「どうして余計なことをしようとするんだっ!」
ここまでくれば、どんな大声を出してもシャイナの耳に届くことはないだろうと思えるところまで来ると、カシオスはおもむろに後ろを振り返り、瞬を頭から怒鳴りつけてきた。
“優しい”カシオスに、これまで見たこともないような険しい形相で怒鳴りつけられて、瞬は全身を縮こまらせてしまったのである。
自分が余計なことをしてしまったことは、瞬にもわかっていた。
その“余計なこと”のせいで、カシオスは、自分に向けられる彼女の愛情がどういうものなのかを思い知らされてしまったのである。

「大きな声を出すな。ちゃんと聞こえている」
もしカシオスが瞬を責めなかったなら、氷河自身がカシオスと同じように瞬を叱責していただろう。
それでも氷河は、自分以外の男が瞬を怒鳴りつけることが不愉快だった。
「だって、このままじゃカシオスが……」
瞬は、カシオスに怒鳴られる前から既に涙ぐんでいた。
カシオスに怒鳴られたからではなく――カシオスの心の痛みを、カシオス以上に強く感じとって。

瞬の“余計なこと”が悪意から出たものでないことは、もちろんカシオスにはわかっていた。
瞬が、厚意から、友人の幸福を願って、それをしたのだということは。
しかし、厚意から出たことなら どんなことでも“よいこと”になるとは限らないのが人の世である。
瞬の厚意は、この件に限って言えば、カシオスにとっては明確に迷惑なことだった。
迷惑以外の何物でもなかったのだが――身体に似合わぬ細い溜め息を洩らして、カシオスは、項垂れている瞬の厚意に報いるために、その声音を和らげた。

「俺は、シャイナさんに俺の気持ちを知らせるつもりはないんだ」
「知らせるつもりはない?」
瞬が少しだけ顔をあげる。
少し顔を上向けただけではカシオスの表情を確かめることはできないので、結局 瞬は首を45度ほど後ろに反らして、カシオスの顔を見上げることになった。
瞬の目には 優しく美しく映るカシオスの顔が、今は少し切なげに歪められている。

「どうして? 僕には告白しろって――勇気を出せって言ったじゃない」
「瞬が好きな相手には、他に好きな人がいないと言っていたからだ」
「それは――でも……」
「シャイナさんには他に好きな奴がいる。俺がシャイナさんを好きだなんて告白なんかしたら、シャイナさんを困らせるだけだ。俺は、シャイナさんの側にいて、彼女に何かあった時、彼女を支えてやることができれば――そうすることができればいいんだ。それ以上のことは望まない」
「でも……!」

シャイナの好きな相手には――星矢には、その気が全くないのだ。
シャイナの恋が報われることはない――実らない。
そんな恋に囚われていることが、シャイナにとって“よいこと”だとは、瞬には思えなかった。
それではカシオスもシャイナも幸福になることができないではないか。
シャイナが星矢を思い切ることさえできれば、この地上には幸福な人間が二人も増える。

「出会えただけでいいんだ。シャイナさんの指導を受けられて、毎日一緒にいられた。聖闘士になり損ねたあとも、シャイナさんは不肖の弟子の俺を見捨てるようなことをしなかった。それだけでも俺は、自分を分不相応に恵まれた男だと――」
「でも、それじゃ……!」
食い下がろうとした瞬の言を、カシオスは彼にしては珍しくきっぱりと遮った。
「誰かを好きになった時、同じように好きになってもらえるなんて、滅多にないことだ。世の中、叶わぬ恋の方が多い。シャイナさんも耐えてる」
「……」

その つらい現実は瞬も知っていた――いやになるほど知っていた。
だからこそ、幸福になる可能性のある人たちには幸福になってほしいと、瞬は思うのだ。
カシオスは、瞬のその願いに真っ向から逆らってみせる。
それでいながら、彼の考えていることは、瞬と全く同じ――完全に一致していた。
「だから、瞬には、僅かでも望みがあるなら勇気を出せと言ったんだ。瞬が好きな人には、他に好きな人がいないんだろう? 同じ好意を返してもらえる可能性があるんだから、勇気を出して告白するんだ。ちょっとくらい背が低くても、そこが可愛いと言ってもらえるかもしれないじゃないか。俺は、瞬をすごく可愛いと思ってるぞ。瞬の恋には希望がある。だが、俺のは――」
一度言葉を途切らせてから、カシオスは、
「望みなし」
と笑って言った。

なぜ笑うのか――なぜカシオスは、そんなことを言って笑ってしまえるのか。
彼がそんなふうに笑うので、瞬の瞳からは涙があふれてきた。
「そんなのってないよ! カシオスはこんなにシャイナさんが好きなのに! カシオスはこんなに優しくて、強くて、素敵なのに! シャイナさんはカシオスと一緒にいれば幸せになれるんだ! それなのに……なのに、こんなのってない!」

カシオスにだけは――彼の恋だけは実ってほしいのだ。
そんな ささやかな望みが、なぜ叶わないのか。
誰もが幸せになりたいと願って懸命に生きているはずの この地上に、なぜこれほど報われない思いだけがあふれているのか。
その現実が得心できず、その現実に耐え切れず、瞬はカシオスにしがみついて声をあげて泣き出してしまったのである。

氷河が止める間もなかった。
しがみつこうとしても、瞬の腕はカシオスの背にもまわりきらない。
バオバブの巨木に必死にしがみついて、ここを先途と鳴き騒ぐ小さなセミのような瞬を、だが、氷河は無理に巨木の幹から引きはがしてしまうことができなかった。
しがみついて泣くなら、もっと適当なサイズの、もっと見栄えのする男が すぐ側にいるというのに、瞬は何がよくて、その木を選ぶのか。
彼にはどうにも合点がいかなかったのではあるが。

「瞬、そう泣くな。タコが――カシオスが困っているだろう」
複雑極まりない表情と心境で、氷河は瞬の肩に手をのばした。






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