僕たちの秘密






「もう少し、ここにいろ」
完全に気配を消していたつもりだったのだが、今日も瞬は氷河の腕に掴まってしまった。
そして、そのまま抜け出そうとしていたベッドの中央に引き戻される。
瞬の両脇に腕をついて 恋人の逃亡を妨げる氷河の青い瞳を見上げ、瞬は細く嘆息することになってしまったのだった。

遊び疲れた子供のように熟睡しているようだったのに、瞬の起床はいつも氷河に気付かれてしまう。
外界のちょっとした震動や物音程度の刺激には全く無反応で、鈍感ともいえるほどの豪胆さで眠りを貪り続けるというのに、いったいなぜ氷河は彼の恋人の動向にだけ ここまで敏感なのか。
瞬は、氷河の各種刺激の捉え方の仕組みが不思議でならなかった。

いずれにしても、瞬はいつもと同じように氷河に捕まってしまった。
いつもの瞬ならば、ここで早々に起床を諦めるところなのだが、今日ばかりはそうはいかない。
だから、瞬は氷河への抵抗を試みようとしたのである――無駄と知りつつも。

「でも、今日から出張なのに、氷河ってば何も用意してないでしょう。1週間も海外に行くのに」
「出張なんて、パスポートとケータイとカードがあればどうにかなる。おまえは、俺たちが1週間も会えないということの意味がわかっていないようだな」
「わかってるから、夕べは出張の用意をする間も惜しんでベッドに入ったんでしょう。そのつけが朝にまわってきただけだよ。それに僕も、明日の昼の便でオランダに発たなきゃならないから、二人分の用意をしなきゃならないの」

「用意ならもうできてる。あとは、これをおまえの中に入れるだけだ」
これほど健全で無邪気な笑顔があるだろうかと思わずにいられない笑顔を作って、氷河が瞬に彼の腰を押しつけてくる。
言葉通りに準備万端整っている氷河の局部の様子を、文字通り肌で感じて、瞬は反射的に両脚をぴたりと閉じてしまった。
それで、押しつけられてくるものの質量や硬度が減じてくれると期待したわけではなかった――期待はできなかった――のだが。

「氷河のこれって、10代の中学生か高校生並みに元気だよね」
氷河の両腕が、瞬の肩と腹部に絡みついてくる。
彼の唇は瞬の胸の上をさまよい始めていた。
「おまけに、40代50代の熟年並みに、愛撫はしつこくて執拗で……ん……」
瞬は氷河の愛撫から逃れるべく身体の向きを変えようとしたのだが、あいにく瞬の抵抗は即座に氷河の手に封じられてしまった。

「入念と言ってくれ。おまえは40代50代の男と寝たことがあるのか」
「イメージの話だよ。僕は氷河が――」
「俺が初めてだった」
嬉しそうに そう告げる氷河の方がよほど子供じみているというのに、彼の口調は、まるで小さな子供をからかうようなそれである。
「そうだよ」
得意げな氷河の表情が 瞬の胸中に 小さな反抗心を生み、瞬は憎らしい男の顔を見ずにすむように、ぷいと横を向いた。

「そんな顔はしないで、機嫌を直してくれ」
そう言う氷河の手は、いったい恋人のどこの機嫌を取っているのか。
恐竜は頭部の他に腰部にも脳を有していた――という説があるそうだが、瞬は恐竜ではなく、歴としたヒトである。
そんなところに僕の心はないよ――と言おうとした瞬の唇から洩れたのは、だが、瞬の意に反して、意味を成さない短い忍び音だった。
「ん……んっ」
そして、瞬が 氷河の髪に両手の指を絡めたのは、もはや彼を引き離すためではなく、逆に彼を我が身に引き寄せるためだった。
「氷河……は、そういうこと気にするの」
「俺がおまえの初めての男かどうか?」
「あ……ん……」
唇は今は氷河にふさがれていないというのに、言葉を自由に操ることができない。
瞬は、喘ぎながら頷くことを、言葉での返答の代わりにした。

「それは さほど気にしないが――おまえの最後の男になりたいとは、熱烈に思うな。1週間もおまえと離れていなければならないんだ。少しくらいの我儘はきいてくれ」
「夕べもおんなじこと言って、何度も――あ……ああ……!」
氷河の生温かい舌の感触は、それが直接触れている太腿よりも、瞬の身体の内奥に、より明確な変化を生じさせる。
期待に疼く自らの身体の騒がしさに耐えかねて、瞬は思わず固く両目を閉じてしまったのである。

一度目を閉じてしまうと、それ以上 有効な抵抗ができなくことを、瞬は過去の経験から身をもって知っていた。
視覚を閉ざすと、瞬の身体は他の感覚に支配される。
氷河の愛撫を受けとめる肌の触感が鋭敏になり、聴覚は氷河の声や息づかいを より鮮明に聞き取るようになり、氷河がどれほど昂ぶっているのかを、やがて瞬の全身は理解するようになるのだ。
そんな瞬とは逆に、氷河は、彼の恋人が彼と同じほどに昂ぶっていることを、まず視覚で確認している。
その事実を、瞬は知っていた。
氷河の愛撫に視覚を封じられていても、肌で感じられるほど、氷河の視線の力は強かったから。

「本当に欲しくないのか」
瞬が喘いで腰を浮かしかけると、氷河がわざとそんなことを聞いてくる。
瞬がどういう状態になっているのかは わかっているはずなのに。
「ああ……いや……はやく……!」
そして、氷河の愛撫に屈した瞬は、氷河に懇願せざるを得なくなるのだ。
もちろん氷河は快く瞬の懇願に応えてくれる。
瞬の懇願に負けたから――というより、彼自身が瞬の外にいることに耐えられなくなっているから。

「んっ……」
その瞬間にだけ 身体が恐怖で強張るのを、瞬はどうしてもやめてしまえなかった――どうしても慣れることができなかった。
その瞬間だけは、やはり身体を二つに引き裂かれてしまいそうなほど痛い。
その痛みと衝撃が薄らぐのは、瞬の奥に押し進むほどに、瞬の身体の外にある氷河の他の部分が優しさを増していくからだった。
「愛してるから、我慢してくれ」
氷河の声や指先や手の平や唇が、氷河のために苦痛に耐えている瞬を気遣い始める。

接合を深めれば深めるだけ我を忘れ獣性を増すのが“普通”なのだろうと思うから、その優しさが稀有なものに感じられ、瞬は結局 氷河の乱暴や我儘を許してしまうのだ。
許した途端に、それらは 瞬の中で凄まじい快感に変貌する。
「ああ……! いい……いい」

その『いい』を瞬は、『もっと乱暴にしてもいい』という意味で口にしている――つもりだった。
一度、氷河に、そうなのだと知らせてやったこともある。
氷河は、
「それは『気持ちいい』と言っていることと同じだ」
と言って、嬉しそうに笑うばかりだった。






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