その瞬が、俺と一緒に寝るのを しばらくやめたいと言い出したんだから、俺は驚いた。 驚いたどころじゃなく――自分が何を言われたのか、俺はたっぷり1分間 理解できずにいた。 瞬は、俺と寝ることに、確かに満足と快感を覚えるようになっていた。 俺を誘うための媚さえ身に備え始めていた。 俺が少し意地悪く焦らせば、涙さえ浮かべて、俺を欲しがるようになっていたんだ。 その瞬が――。 瞬が、純粋に自分の欲望のために俺と寝てくれていたんじゃないことは、俺もわかっていた。 最初の夜がそうだったように、瞬にとってそれは、俺のために耐える行為だった。 俺がそうしたいと思っているから、俺のために、瞬は俺を受け入れた。 そして、瞬は俺のために変わった。 瞬が 瞬自身のためにそれを欲したことは、本当はただの一度もなかったのかもしれない。 それでも、それは、瞬にとってもつらいだけのことではなくなってきていると、俺は思っていたんだ。 ただの――うぬぼれだったのかもしれないが。 しかし、瞬が嫌だと言うんだから、俺は無理強いすることはできない。 瞬の肌の感触、その心地良い体温と声。 なにより、清純な姿の奥に瞬が隠し持っているあの奇跡の界。 瞬のすべてに夢中になって、俺は瞬を毎晩求めていたから、瞬が俺の際限のない欲望に恐れをなしたとしても、それはさほど奇妙なことではなかったろう。 そして、だからこそ、瞬の恋人は ちゃんと自制もできるんだということを瞬に示しておいた方がいいのかもしれないと考えて、俺は瞬の望みを 俺は、瞬を抱けない日々に耐えた。 それは、天国での暮らしを当たりまえのものと思いかけていた男が、突然 地獄の――そうだな、無間地獄や灼熱地獄に落とされたようなものだった。 肉体的苦痛はもちろんだが、心情的感情的な苦痛はそれ以上。 瞬のことを考えるだけで張り詰めてくるものをなだめている時の情けなさといったら、自分が男に生まれたことを恨みたくなるほどだった。 そんな地獄の日々を、俺は1週間 耐えた。 これだけ耐えれば、瞬も俺の忍耐力を認めてくれるだろうと考え始めた頃、やっと瞬から お声がかかった。 それは“お声”というには あまりにも――直截的に過ぎるものだったが。 「寝ない? したいんでしょ?」 そう、瞬は言ってきたんだ。 「いいのか!」 「まあ、物欲しそうに僕を見てる氷河は哀れの極みだし、僕も氷河のあれが恋しいしね」 俺は驚いた。 その言葉、口調はもちろんだが、それよりも瞬の仕草に。 瞬は、俺にそう言って、舌なめずりをしたんだ。 比喩なんかじゃなく本当に、瞬は その舌で自分の唇を舐め、濡らした。 これほど瞬らしくない仕草もない。 「それは どういう趣向なんだ? 小悪魔を気取っているのか、はすっぱな女の真似か――」 「真似? 真似って何。僕は誰かの真似なんかしてないよ」 「?」 それが瞬らしくない言動だということは認知していた。 そんな瞬を妙だとも思った。 だが、1週間も瞬を抱けない夜を耐えたあとで、俺は気が急いていたんだ。 瞬に詰まらないことを言って、せっかく その気になってくれた瞬の その気を失せさせることだけは、俺はなんとしても回避したかった。 今日の瞬は奇妙だと感じる引っ掛かりのようなものを、だから俺は無理に自分の中から追い払ったんだ。 その日の瞬は(夜ではなく昼間だった)、情熱的というには大胆で、羞恥を垣間見せる余裕もないように性急に、俺の全身に絡みついてきた。 やはり瞬も俺を欲しがってくれていたのだと安堵しながら、俺は――俺も――瞬に向かってむしゃぶりついていったんだ。 「氷河って、ほんとに綺麗な身体してるよね。綺麗で、引き締まるところは引き締まってて、理想的。この背中の筋肉。うっとりしちゃう」 そう言いながら、瞬が俺の背や手足を撫で、俺の肩や胸に舌を這わせてくる。 いつも、俺の気に入らないことはしないように、俺が求めることだけに応じるように振舞っていた瞬の、ある意味非常に能動的なその行動を奇異に感じなかったわけじゃない。 だが、毎晩していたものを1週間もしていなかったんだから、それも自然なことなんだろうと、俺は思ったんだ。 おそらく かなり無理をして、俺は そう思った。 これで瞬が禁欲の無意味を悟ってくれれば、それで万事が解決する。 俺は、瞬の好きなように俺を愛撫させ、俺自身も瞬の肌を堪能した。 求めれば容易に手に入るものを あえて我慢することの無意味と弊害を、瞬に知ってもらう。 その希望は叶うだろうと、俺は思っていた。 思わないわけにはいかなかったんだ。 その日の瞬は欲深で、俺が中に入っていくと、嬉しそうに その身体をしならせ、のけぞらせ、ためらいなく歓喜の声をあげた。 俺にどれだけ激しく揺さぶられても、瞬の声にはもう苦痛を耐える響きはなく、ただ貪欲に俺を欲しがってくれた。 実際、瞬は俺をくわえこんで離そうとしなかった。 「このままでいて……。このまま、僕の中にいたままの方が、早く元気に戻れる……でしょ」 達した直後に胸を大きく上下させ、苦しげな息の下から、瞬はそんなことさえ言ってのけた。 どこでそんなことを覚えてきたのかと問い質してやろうとした俺は、俺自身が以前 そう言って瞬に無理を強いたことを思い出し、苦笑することになったんだ。 舌なめずりも、前に俺が瞬の前でふざけてやってみせたことがあったのを、思い出した。 瞬は、俺の真似をしていただけだったんだ。 してみると俺は、ことセックスに関しては、到底 上品な指導者とはいえないことになる。 とにかく、その日 瞬は、実に奔放で積極的で貪欲だった。 その瞬に輪をかけて貪欲に、俺も瞬を貪り――夜になってから、俺はやっと瞬を解放してやった(それとも、俺の方が解放されたのか?)。 瞬が正気に戻ったのは――いつもの瞬に戻ったのは――俺の横でぐったりしていた瞬に、俺が、 「夕飯、今からでも食いに行くか?」 と尋ねた時だったと思う。 精も根も尽き果てたように ぼんやりと天井を見詰めていた瞬の目が、ふいに意思と意識の光を取り戻す。 弾かれたようにベッドの上に身体を起こした瞬は、その頬を真っ青にして、くしゃくしゃにしてベッドの外に放り投げていたシャツを身につけ、一言の言葉もなく逃げるように俺の部屋から出ていった。 迅速というより唐突なその行動を、俺はベッドの上であっけにとられながら眺めていることになったんだ。 だが、まあ、瞬は、ハシタナイことをした自分を恥ずかしがってるんだろうと、俺は、その時は呑気に構えていた。 「なにも逃げ出さなくてもいいのに」 と、その時 俺は(今にして思えば)浅はかな苦笑さえ洩らしていたんだ。 |