もしかしたら これこそが死神の目的だったのではないかと瞬が考え始めたのは、アテナと共に赴いたギリシャ聖域で十二宮の戦いが終結した時のことだった。 幾人かの黄金聖闘士が死んだ。 その中には、氷河の師である水瓶座アクエリアスのカミュも含まれていた。 『含まれていた』どころか――彼は、彼の弟子である氷河によって、その命を奪われたのである。 氷河の傷心に、瞬は心を痛めていた。 ところが、その結末に、銀色の自称神は、瞬の前で いたく満悦した 『おまえとおまえの仲間たちは意外に役に立つではないか。この調子でどんどんやれ。ハーデス様の許に うるさいウジ虫共を送り込み、生意気な口がきけない状態にしてやるのだ』 彼は、実に楽しそうに、瞬にそんなことを言った――(おそらく)口をすべらせた。 もしかすると銀色の自称神は、“瞬”という人間の命などどうでもよく、自分と自分の仲間たちが倒す者たちの命が欲しくて自分につきまとっているのではないかと、その時 瞬は疑ったのである。 人間の命を死の国に運ぶのが死神の仕事なら、それで理屈が通る。 アテナの聖闘士は一般の人間より死に接する機会が多いだろうし、そもそもアテナの聖闘士自体が『地上の平和と安寧を乱す者たちを排除する』という大義を持つ死神のようなものなのだから。 瞬が銀色の自称神にその推察をぶつけると、彼は珍しく瞬の疑念に答えてくれた――というより、彼は、人間などという下劣な存在に、己れの素性を誤解されていることが気に障ったらしかった。 『俺は、死神ではなく死を司る神だと、何度言えばわかるんだ』 「その二つは違うものなの」 『全く違う。おまえの言う死神とは、我等がこの世界に誕生した時よりずっと後代に成立した、ぽっと出の宗教や寓話が作り出した使い魔の類だろう。寿命が訪れた人間の命を回収して地獄とやらに運ぶ宅急便屋。俺をそんな三下と一緒にするな』 その言葉使いも表情も、ぽっと出の宗教や寓話に著された死神よりあなたの方がずっと三下めいているよ――と彼を馬鹿にしてみせたなら、彼は自分を殺してくれるのだろうか。 すっかり機嫌を斜めにしている自称神の銀色の姿を見やりながら、瞬はそんなことを考えたのである。 その言葉を、瞬は口にしなかったが。 死にたいという思いは、既に――あるいは、今は――瞬の中から消え失せていた。 瞬は、恋をしていたのだ。 今は死を望まない――瞬は今は死にたくなかった。 『黄金聖闘士だか何だか知らないが、ウジ虫が何匹か死んだくらいのことで、いちいち落ち込むのはやめることだ。おまえはこれからもっと強大な敵に出会う。そして、そいつらを皆殺しにしなければならないんだ』 「もっと強大な敵……?」 『すべて倒せ。これからおまえの前に立ちはだかる者たちは皆、ハーデス様のご意思を邪魔をする不届きな輩だ』 彼の言うことに、瞬は合点がいかなかった。 それは、死神が言うようなことだろうか。 「邪魔? あなたは死神なんでしょう。邪魔者は、僕に排斥させようとせず、あなたが自分の手で除けばいいじゃない」 『俺は死神ではなく死を司る神だと言っただろう。物わかりの悪い奴だな』 「だから、あなたは、『人の命を奪う、人でないもの』なんでしょう?」 『俗に言う死神とは違って、俺は、死んだ人間を生き返らせてやることもできる。おまえが人を傷付けるくらいなら自分が死にたいなんて馬鹿な考えを起こさず、これからも邪魔な奴等を倒し続けると約束するのなら、褒美に死人を一人くらい生き返らせてやってもいいぞ。そして、少しは俺を敬え、この虫ケラ』 『ウジ虫』『虫ケラ』は彼の口癖である。 彼の口の悪さに、瞬は既に慣れていた。 その品位のなさで『神』を名乗るから素性を疑われるのだ――と言ってやりたい衝動に、瞬はかられた。 だが、今は、そんなことよりも――。 「死んだ人を生き返らせることができる? ほ……本当?」 『ああ』 「ぼ……僕の先生を……!」 気負い込んで言いかけ、思い直し、瞬は自らの願いを最後まで口にするのをやめた。 何かの罠のような気がした――のだ。 彼は、一般にイメージされる神にふさわしい品位や高潔を備えていない代わりに、人間のような狡猾を感じさせるところがあった。 「一人だけ?」 注意深く尋ねてみる。 『そう何人も生き返らせていたら、俺がハーデス様のお叱りを受けることになるだろう』 「……」 狡猾ではあるかもしれないが軽率で単純。 それが銀色の自称神に対する瞬の評価だった。 嘘ではないのかもしれない――嘘ではないのだとしたら――。 『まあ、考えておけ。おまえには言葉で説明するより、その目に俺の力を見せつけてやった方が手っ取り早そうだ』 彼はこれを、瞬に畏怖を植えつけるための戯れ事の一つと、軽く考えているのかもしれなかった。 考える時間をやると言って、彼は瞬の前から消えていった。 彼の言うことはどこまで事実なのか。 本当に彼は死んだ者を生き返らせる力を備えているのか――。 考えても正答に行き着くことはできないとわかっている問題を、それでも瞬は考えないわけにはいかなかった。 彼が人間でないことは事実である。 初めて会った時から数年の時が流れ、瞬は、少なくとも身体だけは大人のそれに近付きつつあったが、彼の外見には何の変化も見られなかった。 成人していることを考慮しても、その変化のなさは人間のそれではない。 彼は、ギリシャにも、日本にも、氷河と共に出掛けた先のシベリアにも、自在に姿を現わし、瞬をからかい、侮り、言いたいことを言って消えていく。 時間は彼に影響を及ぼすことはできず、彼はまた 時空に阻まれることもない。 彼が、人を超越した力を持っていることは確かなのだ。 |