俺の部屋と瞬の部屋。
しばし 迷ってから、俺は瞬を俺のベッドに運んだ。

紫龍たちが『瞬ではない』と言ったものは、だが、意識を失っている今は、俺の知っている通りの瞬だった。
少し青ざめた瞼、血の気を失っても なめらかな頬、薔薇色のやわらかい唇、聖闘士のそれとも思えないほど頼りなげな肩――は、俺の見知っている瞬そのもの。
だが、俺の好きになった瞬は、目覚めている時の瞬、その瞳に強さと優しさをたたえている瞬だった。

いったい瞬の身に何が起きたのか――。
次に目覚めた時、瞬は、俺の瞬でいてくれるんだろうか。
俺自身にはどうすることもできない不安に囚われながら、俺は瞬の目覚めを待ったんだ。
他にできることはなかったから。

――瞬が気を失っていたのは10分ほどだったろうか。
目覚めた時、瞬は俺が好きになった瞬と同じ色の瞳をしていた。
「瞬! 気がついたのか」
瞬が意識を取り戻したことより、瞬の眼差しが俺の望んだ通りのものであることに安堵して、俺は声を弾ませた。

「いやっ!」
俺が瞬の頬にのばしかけた手を、瞬の声が遮る。
瞬は、また、俺に触れられることを恐れる瞬になってしまっているようだった。
無理に触れることはできない。
俺は、のばしかけていた手を自分の方に引き戻し、できる限り冷静な声を作って、瞬に尋ねた。

「瞬。おまえか? いつもの」
「あ……」
瞬が、声を詰まらせて俯く。
自分の中に自分でない誰かがいることを、瞬は知っている――知っていたようだった。

「あれは何者だ」
「わからない……」
自分の居場所を見失った迷子の子供のように 両肩を縮こまらせて、瞬は低く小さな声で そう告げた。
「わからなくても知っている。そうだな?」
責めるつもりはなかった。
俺はただ知りたかっただけなんだ。
瞬が――俺に好きだと言われて嬉しかったと言ってくれた瞬のあの言葉が、真実のものだったのかどうかを。

俺の気持ちを、瞬は感じ取ってくれたらしい。
長い逡巡のあと、瞬は、瞬でない瞬との出会いを、ぽつりぽつりと語り始めてくれた。
「僕……僕は……最初は、氷河と一緒にいられるだけでよかったんだ。でも、氷河はあの……そういうことをしたいんだろうって思って……。僕は氷河が好きで、氷河の望むことならどんなことでも叶えてあげたかったし、それに……氷河を誰にも取られたくなかったから、ああいうことができないせいで、氷河を他の人に取られるのは嫌だって思ったの」
それは、俺も薄々気付いていた。
俺は別に瞬と寝るために――瞬と寝たくて、瞬に好きだと告白したわけではなかったんだが。

「それで、そうするのが当たりまえのことみたいに、毎晩一緒に眠るようになって――僕は、最初のうちは嬉しかった。氷河が僕を見ててくれて――いつも僕を見ててくれて、それこそ夜も昼も一緒にいられる。なのに、そうなったらそうなったで、僕は不安になって、恐くなってきたんだ。氷河は僕が好きなのか、それとも僕とそういうことをするのが好きなだけなのか――それがわからないことが……」
「……」
それはつまり、俺が瞬を求めすぎたことが、瞬を不安にしたということか?
俺が瞬を好きだということと、瞬と寝るのが好きなことは全く別の問題だと、瞬は言うのか?

瞬の不安は根本的な誤謬に根差している――とは思ったんだが、俺はこの場で俺の意見を口にすることを思いとどまった。
今は瞬の話の腰を折らない方がいい。

「そうしていたら、ある日、彼が出てきた……」
「彼とは」
それが、あの瞬ではない瞬――ということか。
「彼は、あの……氷河の身体――氷河とのセックスだけが好きな僕――だと思う」
「なに?」
俺のカラダだけが好きな瞬?
何だ、それは。

瞬を不安にしたのは、俺が瞬の身体を好きか、それとも瞬の心を好きなのかという迷いじゃなかったのか?
瞬自身から、俺の身体を好きな瞬を分離して、それでどうすれば瞬の不安が解消するというんだ。
「彼は――さっきは紫龍たちにあんなこと言ってたけど、本当は彼も氷河だけが好きなの。ただ、氷河には肉体的な愛フィジカルラブしか感じてないんだって。そう言ってた」
で、奴は、俺のカラダを手に入れるためになら、仲間の存在をも道具にするというわけか。
あの下品なやり口が俺の嫉妬を煽るためのものだったとしたら、奴は採用する手段を間違えたとしか言いようがない。
奴は、紫龍や星矢や、そして、この俺をも見誤っている。

「彼が生まれたせいで、僕は精神的な愛スピリチュアルラブしか欲しくない僕になってしまった――って、彼は言った。そして、『そんなに不安なら、試してみようって』って言って……。あの……『言った』っていっても、僕の中で僕の心に話しかけてきた――みたいな感じなんだけど」
瞬は気付いているようだった。
奴を生んだのが自分自身――自分の中にある不安だということに。
俺は、そんなことをさせるほど、瞬に不安を与えていたのか?

「どうやって、何を試すというんだ」
「同じように氷河が好きで、でも、氷河の身体だけが好きな彼と、氷河の心だけが好きな僕と、どっちかを氷河に選ばせてみようって。それで、僕の不安の答えは出るだろうって」
「……」

瞬が語る、もう一人の瞬の理屈は、実に奇妙だ。
どこかで論点がずれてきている。
俺が、瞬の心を選ぶか身体を選ぶかということと、俺の心を好きな瞬を選ぶか身体を好きな瞬を選ぶかということは、『似て非』というより、全く別の問題だ。
あの瞬でない瞬を作ったのは瞬自身だとして、なぜ瞬は、瞬自身の心を重視する瞬と、瞬自身の身体を重視する瞬に分かれなかったんだ?
それはおかしい――おかしなことじゃないか。

「氷河を試すようなことはできないって、言う余裕も与えられなかった。僕は、彼に押し込められて、自分の身体を動かせなくなって――」
そして、あの解禁の日がきたというわけか。
俺の身体を手に入れれば奴は満足して しばしの眠りに就き、俺の心を好きな瞬の方が、瞬の身体の支配権を取り戻し、再び禁欲の日々が始まる――。

しかし、なぜそんなことが瞬の上に起こったんだ?
瞬の迷いや不安が、第二の人格を生んだということはわかった。
基本人格というものが無いという点で、これが一般的な多重人格障害ではないこともわかる。
今の瞬の中には、『瞬』と『瞬 ' 』ではなく『瞬 ' 』と『瞬 ' '』がいるというわけだ。
しかし、どう考えても、その人格の構成は理に適っていない。






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