俺は瞬を思い切ってしまえない。
瞬の心がわからず、だから、自分がどう振舞えばいいのかもわからない――んだ。

そんな時――どうやら人は笑うことしかできなくなるものらしい。
ほとんどやけになって俺が口許を微笑の形に歪めると、瞬はそのことに安堵したように、その笑顔を更に明るいものにした。






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